高壺山・砲台山

2016/12/17訪問



    ★ 山口県下松市笠戸島に、忘れ去られた戦争遺跡がある。当時の発電所や探照灯、聴音機、砲台、弾薬庫、管理棟、兵舎などの跡である。
    ★ 戦後すぐに施設は破壊され、放棄された。
    ★ 元徳山工業高等専門学校教授の工藤洋三先生の説明を聴きながら、山上にある遺跡各所を廻った。

    

  探照灯に電力を送るための発電所跡
  
使用した水を冷やし、再利用するためのプールがあった。水はすっかり涸れていた。幅や長さ、深さ等を測定した。
戦争中造られた発電所は、他県も含め全て同一規格、同一の配置なのだそうだ。
 
 発電所のすぐ側には、井戸や台所、トイレ等、勤務していた者の生活の跡が残っていた。


  探照灯跡
  
探照灯で照らす方向や時刻は、聴音機で集められた音を解析し、指示された。
探照灯は大きな台座だけが残っていた。数十m離れた森の中にはガラスが今も飛び散っていた。
アメリカ軍が戦後爆薬で破壊したのだそうだ。残った鉄屑は、地元の人が集めて換金したとのことだった。

周辺には盛られた掩体が残っていた。

  聴音機跡
  
 当時のヨーロッパではレーダーが主流になっていたが、日本軍はレーダーよりも自らの身を隠しやすい聴音機の方を多く用いていた。
ここも台座だけが残されていた。

  レーダー跡
  
 日本ではレーダーの開発は遅れていたが、コンクリートが広く張られた痕跡はあった。
レーダー基地は隣市の太華山に建設中だったそうだ。
徳山空襲の時はB29から撒かれた電波妨害片ロープが付近でいくつも見つかっている。

  管理棟跡・兵舎跡・地下道跡
  
ここはちょっとした窪地になっていて、屋上がレーダー跡と同じ高度だったため、
すぐそばの木をよじ登って行き来していたと地元の人が話していた。

  
地下道の中。ここは十字路になっていた。

管理棟跡。煉瓦は崩れ、危険な状態になっていた。
通称「煉瓦道」と呼ばれた山道があり、大人も子どもの煉瓦を持って山登りをし、
施設建設の手伝いをしたそうだ。
 
兵舎跡



崖になっている場所では落ちてしまいそうで、なかなかのスリルだった。
目的地までの道が消滅している場所もあった。そんな場所では木々の間を掻き分けて進んだ。

数日後から首に激しい痒み発症。皮膚科では、ハゼの木によるかぶれだと言われた。
長州藩の経済政策「防長四白」により、山口県にはハゼの木が多いのだそうだ。




   





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