私の理由

ことば



2014年5月26日
 ジョニー・デップ「もしあなたが、動物に対する暴力の写真を見るのが嫌なら、ただ見ているだけではなく、暴力をやめさせるための行動をして。」

2011年6月3日
 福祉館で、食肉業者への差別問題を扱った、人権教育啓発ビデオ「白紙のページ」鑑賞。食肉は生きるために必要だという前提の基での話には、自称ベジタリアンとしては、ちょっと不満ではあった。
 ビデオには、徳島県の処理施設で牛や豚が解体される様子も映されていた。若い若い命を、食の楽しみのためだけに貪ることに、罪を感じる。オートメーション化される前の屠殺なんてもう、夢に出てきそうだ。ハンマーで仔牛の頭を叩いていた。悲しかった。

2010年8月6日
 台北のレストラン裏で見た光景。命あるものを殺し、食べる(時には残す)ことに大いなる疑問を感じる。

2010年7月19日
  各航空会社のスペシャルミールを調べる中で、たまたま知ったのだが、「マクロビオテック」という食事療法があるらしい。一つの食品を丸ごと食べること、ミネラルやカリウムの摂取を重視し、陰陽のバランスを取ることなど、今後留意したいなと思った。

2010年6月20日
  「私の牛がハンバーガーになるまで」再読。口蹄疫の次はヨーネ病で日本の牛達はまた苦しむのだろうか・・。著者はジャーナリストで、肉食を批判する立場で書いてなどいないが、読んでいて、どうもそこのところが氷解しない。どうしても、なぜ我々は肉を食すのかが気になる。「人間の霊性が欠如することで一番最初に苦しむのは動物」だというアシュラムのヒンドゥー教信者の話には大いに納得した。

2010年5月22日
 宮崎県で発生した口蹄疫は、未だ拡がり続けている・・。
 川南町・都農町周辺の幹線道路には、何ヶ所も消毒ポイントが設けられていた。「自主消毒ポイント」と示された所もあった。
 消石灰で、道は、雪が降ったかのように真っ白だった。  高速バスの車内や各種店舗内などあちこちに、義援金を募る場所があった。
 
 口蹄疫で命を奪われるたくさんの牛や豚達・・・。感染し苦しんで死んでいくもの、感染した(または疑いがある)ので殺処分されるもの、健康だが空白地帯を作るために殺されるもの・・・。どれもみんなかわいそうだ。

2010年4月18日
 チーズが、授乳中の子牛の4番目の胃から抽出される「レンネット酵素」で作られていることを知った。子牛を殺さずにすむ微生物由来のレンネット酵素もあるようだが、森永乳業も雪印乳業も、小岩井乳業、北海道日高乳業、明治乳業も、子牛由来のレンネットを使用しているらしい・・・。

 「私の牛がハンバーガーになるまで」を読み始めた。ハンバーガー用の肉の50%〜70%は、元酪農牛。つまり乳製品を消費することも、たくさんの牛の屠畜に加担していることだったのだと知った。
 

2010年4月7日
 春休み、東京のど真ん中にある「東京都中央卸売市場食肉市場」(「芝浦と場」併設)の食肉情報館へ行った。  ここに展示してあった、内澤旬子著「世界屠畜紀行」を帰宅後、早速購入して読んだ。感想はコチラ→「Booksの「vegan」の項。

2010年1月23日
 Sea shepherdの「Stop killing whales」と「Stop killing baby seals」を見た。アザラシがカナダなどで、あんな目に遭っているとは今まで全然知らなかった。気楽過ぎた私・・・。そして捕鯨に対するオーストラリア人の気持ち・・・。今まで「シーシェパードって何てことするんだ!」みたいな気持ちでいたが、一面的だったと初めて知った。  「動物の権利 フォアグラ編」UP

2010年1月6日
 昨年5月、ベルギーのゲント市では、毎週木曜日を「ヴェジタリアン・サーズディ」に制定。学校他、公共施設で肉食を禁止した。
 ポール・マッカートニーが提唱したロンドンの「ミート・フリー・マンデー(MFM)」も広がりを見せ、Vマークの付いたメニューのあるレストランが増えたそうだ。中国やタイ、オランダ、ドイツetcでもMFMを支持する人が増えているらしい。ちゅ、中国でも?・・と私は少し驚いた。だが菜食に限らず、志さえあれば、どこで暮らしていたって、できないことはないはずだなと感じた。私もできないことを周囲や環境のせいにせず、自分の責任と選択で生きていこうと思った。

