last update :1.29.2005

若山城跡(山口県周南市)


 周南市福川の若山(標高217m)に、戦国時代、旧新南陽市一帯を治めていた陶(すえ)氏の居城「若山城」跡がある。
 陶氏は大内氏の重臣で、若山城は、1470年、陶弘護が石州津和野の吉見氏の進攻に備えて築城したものと伝えられる。

 この城は、「連郭式城郭」と呼ばれる中世山城の典型で、山頂の本丸を中心に、東西に伸びる尾根を利用して、二の丸・三の丸(東方面)、西の丸・蔵屋敷(西方面)が配置されている。貴重なのは、本丸周囲に、空堀、竪堀など防御のための施設が遺されていることだ。

 竪堀の深さは約1メートルといったところか。周辺はよくお手入れされていて、とても分かりやすかった。敵の横移動を防いだり、城兵が身を隠したりしたという。
 クネクネの道を車で登っていくと、広々としたニの丸・三の丸跡に着く。ここには、全国から集められた様々な種類の桜が植えられているんだって。  そこから更に徒歩で約2分。急な坂道を登ると本丸跡へ。 本丸跡に建つ石碑
 本丸跡からの眺めも絶景。港にも近く、交通の便のよい土地だということがよく分かる。  本丸からは、西の丸・蔵屋敷に続く道が残されていて、「陶の道」と呼ばれていたらしい。今でもハイキングコースとして有名みたい。  これが、空堀、竪堀跡。地形を利用してほぼ平行に堀られていて、約26条遺されている。いいアイディアだと思うけど、造るのも維持するのも大変そうだ。

文化財
 若山城は、中世山城の姿を伝える貴重な史料として、県の文化財に指定されている。
 山口県の山城には、ここの他に、一国一城令のためわずか7年で廃城となった岩国城(吉川広家 築)などがある。
陶 晴賢(はるたか)
 周防守護代興房の二男。父の病死により19歳で家督を継いだ。(長男は父の逆鱗に触れ、既に討たれていた。)
武勇・軍略に秀でた人物で、「西国無双の侍大将」と呼ばれた。それになかなかの美男だったらしい。

 1551年8月、この若山城から挙兵し、山口大寧寺で主君大内義隆を自害に追い込んだが、1555年、毛利元就の謀略にかかり、安芸厳島までおびき出され自刃。享年35歳。
 広島県廿日市市に、晴賢の首塚がのこされている。また、一族の墓は、周南市龍文寺にあるらしい。
晴賢の辞世の句
なにを惜しみ なにを恨まん もとよりも
         このありさまの 定まれる身に

 35歳にしては達観してると言おうか、もの悲しいと言おうか・・・。それほど毛利元就の謀略が優れていたということなのだろうか?それとも主君を討った後悔と諦めなのか??
以上、若山城跡の紹介でした。


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