山鹿市


城跡


<城ヶ鼻城跡>
 


<山鹿城跡>
 ウィキペディアによると、天正15年(1587年)、またはその翌年に廃城となったらしい。今は神社がぽつんとあるだけだった。
 

山鹿灯籠民芸館
 

 ↑ 大正時代、銀行として建てられた。

 山鹿灯籠は全部手作業。和紙と糊で作られている。 →
↑  鶴田一郎原画展が開かれていた。



豊前街道
<田の神さぁ> <しびんちゃ館>
しゃもじを持ってほほえんでいた。  菊池川流域情報を発信するための施設。「しびんちゃ」とは、菊地川流域に生息する川魚「ニッポンバラタナゴ」のことのようだ。
<裏雨屋小路> ポストの屋根にも山鹿灯籠
 <湯の端公園>
 ここで源泉を飲んだ。癖のないアルカリ風味でおいしかった。しかし・・・山鹿温泉の水は強力なのではないのだろうか?飲むと何だかお腹が痛い気が・・・。
この壁は、漆喰に灰を混ぜて造るのだそうだ。 <湯の端公園の あし湯>
 翌日の夜は、ろうそくの灯が豊前街道を照らす冬の祭典「山鹿灯篭浪漫・百華百彩」や、八千代座の2月限定イベント「山鹿風情物語」(山鹿踊りと山鹿灯篭踊りの競演)が開催されるので居たかったのだが・・・、夫の「すぐ帰れコール」により断念。
明日の夜、これらに灯がともされる。
<護國山金剛乗寺の石門>
台湾で見た寺みたいだ。中央に赤く染まった梵字があった。
文化元年(1804年)、石工・甚吉による制作。凝灰岩
町並みは、どこもかしこもきれいだった。

<追分石>
「右 国道」 「左 南関道」と示されている。

街を歩いていると面白い店があった。↑
 山鹿口は田原坂と並ぶ西南戦争の激戦地だった。薩軍は、田原坂が落ちるまでの間、ここを作戦基地とした。薩軍がいた間、町では日本最初の民権政治が行われた。
神社仏閣
<山鹿神宮> <真覚寺>
 大宮神社の裏手には、49基もの猿田彦大神石碑が並んでいる。江戸時代にこの地で流行した庚申信仰の産物なのだとか。 <大宮神社本殿>
<大宮神社拝殿>↑ <金剛乗寺>↑

<薬師堂>↑

 文明5年(1478年)3月、温泉が突然枯れた。当時の湯主、左近郷近宗は、金剛乗寺第八世宥明法印に温泉復活の祈祷を依頼。法印は薬師堂を建立し、毎日丑の下刻に身を浄め祈祷した。そして満願になった12月20日、湯が復活。薬師堂は湯の守り神として今も大切にされている。

「方保田八幡宮」の鳥居下の石。これぞ杯状穴!→

<光専寺 山門>

<光専寺 本堂>朝のお勤めが始まっていた。
 ここで戸長征伐による戸長公選要求の1万人集会が開かれた。光専寺は、山鹿氏の居館もあった所。
江戸時代の芝居小屋「八千代座」
 
 ← 国指定重要文化財。明治43年築。
 明治44年1月、こけら落としの歌舞伎上演。
 昭和48年頃閉鎖。後、平成の大修理を経て復活。

 屋根には3万3千枚の瓦が乗っている。平成の大修理で取り替えられたが、正面部分だけは昔のままの瓦が1500枚使われている 。壁は昔の建物の土壁を再利用したそうだ。

↓ 八千代座管理資料館『夢小蔵(ゆめこぐら)』
↑ これが八千代座のシンボルマーク
片仮名遣いは、当時は斬新だったのだそうだ。

 白壁の土蔵造りの建物の中に、八千代座の資料や、刀・槍、鉄砲、面などの小道具が多数展示されていた。


<小道具>

<資料>

↑ 坂東玉三郎が着た着物。意外に地味だ。

 
 ↑ 八千代座は、映画館になったこともあったそうだ。

太鼓の音で上演開始を告げた。

 土蔵の2階
 
八千代座内部

1200人収容の客席

シャンデリア(ガス灯)の下がった天井
 升席の定員は4人。きっちり正座してやっと座れるくらいキツイ。ここで煙草は吸う、お酒は飲む、お茶子から飲み物は買う・・とくつろいだ。

上手桟敷席。2階は柱の少ない釣天井(トラス工法)

舞台袖
お囃子などが控えていた。
 大工の賃金が1円だった時代に、山鹿商工組合が一株30円の株を募って建てた。
ステージ下部。ここに役者を乗せて担ぎ上げる。  客席の畳は、後ろの人でも舞台がよく見えるよう傾斜が付いている。枡席の仕切の木枠の上を、着物にエプロン姿のお茶子が飲み物を売り歩いた。トイレに行く人もこの木の上を歩いた。

花道の途中にある「すっぽん」

2階の席も傾斜付き

チケット売り場

楽屋(大部屋)
地下~肥後の石工の技術が息づいている。~ 3.8tもある廻り舞台の仕掛け。
4人で押して24個の車輪を動かし、廻り舞台を回転させる。回り過ぎても足りなくてもだめなので難しいそうだ。

ステージ上部には「ぶどう棚」と呼ばれる格子があった。
 今年は開業100周年。昭和40年代以降、廃屋状態になっていたが、地元のみなさんの「瓦一枚運動」をきっかけに4年8ヶ月、7億5000万円をかけてリニューアル。立派に生まれ変わった。米ぬかを袋に入れて、みんなで柱を磨いたりもしたのだそうだ。

熊本市

<夏目漱石像>

<船場橋>
エビとタヌキのオブジェが乗っかっていた。

<山鹿バスセンター飲泉塔>

<山鹿小学校>
<湯の端公園 飲泉口> <金剛乗寺の裏口?からも温泉が>

廃墟となっていた大衆浴場「山の湯」




    

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