2015.12.27

福岡県朝倉郡筑前町
大刀洗平和記念館
 大刀洗飛行場は、当時ヤフードーム22個分の広さで、大正8年から昭和20年の壊滅までの歴史がある。旧日本陸軍九七式戦闘機、旧日本海軍零式艦上戦闘機をはじめ、大戦中の資料約1,800点が展示されている。ここで14〜16歳までの子ども達を指導し、その後知覧などの分校で実技を学ばせた後、実戦に参加させたのだそうだ。

 零戦以外撮影禁止だったので写真はないが、町営でここまで丁寧な資料館を運営している筑前町にリスペクトを感じた。

 展示の中で、「少年達はふるさとを思う清らかな気持ちで・・・」という言葉があり、ほんとに泣けた。敵兵もだが、味方も大人が子ども達をたくさん殺したんだという気持ちが拭えなかった。みんな貧しく、みんな必死だったし、心から子ども達を愛していたに違いない。そして、どこの国でも大人も子どももなくみんなで戦った(戦っている)のだとは思うけど、それでも結果的に最前線で子どもを盾にしたことは事実なんだと思う。

 戦場ジャーナリストの安田純平さんのレポートで、「戦地で子ども達が無邪気に遊んでいるが、彼らの姿を見て愕然とした。」というのがあって、みんな自爆チョッキを着て遊んでいるというのだ。いつ大人に呼び出されて、チョッキに爆弾を仕込まれても、「神様のもとに行ける。」と信じて自爆していくのだそうだ。

時代と国を越え、変わらない人間の冷血さや暴力がそこにはある。

人間らしく、平和に終生暮らしたい。それは自分だけでなく、他の全ての人の願いでもあるはずだ。何かの犠牲の上の平和を求めてはいけないってことだけは、肝に銘じておかなければならないと思った。




【館内で唯一撮影が許可されていた零戦】

寄贈者の希望で撮影が許可されたんだそうだ。
初めて知ったのだが、零という名前は皇紀2600年を記念し、末尾の0をもって命名したらしい。

天井には実物大のB29のワイヤー模型が吊されていて、あまりの大きさの違いにびっくりした。使われた鉄板の厚みも相当違い、零戦のものはペラペラだった。


【操縦席】
固くて冷たいこの中で、多くの子ども達が夢を、命を失っていった・・・。


【エンジン】

日本に残っている本物の零戦は現在9機で、実物大レプリカが他にいくつかあるらしい。
展示の中で、アメリカで復元されて飛んだ・・・という記事もあった。


学校帰りの子ども達が爆死したという記事は、涙なくしては読めなかった。30分ごとに上映されているDVDも心を打つものだった。


【戦後70年 戦時資料展】
2階で企画展が開催されていた。(2016年3月10日まで)
風船爆弾についてだった。風船爆弾についてこれほど詳しい展示を見たのも初めてで、とても勉強になった。戦争を市民目線で語り継ぐって大事だなと改めて思った。

 今年9月に「すみだ郷土文化資料館」の企画展を見たのだが、その時のことを思い出した。あれも、人々が東京大空襲の記録を残すべく奔走し、一人一人の人生に焦点を当てた素晴らしい展示だった。

どちらも、九州ローカル、東京ローカルにしておくのはあまりにもったいない、決して埋もれさせてはいけない資料だと思う。


【大刀洗レトロステーション】
平和記念館すぐそばの甘木鉄道の駅

inserted by FC2 system