2009年12月28日
 YOUTUBEで「毛皮の実態 養殖編」を見た。1990年に、当時世界最大の毛皮消費国だった日本でも吹き替え版が公開された。今またモコモコファッションが流行っている。みんなで見たい動画だと思う。毛皮のためにどれだけ人間が傲慢になっているのかがよく分かる。売るから買うんじゃなく、買うから売る。1枚のコートを作るのに、1tの飼料を必要とするのだそうだ。プロティンたっぷりの栄養を与えるのだそうだ。2005年度貿易統計では、1年間に日本に輸入されたと見られる数は、
・ミンク        71万匹分相当
・キツネ         8万匹分相当
・羊・ヤギ・ウサギ  1000万匹分相当
 言うまでもないが、私も加害者の一人。たぶん平均以上の悪質な加害者。悪いと分かっているのに、今年も毛皮のついた衣料を買ってしまった。
 他にも、「毛皮の実態 ワナ(トラバサミ)編」や「繁殖犬の最後の施設」などを見た。

2009年11月7日
 この頃のマイブーム。みかんと大根の葉を中心に、ドライ大豆やトマトやバナナなど、その時あるものを追加してジュースにして飲むこと。気のせいかもしれないが、腸がスッキリして快適。

2009年10月25日
 バスと新幹線で宮崎から帰ってきた。延々6時間・・・遠い・・・。お腹が空いたので博多駅で駅弁を探したのだが、私の見た全ての駅弁に動物性の食品が入っていた。買って食べ残すのも嫌なので、結局食べずじまい・・・。お腹が空いて倒れそうだった・・・。

2009年10月11日
 ポール・マッカートニーは言った。「屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるだろう。」と。
 今日は次男Hりんと、YouTubeで中国の猫市場(屠殺場)の動画を観た。生きたまま皮をはぎ、内臓を取り、ゆでたり切ったりして調理していた。知ってはいたけど、ショックだった。

2009年9月27日
 森達也著「いのちの食べかた」を読んだ。部落差別は肉を穢れと見なした歴史と共にあり、戦争もまたアジアの民への差別心が根っこにある。差別心を核にして成り立つという点で、肉食と戦争はとても似ている。無自覚で麻痺して暴走する人間の愚かさよ。真実を知ることが、人間らしく生きるための第1歩なのだと思った。

2009年9月24日
 幕内秀夫著「体によい食事 ダメな食事」を半分読んだ。次男Hりんが、「これ読んでみて。」と言って貸してくれた本だ。私もずっと感じていた「食」に関する不思議がいっぱい確認できた。
 同じ物を食べても太る人と太らない人がいることとか、ものすごく食べるのに痩せてる人がいることとか、子どもがなぜ巨大なウン○をするのかとか・・・。イヌイットなど、いっさい菜食しない人達が元気な理由等々・・・。
 我々が信じ、教えてきた栄養学なんて、食の働きの、ほんの一部、一面でしかないこともよ〜っく分かった。いろんな情報に振り回されず、昔ながらの日本食をめざし、しっかり食べていこうと思った。

2009年9月23日
 You tubeで、モロッコの皮なめし職人の仕事場を見た。糞尿にまみれ、虫まで湧いた不潔極まりない職場で、子どもまで働いていた。600年の歴史がある仕事なのだそうだ。

2009年9月22日
 アカデミー賞を取った「おくりびと」の1シーンだが、隣人にもらったタコを料理しようとするとそのタコが動き出し、広末涼子は仰天。夫と海に放しに行く。たぶん優しい気持ちで。生命尊重ってことなのだろう。しかし、別の日には「今朝絞めたばかりだから活きがいいって。刺身でもいけるって。」と楽しそうに鶏の死体を夫に見せる。何なのだろう、生き物に対するこの扱いの違いは。

2009年8月22日
 ヴィーガンの中には、革製品など食用以外の動物の利用を避ける人も多いそうだ。私は心が弱くてなかなかそこまでできないけど、ほんとはそうあるべきなんだろうなと思う。
 フルータリアンというのは、収穫しても植物自体を殺さないと考えられている食物を食べる人なんだそうだ。果物、ナッツ類、トマトなどの木になる野菜を食べている。 熟して落ちた実しか食べない人もいるらしい。・・・なるほど。

