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東行庵
西へ行く人を慕うて東行く 我が心をば神や知るらむ

【山縣有朋(手前)と 高杉晋作(奥)】


動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、
衆目駭然として敢えて正視するもの莫し  
(by 伊藤博文)


高杉晋作
 今日、8月20日は高杉晋作の誕生日。
・・・と言うわけで、ドライブかたがた下関に行き、維新について学んで来た。
 高杉晋作の偉業については今更語るまでもないが、何て見通しの利く、冷静でかつ激情の人なのだろうとホレボレした。

 
 歴史に「if」は言いっこなしだが、彼が27歳7ヶ月という若さで死んでいなかったら、日本はどんなふうに変わっていたのだろうと、つい考える。
 
おもしろきことなき世をおもしろく
東行記念館
奇兵隊灯籠
 高杉晋作率いる奇兵隊が、慶応2年(1866年)8月、四境戦争(第二次長州征伐を山口県ではこう呼ぶ)小倉口の戦いで小倉城を攻略した際、城下の延命寺から戦利品として持ち帰った灯籠。 「元治3年 奇兵隊」と銘記されている。

 実際には、「元治」は元年で終わり、「慶応」と改元されていたのだが、長州藩では、「慶応」を「慶喜に応じろ」の意味とし、「元治」の年号を使い続けた。
東行庵
 ここは、幕末に山縣有朋(狂介)が無隣庵(むりんあん)をあんでいた所だが、高杉晋作死後、その遺言により亡骸は奇兵隊本拠地に近いこの地に葬られた。
 愛人うの(谷梅処)の出家に伴い、山縣は明治2年無隣庵をうのに贈り、欧州に旅立った。
 現在の庵は、明治17年、伊藤博文・山縣有朋・井上馨らの寄付により建立されたもので昭和になって改築されている。
桜山神社
 大村益次郎が東京九段に靖国神社を建設するモデルとなったのが、この桜山神社なのだそうだ。全国初の招魂場のひとつで、発起人は高杉晋作。

 中央に吉田松陰、両側に久坂と高杉、そして奇兵隊や報国隊など維新の志士たち396柱の墓標がある。
 奇兵隊は、武士・農民の区別なく、志を同じくする者が共に戦った全国初の軍隊だが、死んでもここで平等に祀られた。
 身分を理由に卑しまれ、虐げられてきた人々にとって、それがどんなに誇りだったか、少しは想像できる気がする。
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