法華嶽薬師寺石塔群


越後の米山薬師堂、三河の鳳来寺薬師と共に日本三薬師の一つ。
かつては本堂伽藍の他12の僧坊が立ち並ぶほどの隆盛を誇った。

養老2年(718年)、釈迦岳の山頂(830m)に一人の高僧が御堂を建て、薬師如来像を安置、金峰山長喜院と呼んだのが始まり。
大同1年(806年)、唐から帰朝した最澄が九州の霊山を巡礼中ここに立ち寄り、法華岳に大御堂を建立、真金山法華岳と改号した。
廃仏毀釈で記録や仏具のほとんどを失ったのだそうだ。

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薬師寺の北側の庭園の一角にある石塔群。

歴代住職の墓である無縫塔31基を主として、宝塔3基、板碑型墓塔1基、角柱石塔1基、
五輪塔1基、自然石碑5基の合計42基が町の有形文化財(石造建造物)に指定されている。

 


この五輪塔は、最上部が、いやにがっしりしている。




明和元年建立の墓だったが、ベンガラの赤で墓碑銘に模様が描かれいるものがあった。
見た所、一番手前の一つだけだったが、他にもあったのかも?




薬師寺には、和泉式部に関わる伝説がいろいろ残されている。
業病に冒された式部は、京都の清水観音のお告げにより越後と三河で巡拝祈願したが快復しなかった。そこで、この寺に籠もること3年、寺下の渓谷に降りて水行も重ねた。背を柱にもたせて睡眠するほどの苦行だったが、それでも平癒ぜず、絶望した式部は辞世の歌を詠み、遂に身を投げたのだそうだ。

その後、気を失った式部は、心眼に薬師如来を見る。すると病気は快復し、式部は喜んで京都に帰って行ったという伝説。



身を投げた場所は「身投げ嶽」と言われている。↓

詠んだ歌は、この石碑↑に刻まれている。


こちらは、式部の夢に現れた薬師如来の化身が、
式部に返したという歌


他にも「式部谷」や「式部髪懸け柱」などもあるようだった。
が・・・・

これだけでは、連絡先が分からないよぅ・・・
(努力不足だが・・・・)



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