竹内昌彦さん講演
「私の歩んだ道」

 涙ボロボロ、鼻水ジュルジュルで、社会福祉法人岡山県視覚障害者協会理事竹内昌彦さんの講演を聴いた。気を許すと大声で泣き喚いてしまいそうになる、そんなお話だった。「先生、めっちゃ泣いてましたね。」と、子ども達にも言われた。講演が終わって、本を買い、サインをもらいに行ったら、点字の名刺を下さった。「女は弱し、されど母は強しですね。」とか言いながら。

 帰ってYou Tubeで「拝啓 竹内昌彦先生」の映画予告編を見て、まだ、涙ボロボロ。私も死ぬまでには、何がしらかの社会貢献をしたいものだと思った。



 竹内さんが子ども時代に受けたいじめの話や、その克服の道のり、そして竹内さんが今どのようにして社会貢献しているかなどの話では、子ども達は感嘆の声を漏らしていた。




冒頭では、様々なユニバーザルデザインのグッズも紹介してくださった。

音声で時刻や気温、湿度を知らせる時計、万歩計などいろいろあった。

中国の天津生まれ。H24年現在で67歳。178cm。

生まれてすぐに戦争が終わり、山口県長門市の仙崎港から引き揚げてきたのだそうだ。

引き揚げの際、 40度以上の高熱で肺炎を患い、
命と引き換えに右目は失明、左目は0.1になった。
その後、小学2年の時、左目も失明した。


著書
 まだ、わずかながらも視力のあった、
小学校1年生の時の絵が表紙になっ
ている。
 講演会の収入で、モンゴルに
学校を建てる運動をしておられる。
 映画化もされる。



<子どもの感想>
 目が見えないということは、不自由なので、大変だなと分かった。給食にゴミを入れられたり、石を投げられたりしてかわいそうだ。助けてあげたいと思った。
 小学校の時、いろんな人に「めくら」と言われ、すごく悔しくて死にたくなったけど、それでもやり返したところがすごいと思った。
 みんなから差別を受けていたのに逃げずにいて、すごいなぁと思った。
 やられたらやり返すけど、けがをさせないというやり方がすごいと思った。
 自分の子が自分より先に死ぬなんて、とても信じたくないと思ったと思う。
 これからは、目の不自由な人がいたら、勇気を出して、「何かできることはありませんか。」「お手伝いしましょうか。」と言ってみようと思う。そして、目の不自由な人の役に立ちたい。
 死んだら3つの命がダメになってしまうことも教えてもらった。
 話を聞いている時、泣きそうになった。





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