2017.2.25_26

【柳川】
 柳川は、アムステルダムみたいに水だらけの町だった。そして「さげもん祭り」の真っただ中。それはもう華やかなお雛様や”さげもん”が溢れかえっていた。

御花/立花家史料館
7000坪の広大な敷地を持つ柳川藩主立花氏別邸と史料館。

 
北原白秋生家
北原白秋記念館
 白秋の繊細さと温かい人柄に触れ、白秋のファンになった!魅せられた。

 
水天宮
 

柳川城跡

 柳城中学校の敷地内の丘にあった。・・・と言うよりは、中学校がお城の敷地内に造られたのね。石垣に昔日の面影があった。

柳川城堀水門

 意外にも大きくはなかった。ここは、3ヶ所ある二ツ川から柳川城内への取水口のひとつ。 万一の時はこの水門を閉めて上流の矢部川の堤防を切り崩し、城下町以外の周辺部を水没させる仕組みがあったらしい。

日吉神社

 檻に入れられたお猿さんが不安そうに震えていた・・・。

三柱神社
 戸次道雪と、柳河藩初代藩主 立花宗茂、そして道雪の娘で宗茂 の妻 ァ千代の三体の神が祀られている。平成17年に放火により焼け落ちたのだそうで、再建には4億5000万円の浄財が必要とのことだった。

  放火犯は消防隊員で、罪を犯したのは2回目だったのだそうだ。

浄華寺/安東雀庵の墓
 
 安東雀庵は江戸時代初期の儒学者。 「柳川学問の祖」。長崎時代の朱舜水を扶養した人でもある。

並倉

 明治後期の赤煉瓦の建物。思っていたより随分小ぶりではあった。

旧戸島家住宅

 庭園は国の名勝。池には堀割からの水を引き込んでいる。

十時(ととき)家住宅

  人の住む普通の民家のようだったので、外から写真を撮っただけ。周辺には檀一雄の石碑など、いろいろな碑があった。

小野邸跡
(オノ・ヨーコの祖父の家)
 オノ・ヨーコの生家跡。祖父である日本興業銀行第4代総裁、小野英二郎の屋敷跡でもある。屋敷は、400年前に藩主立花家から拝領したものだとのこと。今は門と植木だけが残っていた。外国人には結構人気のある観光地みたいだ。

真勝寺
 床下に柳川藩主田中吉政の墓のある寺。吉政の子が床下に葬ったのだが、なぜ床下なのかミステリアスだ。
 柳川はもともと立花氏の領地だったが、関ヶ原の戦いで西軍に与したため立花氏は失脚し、代わりに藩主になったのが田中吉政だった。柳川の堀割を整え水運を盛んにし、久留米城に続く道を整備するなどしたが、伏見城で客死。吉政の子に跡継ぎがいなかったため、断絶した。
 

福厳寺
  立花氏の菩提寺。墓所は意外にもこぢんまりしていた。


長命寺
 私が柳川で一番気に入った寺。鎌倉時代の石造物などが境内に遺されていた。

 寺の前には盃状穴も遺されていた。→「盃状穴

宮川温州園


白秋道路
 白秋が生家から伝習館まで通った道。「日本の道百選」にも選ばれている。
 
 堀沿いの、のんびりとした風景だった。





 ← 【田中吉政公の像】









柳川古文書館
 

柳川高校野球部
 柳川高校そばの内堀を歩いていると、柳川高校野球部の生徒が遠くから気持ちのいい挨拶をしてくれた、歩いてそばまで行くと再び帽子を脱ぎ45度に腰を折り挨拶。なんと美しい躾かと感心した。

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