2009年8月21日
 蒲原聖可著「ベジタリアンの医学」と矢部武著「アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか」を読んだ。
 「ベジタリアンの医学」はとても客観的な内容で、ベジタリアンと非ベジタリアンの健康比較だとか、食の効用だとか、とても分かりやすかった。動物由来の食物をいっさい摂らないヴィーガン以外、全ての栄養素を得ることができるんだから、感情的にはヴィーガンを目指したくはあるものの、サプリメントを摂らない以上はヴィーガンになるわけにもいかないわけで、結局、日本人の多くが最近までしてきた暮らし方が私には向いてるなと思った。夏休みになってから牛乳や卵を摂らなかったが、今後はインディアン・ベジタリアン(ラクト・ベジタリアン)でいこうと思った。

 「アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか」では、差別心や克己心のなさなどの心の問題がクローズアップされていて興味深かった。

2009年5月31日
 自分も生きている以上、誰かの命をいただかないわけにはいかない。どこで折り合いをつけていくかは自分次第だ。私は今のところ、海の幸以外の動物性食品を食べないようにしているのだが、今日はかなりショックだった。これでよいのだろうか。良心が痛む。

 ショックな出来事とは・・・・都井岬で「伊勢エビ定食」を注文すると、刺身になってもなお手足や口を動かしている伊勢エビが出てきた。体を分断されてもまだ生きようとしている。いったいどの時点まで感覚があったのだろうか・・・。

2009年5月4日
 帰省した次男に、私がなぜベジタリアンを目指すのか話すと、自分もそれらの本を読みたいと言うので、これまで読んできた関連の本を全部あげた。若い次男が興味を持ってくれて嬉しく思う。 

2009年4月9日
 1日3食、自分の思い通りの物を食べることができた春休みが終わり、肉あり牛乳ありの給食が始まった。今のところ選択の余地(拒否する自由)は考えられない。黙ってありがたく食べたいと思う。 

2009年3月31日
 ハワード・F・ライマン/グレン・マザーの「まだ、肉を食べているのですか」の第7章「牛の惑星から砂の惑星へ」・第8章「奇跡を起こせ!賢く食べよう」・第9章「故郷へーそして、未来へ・・・」。に書いてあったのは、人類と地球の未来に向けた簡単な実践方法。とてもシンプルで分かりやすい生き方だ。化学農法は失敗し、土壌の生産性は劣化、癌が増加し若い人までもバタバタと死んでいる今、自分にできることを誠実に守って生きていたいと思う。

2009年3月21日
 デヴィット・ドゥグラツィアの「動物の権利」の第4章「苦しみ、監禁、死による危害」と第6章「ペット飼育と動物園」、第7章「動物を用いた研究」を読んだ。人間とは何と傲慢な生き物か。ただ人間の好奇心や欲望のためだけに繰り返される愚行に、もうすぐ終わりが来ることを願わずにはいられない。動物のエンリッチメントという考え方も初めて知った。

 その後、スーパーの肉売り場の前を通り、幾種類もの動物の刻まれた生肉を見てゾゾーンとした。

2009年3月17日
 最近、食生活が豊かになった。肉は料理も簡単だが、味覚も落ちると感じる。いろんな種類の野菜を食べるようになり、豆類の甘さだとか、それぞれの野菜の食感とかがよく分かるようになった。「肉を食べない方がよっぽどグルメじゃん。」って思う。

2009年3月15日
 「まだ、肉を食べているのですか」の第2章「わかりやすい真実」と第3章「自然に従い、よく生きよう」・第4章「ワシントンへー旅立ち」を読んだ。なぜ牧草しか食べなかった牛達が穀物を食べるようになったのか、そして穀物の汚染と肉の汚染が同じ理屈によって引き起こされていたということ、また見せかけの対策しか講じることのできなかったアメリカ政府の腐敗ぶりもよく分かった。

2009年3月8日
 「まだ、肉を食べているのですか」の第5章「狂った牛と、狂った役人」を読んだ。こうして人類は、新しい病気を生み出し続けていくのだなと思った。

2009年3月7日
 「動物の権利」の第5章「肉食」を読んだ。肉食が道徳的に正当化できない理由が分かりやすく述べられていた。工場畜産がそこで扱われる動物にどれほどの危害を及ぼしているか、知れば知るほど胸が詰まる。

2009年3月6日
国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で分かる。 マハトマ・ガンジー
屠殺場がなくならない限り、戦場もなくならない。 レオ・トルストイ
動物を殺すことが人間を殺すことと同じように犯罪としてみなされる日がいずれ来るだろう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ

