八 代 の ナ ベ ヅ ル 2004
(国の特別天然記念物)

    毎年、10月下旬から3月上旬頃まで、本州ではただ1ヶ所、周南市八代盆地(山口県)にナベヅルがやって来る。
ナベヅルは、遠くシベリアから約1ヶ月(2000Km)の旅をして、厳しい冬の寒さを避け命をつなぐため、家族ではるばるやって来る。

今年も13羽(6家族:幼鳥4)の鶴が、この八代盆地に降り立った。
鶴たちは、夜明けから夕暮れまで、ここで過ごし、夜になると山のねぐらに帰っていく。
 ┃┃  観光客用駐車場の看板  
看板には「現在13羽」とある。今年(2004年)は去年より2羽だけ多い。
今年の第1陣は、10月27日午前7時5分に確認された。

ナベヅルは、江戸時代までは全国各地に飛来し、まるでツバメかカラスのような身近な存在だったそうだ。それが幕末以降乱獲され、今では八代盆地と出水平野(鹿児島県)にしか降り立たない。その上、1940年の355羽をピークに、八代への飛来数も年々減少し、88年の70羽以降激減、96年には20羽となり、後に若干持ち直したものの、99年から再び減り始め、昨年度は過去最低を記録した。

八代で育った先輩によると、昔は学校に行く道々で、子どもたちのすぐ近くまで飛んで来ていたそうだ。しかし、今では遠くの田んぼに小さく小さく見えるだけだ。
┃┃  監視所のトイレにも、「只今13羽」の看板が  
道路脇などにも、羽数を知らせる看板はあっちこっちにある。

ねぐらやエサ場の整備とか、日暮れ後のエサまき(雨が降っても雪が降っても)、鶴の監視・観察など、八代の人々は、みんなで協力し合って、本当に一生懸命鶴を大切にしてきた。鶴の姿の工芸品もたくさんあるし、八代小学校のつる日記も有名だ。(子どもたちは、毎日午後4時から観察し、羽数や場所を記録している。)

だからこそ、今年も飛んで来てくれたんだと思う。
いつかは0になってしまうかもしれないけど、こうやって鶴を大切にする姿、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思う。
┃┃  更に、いろんなところに鶴のモチーフ  
↑ 橋の欄干もナベヅル
昔は、農家の前の田んぼをそれぞれの鶴の家族が縄張りにして、毎年飛んできていたのだという。
人間も「我が家の鶴」として、愛情を持って見守り、エサを与えていたのだそうだ。
↑ マンホールもね♪
八代には、「八代のツルを愛する会」「夢現塾(むげんじゅく)」
「ナベヅル環境保護協会」などの市民団体があり、
鶴を保護するための様々な活動を行っている。
↑ 郵便局の玄関脇には古そうな鶴の置物(?)があった。
┃┃  監視所内の剥製  
越冬中、怪我や病気で死ぬ鶴もいる。
最寄りの高水駅にも、これと同じような剥製がある。


ナベヅルの大きさは約100センチで、翼を広げると180センチにもなる。

眠るのは山間部の田んぼで、エサ場と同じく八代の人達が秋のうちに整備しておく。
明治時代から続いている年中行事なのだそうだ。

人々は、鶴が飛び立ちやすく見晴らしもいいように、茂った草を刈り取ったり、回りの木の枝を切ったり、収穫の終わった田んぼを耕したり、水を田やあぜに張ったりする。

鶴は、ねぐらで安心して休み、エサ場で草の実や昆虫、人がまく麦やもみを食べて、2000Kmの旅の疲れを癒し、再び飛び立つための体力を蓄える。
┃┃  鶴監視所  
ここが監視所。
監視所の大きなガラス窓からは、
エサ場の鶴がよく見える。(望遠鏡でね)
前身は、野鶴監視所で、昭和39年に建てられた。

近くには、「鶴いこいの里交流センター」があり、
ナベヅルの生態や保護の歴史を紹介している。
┃┃  句碑 
監視所のそばには、俳人 水田のぶほの句碑がある。
「鶴戻りくるや しみじみ夕ごころ」(昭和40年12月建立)

鶴のお墓や、鶴にまつわる伝説も八代にはいろいろ遺っている。
┃┃  お待たせしました〜。これがナベヅルです。ちょっとだけしか見えないけどご勘弁  
・・・っと、その前にぃ・・・これはデコイっていう、おとりの人形。
スピーカーから流す鳴き声で仲間を呼び寄せるためのもので、平成10年に初めて設置された。(以降、鶴のシーズンのみ毎年設置)
飛来数の減少を食い止めるための苦肉の策だ。昨年は、1羽の若鳥がデコイのそばで春まで過ごしたそうだ。
が、残念ながら、新しい鶴を呼び込むまでには至っていない。

写真は、呉市にお住まいの 鍵本 継司 さん http://www5f.biglobe.ne.jp/~JA4DCG/ が、
当HPにと提供して下さいました。鍵本さん、ありがとうございました。
いよいよ本物の登場です。じゃ〜ん!・・・と言っても、全然見えないぞ〜〜っ!
カラス(中央右寄り、黒い点2つ)に交じって、中央寄り、首の白いのがナベヅルです。
カラスの左、本体グレイよ。カラスよりだいぶ大きいです。
これ以上近づくことができないので悪しからず。
え〜〜〜っ??って言わないでね〜。私のデジカメじゃ無理でした・・・・。申し訳ないm(。−_−。)m

<鶴一口メモ>
 万葉集には46の鶴の歌がある。
  「沖辺より 潮満ち来らし からの浦 求食(あさり)する鶴(たず) 鳴きて騒ぎぬ」 (万葉集第15巻より)
*「からの浦」は今の周南市らしい。
              
 文政3年冬、八代魚切の宍戸藩士 林此面は、病鶴一羽を見つけて自宅に連れ帰り看病。その鶴の死後は、屋敷の裏庭の自宅の墓に葬り、墓石を置いて供養した。→「つる塚」
 明治28年春、瀬来孝蔵は、負傷して北帰行できなくなった鶴のために、毎日小川でフナやメダカ等を捕えて食べさせた。その鶴が死ぬと僧侶を迎えて供養し、自宅の裏山の山林に自ら刻んだ鶴の墓を建て埋葬した。→「鶴之墓」

 大正10年、この墓は古本社域 鶴身公園に移転され、その後病気や負傷のために死んだ鶴はそこに埋葬された。
 昭和11年12月1日、死んだ鶴の霊を慰めるため鶴供養の式典が行われた。
 昭和28年8月、進駐軍によって鶴の一部が撃たれた。
 昭和30年、鶴の句碑が2基建てられた。
  「籾拾う 鶴のまどい 乱すまじ」松野自得(八代公民館前)
  「藪道を 出て田の鶴と 顔合す」亘理寒太(市古元社境内)

勤めたことはないけれど、私の憧れだった八代小学校
 何と言っても有名なのは「つるよこいこい集会」。毎年、地元TVや新聞が大きく報道する。私も平成11年に1度だけ見に行った。八代小の子どもたちは、お客さんにもマスコミにも慣れていて、緊張することもなく、のびのびと活動していた。
「つるの舞」・・・地元の先輩の指導で練習し、運動会で披露している。
「つる日記」・・・続けるってすごいな〜。
「鶴の墓掃除」「監視所の掃除」「松かさツル工作」など




おしまい

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