2009年3月2日
 「動物の権利」の序論と解説を読んだ。まだ本論を全然読んでないけど、この本は評判通りの優れ物だと思った。分かりやすいし、専門的・学術的だし、多角的。「参考文献と読書案内」の他にも「日本の読者のために」という付録があり、読んでみたいと思える本がいくつもあった。

2009年2月28日
 「長生きしたければ朝食は抜きなさい」を全部読んだ。朝食抜きは自信ないけど、少しずつでも少食にしていきたいとは思う。

2009年2月26日
 ANIMAL TESTINGの動画を見た。力が抜けた。EUでは、来たる3月11日より動物実験が行われた化粧品および原料の販売が禁止となるらしい。EUではこれまで年間1300万以上の動物実験が繰り返されてきたが、日本は一国で2000万。1,6秒に1匹が犠牲になっているそうだ。

2009年2月25日
  「まだ、肉を食べているのですか」の第1章を読んだ。解体後の牛の脳や血液、骨、ひづめばかりか、排泄された糞便まで、人間の食料となる肉牛に食べさせていたとは驚きだ。他の家畜の病死体なども一緒くたにレンダリング・プラントで処理され、浮いてきた脂は化粧品や石鹸にも加工されるとのこと。年間24億$の巨大ビジネス。これが、文明社会を支えている。

2009年2月22日
 「長生きしたければ朝食は抜きなさい」を半分読んだ。変に狂信的な記述が気にはなったが、やっぱり食べることと排泄することの意味については、面倒くさがらず、しっかり考えなくっちゃねと思った。

2009年2月21日
 飲み会だった。肉食しないですむか心配だったが、しなかった。できるんだ!と、ちょっと嬉しかった。
 
 「狂食の時代」と「経皮毒」を読んだ。

2009年2月19日
 かっこいい革のコートがあったので衝動買い。煩悩の塊だ。皮を剥がされる動物の姿を知ろうとも、物欲に勝てないなんて。
 
 鶴田静著「ベジタリアンの文化誌」の最終章は、学校で実践された、”動物を育て、殺して食べる”授業について述べられていた。「殺して食べる」、「殺すために育てる」・・・私の疑問は晴れない。大事に育てた22羽の鶏を、川原で子ども達が首を落として羽をむしる。そして解体調理して、泣きながら、噛みしめて、大切にいただく。教育的意義は計り知れないほど大きいのだろうが、私なら間違いなく心に一生消えない傷を負う。イギリスの学校で行われた「一週間、肉のない食事を続けてごらん」の授業の方が、ずっと共感できると思った。

2009年2月17日
 肉牛1頭を育てるために、人間10人分の食料となる穀類が消費され、その10人は飢えて死ぬ。もっと早くに知っていれば救われた人命も(もちろん牛命も)あったのだ。この先も、ずっと肉食をやめなければ、私の欲望は、生涯に何十人もの人を死なせることになる。

2009年2月16日
 宮沢賢治の「よだかの星」も「注文の多い料理店」も、肉食嫌悪(生物間の不平等感)がベースだったのか。分かりそうで分からなかった世界観が、今頃になってようやく見えてきた。胸につっかえていた疑問が、「脱肉食」というキーワードによって氷解していく。

2009年2月15日
 鶴田静著「ベジタリアンの文化誌」を三分の一読んだ。これは驚きだった。予想以上の収穫だ。ベジタリズムとフェミニズムとの関係が、明快に論じられていた。性による分業のスタイルと肉食は、このような結び付きだったのか!健康で生き生きと力強く(←「ベジタリアン」の本来の意味)生きるために解決すべき問題が、こんなふうに同じ根を持っていたとは。

2009年2月14日
 台北の豚の解体工場の様子をYouTubeで見た。阿鼻叫喚の世界だった。耳に残る断末魔の叫び声。

 エリック・マーカス著「もう肉も卵も牛乳もいらない!」を読み終えた。特にパート2の「家畜たちの真実」は、人間として知らねばならないことばかりだった。人間の知性は、他の生物を犠牲にし、搾取し、自分達だけが繁栄するためのものではないはずだ。どんな生物にも、その生物なりの生があるわけで、それを人間の都合でコントロールすることが、どれほど不遜で許せない行為か、今一度考えてみなければならない。それは自分の健康を守るとか、長生きしたいからとか、そんな身勝手な理由ではなく、この地球に魂を持って生まれた1つの存在として。悲しく、苦しい内容だが、たくさんの人に読んでほしい。

2009年2月12日
 英会話教室の先生(アメリカ人)に話すと、ベジタリアンメニューがまだほとんどない日本で貫くのは大変だけど、とてもいいことだと言ってくれた。自分も実践したいけど、日本にいる間は諦めているとも。アメリカのプライベートスクールでは学校給食でも、ベジかノンベジかチョイスできるそうだ。

 エリック・マーカス著「もう肉も卵も牛乳もいらない!」が届いたので読み始めた。ネットで「狂食の時代」を注文した。

 中国の、毛皮生産の様子もYouTubeで見た。地面に叩き付けられ、生きたまま毛皮を剥がされ、丸裸の体はトラックに山積みされ・・・凄惨だった。
 
 2007年ミス・ユニバースの森理世さんは、動物愛護団体People for the Ethical Treatment of Animalsの抗議に共感し、今後は毛皮を着用しないことを宣言した。フェンディからの毛皮のプレゼントも断ったらしい。

2009年2月11日
 夫に話すと、すぐに賛成してくれた。「急に取り組むと料理のレパートリーが限られて大変だから、最初は緩〜いベジタリアンで行こう。」と言われた。私も、冷蔵庫にあるものは、食べとこう・・・と思ったので、「ゆるベジ」で行こうってことで落ち着いた。給食を拒絶することはできないしね。

 amazonで、エリック・マーカス著「もう肉も卵も牛乳もいらない!」(早川書房)と、鶴田 静著「ベジタリアンの文化誌」(中公文庫)を注文した。読み終わったら、「動物の命は人間より軽いのか - 世界最先端の動物保護思想」も読んでみたいと思っている。(いっぺんに買って積読になるのが嫌なので、3冊目はまだ注文してないけど)

決意へ〜2009年2月6日
 夜、YouTubeで動物達のmistreatmentの動画を見た。牛、鶏、イルカ・・・犬達も・・・・、あんなふうに殺されていたのか。人間の、本当はどっちでもいい欲望のために。残酷過ぎる。
 牛は涙を流していた。逆さ吊りにされ、脚をばたつかせ、激しく啼いていた。鶏も、投げ捨てられるように扱われていた。脚を骨折し、立てない個体も吊された・・・。イルカの喉元から流れる血で、海は真っ赤に染まっていた。
 
 インドに行った時、肉は食べなかったが不自由でも何でもなかった。いろいろなサイトを見て、動物性でなくても良質のタンパク質はいくらでも摂れることが分かったし、肉食をやめれば世界の飢餓も救えるらしいことも分かった。肉食に由来する現代病が増えていることや、やめると体調がよくなった人ばかりだということ、有名人にもベジタリアンは随分多いことなども初めて知った。ヨガの中の動物のポーズも、ひとつひとつが動物への尊敬から来るポーズだと思える。1人の肉食が、年間80匹の動物の命を奪っているそうだ。(別の計算では1人の人間が生涯に2000羽の鶏、7頭の牛、12頭の豚を食べている。)

 ベジタリアンになりたいと思い始めていた。

2009年2月4日
 道徳の時間に、金子みすゞの「大漁」と、大関松三郎の「虫けら」の詩を読み、命についての考えを伝え合った。

子どもの発言・・・「大漁」の感想
・みんな、命はあって、そしてなくなるのだと思う。奪うのも奪われるのも仕方ないのかもしれない。
・人間はみんなベジタリアンになればいいと思う。
・立場を変えると悲しみが見えてくる。
・人間の命を支える命に感謝したい。
・人間は生きるために魚を獲らないといけないけど、魚も生きたいだろう。魚は獲っても必ず獲りつくさないようにして、必要な分だけ獲ったらいい。
・大漁は人間にとってはいいけど、魚にとっては悲しいことだと思った。たとえ小さな虫でも生き物なんだから大切にしたい。
・命は1つだから大事にしたい。
・命は無駄にしてはいけないと思った。
・大漁を喜ぶことは正しいのだろうか。
・給食などで魚が出たら、残さず食べないといけないと思った。
・大きな生き物でも小さな生き物でも、必要以上に殺してほしくないと思った。
・生きるためには命を取るけど、無駄にはしてほしくない。
・金子みすゞさんは、魚の気持ちを考えることができてすごいな。
・魚だからって殺していいわけじゃない。みんながそう考えると絶滅する動物も減ると思う。
・人間じゃなくても命を奪うことに変わりはない。
・みすゞさんの言う通り、海の中では悲しむ魚がいると思う。
子どもの発言・・・「虫けら」の感想
・胸が痛くなった。自分はしたくないけど、やらなきゃ生きていけない。しょうがない気持ちがあった。
・かわいそうだけど仕方ない。命には限りがある。それが自然。
・虫でも魚でも人間でも、平気で殺しちゃいけない。
・虫も生きているのに、人間に好きに呼ばれてかわいそう。
・どんなに小さな生き物の命でも大切と思える人がいたらいいと思う。
・命の重みはみんな同じ。

→ ここで、「蚊でも命の重みは人間と一緒なんですか?」と質問が出た。→ 質問された子は、答えに窮していたが、結局「蚊も生きているけど、一年のうちに多くの蚊が生まれるのでいいと思う。でも命は大切に。」と答えた。両者が納得したのでそのままにしてしまったが、ここで教師の側からもう一言、命の価値は、相対的に決まるものなのかどうか考えさせる発問をした方がよかったかもしれない・・・。
・命の重みはみんな一緒と思いたいが、実際は実験では人間は使わないし、人間の命が一番重いのかもしれない。
・〜さんが、魚が給食などで出たら残さず食べないといけないと言ったが、私もそうしたいと思った。命を大切にしたい。
・虫も殺しちゃいけないと思った。

 授業終末で、山口県仙崎の鯨墓や、下関市のふくの供養祭のことなどを紹介した。結果的に、「千匹に一匹」の考え方に理解を示す子どもが増えたのだが、本時は命に関する考えを深め合い、その感性を磨くための時間として行ったので、オープンエンドとした。

 ・・・こうして、考えれば考えるほど、肉食についての私自身の疑問は、膨らみ続けた・・・。

きっかけ〜2009年2月3日
 国語科で、立松和平の「海のいのち」(6年:東京書籍)を勉強した。その中の、主人公の恩師の言葉、「千匹に一匹とればいい。そうすればこの海で生きていけるよ。」は、この物語全体を支え貫く思想なのだが、意外にも、この言葉に子ども達はこだわった。
 もちろん本来は、乱獲をいさめ、必要な分だけ獲り、次の代に資源を残すという意味だが、その必要量すら、子ども達の目には、殺生と映ったようだった。

 多くの人間は、肉も食べれば魚も食べている。けれど子ども達は、同じ地球に住む仲間の生をいただくこと自体に憤りを感じていた。肉食への疑問である。「千匹に一匹でもいけない。」全員の子どもがそう答えた。意外だった。

 家庭科で学んだ栄養群のことや、ペットをかわいがっている人でも肉を食べている人もいること、動物の捕獲なしには成り立たない暮らしもあることなど、人間の側の事情を説明したが、それは人間の身勝手に過ぎないと、なかなか納得しなかった。

 後日、「世界がもし100人の村だったら」や「子どもの権利を買わないで」など人間間の不平等や経済問題、貧困をテーマにした本の読み聞かせをした。その一方で、「傷つけられる動物たち」の読み聞かせや「サスティナブル・ユース」の考えかたについても紹介し、現実を見つめ、考え合った。

 ・・・子ども達の純真な意見に触れた私は、混乱した。「千匹に一匹」、それは最良の選択肢ではないのかもしれない。人間は、本当に肉を食していいのだろうか。共存とは、何なのだろう。


■ 子ども達が語った
    千匹に一匹でも、動物を殺すのは許せない理由
・千匹のうち一匹でもいけないと僕は思う。千匹のうち一匹にも、残りの999匹と同じ命がある。
・千匹に一匹でも、一匹の魚がかわいそう。
・命は物じゃなく生きてる存在だから、お金で買うのはいけない。
・動物を殺してまで、食べたりバッグを作ったりするのは動物がかわいそうだ。
・動物を殺すのは反対。「千匹に一匹」も間違っている。命は同じだから命は無駄にしてはいけない。でも「世界がもし100人の村だったら」では、20%は栄養が十分ではないわけで、仲良く分け合って食べるのがいい。
・人間の都合で動物の健康や命を無駄にしてはいけない。
・動物の犠牲の上で私達がいる。動物は何もしていないのに、傷付けてしまっている。動物は自分の生を誇りに思ってほしい。
・食べるのは仕方ないが、服やバッグにするのは反対。
・逆の立場だったら、どんなに悲しいだろう。
・世界には人間の勝手で死んでいく動物がいるということが分かった。



「yoshikoの部屋」へ

inserted by FC2 system