台北・烏来・九扮・
金瓜石・高雄・台南
・小琉球
2005/8/07〜8/11

嫌がる長男YY(大学2年生♂)を無理矢理誘い、またまた2人で旅をした。
今回、YYが出してきた条件は、「近い国」「時差のない国」「すぐ帰れる国」「少ない日数」「贅沢じゃないホテル」etc
と、いうわけで、これまでトランジットでしか降り立ったことのなかった台湾へ・・・。
「少ない日数」「贅沢じゃないホテル」に関しては、ちゃっかり騙して連れ出した。

あぁ、台湾!!

予想をはるかに上回る、底知れぬパワーと情熱を持った国。
信仰と忠誠、現実主義が入り交じり、
古いものと新しいものが融合し、
理想と許容、攻撃がない交ぜになった国。

自己主張と忍耐、孤独と繁栄etc・・・、
全てのものが混然一体化した国。

それが、隣国、台湾だった!

旅  程
8/7 福岡空港から台北中正国際空港へ。
台北市内観光



8/8 午前中、台北市内観光
午後、MRTとバスを乗り継いで、
先住民族の街、烏来へ。
タイヤル族の過去と現在の生活ぶりを知った。




8/9 東部幹線の列車とバスで、九扮および金瓜石へ。
日本統治時代の遺産を観賞。
夜、国内線で高雄へ移動。



8/10 フェリーで、離島の小琉球へ。
熱帯の自然を満喫。
夕刻より、高雄市内観光



8/11 西部幹線の列車で、台湾の古都 台南へ。
夜、慌ただしく帰国。




8月7日(日) 台北市内観光
建国暇日玉市
暇日花市 故宮博物院 忠烈祠

 建国北路の広いガード下にテントが張られ、ヒスイをはじめとした様々な光り物が、所狭しと並べられていた。「暇日」は週末のことで、土日だけ開催。 こちらも週末限定の植物市。天井から霧のシャワーが出ていて、迫力満点。他の市場より涼しくて気持ちよかった。  改装工事中で、宝物展示は大幅に縮小されていた。世界四大博物館ゆえ、かなり期待して行ったんだけど、残念。  辛亥革命や抗日戦線で命を落とした軍人を祀っている。(抗日戦線では、5年間で3万人以上が犠牲になったという。)忠烈祠は、かつて日本が建築した護国神社の跡地に建てられた。軍隊が運営していて、ものものしい雰囲気。儀丈兵は機械仕掛けの人形のようだった。

霧にかすむtaipei 101
原住民文化主題公園と
順益台湾原住民博物館
台北故事館 ホテル
高さ 508m。
世界一の高層ビルだ
 今回の旅で感じ取りたかったことの一つに、先住民の暮らしぶりがある。オランダやスペイン、漢民族、日本など、たくさんの国や民族を相手に戦い、山奥に追い詰められていった先住民は、今、どうしているんだろうか?台湾の風俗業のほとんどを、人口の2%しかいない先住民出身の娘たちが支えているこの現実を、どう受け止めたらいいんだろうか・・・? そんなテーマを抱えて訪れた。
 
 しかし!なんと博物館は5時までだった! な〜っ!! 一番に来ればよかった。(反省)
   日本統治時代には見晴らしのいいこの場所に台湾神社があったそうだ。

 家具や調度品、ロビーや食堂等々、どこもかしこもゴージャスな造りで満足した。さすが、政府の賓客を迎えるためのホテルだ。ロビーには、有名人の訪問時の写真が飾られていた。
夜、台北最大の夜市、士林夜市へ。近くに大学があるせいか、若者でごった返していた。



8月8日(月) 午前:台北市内観光/午後:烏来へ
孔子廟の入り口
保安宮 どこかの国の大使館 龍山寺

 台湾全土でただ1ヶ所の、国が管理する孔子廟。ガイドブックには「無休」と出ていたが、入り口には非情にも「月曜休」の文字が!!  医学の神様 保生大帝が祀られている。朝早くから、地元の人がたくさん集っていた。  明るくて陽気なノリの大使館だったので、ついパチリ   台湾で一番古いお寺。たくさんの地元の人々が、黒装束(気温は30℃以上だというのに!)で一心不乱に祈っていた。その読経は大音響。お寺だけど、菩薩だけでなく道教の神々も一緒に祀られていた。何でもOKみたいなところがちょっと日本的かも。

行天宮
総統府 台北府城東門(景福門) 何だかツルツルになったぞ〜〜

 商売繁盛を祈る人々が訪れるお寺。周辺には占いの屋台が多く、「日本語OK」の看板も。  日本時代に造られた、日本人の建築家の作品。高さ60mのタワーを中心に、左右対称のルネサンス様式。上空から見ると「日」の字になっているらしい。周辺にも日本時代の建物がいっぱいだった。  清の時代に台北の街を囲んでいた城門の一つ。   うぶ毛取りに初チャレンジ。凧糸でうぶ毛をはさみ込んでは抜き取っていく。

中正記念堂

 高さ6,3mの蒋介石の銅像を守っている衛兵。ピクリとも動かない。何を考え、立っているのだろうか?   高さ70m、大理石でできた本堂。階段の数は蒋介石が亡くなった時の年の数なんだそうだ。

 食事の後、タクシーで台北駅へ。そこからMRT(1996年開通の新交通システム)で終点新店駅まで行き、バスに乗って先住民族の街、烏来に行った。 もう、何が何でも先住民族に会わなくては!台湾の先住民は、大きく10の部族に分かれ、それぞれが独自の文化を守っている。そのうちのタイヤル族は、アミ族に次ぐ人口の部族で、アミ族より台北近くに住んでいる。
 どんなに大変でも烏来に行くぞ〜〜〜っと、気合いを入れて出発した。

落差80mの「白糸の滝」
街並みはきれいに整備されていた。 YYの結婚式 ? 私も記念写真に収まったじょ

 烏来バスターミナルから徒歩10分、トロッコ5分の山奥にある。  道の両側は全部お土産物屋さん
 かっこいいワンピースを買ったが、店主は全然負けてくれなかった。なかなか商売がうまいにゃ。
  じゃなくて、タイヤル族のショーの結婚式シーンに参加させられたYY。踊り子は美人揃いだった。アルバイトの人もいるのだろうか?それともみんなタイヤル族の娘さんなのだろうか??  

なんて懐かしい光景なのかしら!
トロッコの通る線路 更にロープウェイで山奥へ
 まるで日本の片田舎の温泉街だ。  トロッコは、森の中をゆっくりのどかに走った。   登り坂が多くでヘロヘロになった。YYは、さすがに若い。「雲仙楽園」への坂道も軽々登っていた。  


 「酋長文化村」で機織りをしていた酋長の娘さんと、少しだけ話をすることができた。伝統を守りながら、誇りを持って生活している様子が窺えた。

 烏来から帰ると、士林美食街へ。量も味もお値段も文句なしで、いろんな地元料理を食べ歩いた。
 物乞いをしている人を幾人か見かけた。片足のない人、片腕のない人、両腕のない人もいた。これだけインフラが充実した国で、彼らは社会に守られないのだろうか?彼らが自活できる手段って、これ以外にないのだろうか?





8月9日(火) 九扮・金瓜石

 台北駅から東部鉄道の電車に乗り、瑞芳で下車。それからバスに揺られて山の奥深くにある九扮に行った。
 ここには昔、9件しか家がなく、町で生活用品を毎回9セットずつ買い込むのでこの地名がついたそうだ。
 九扮も、烏来に勝るとも劣らないノスタルジックな町だった。


バスの便は意外に多い。
九扮のメインストリート 豎崎路 眼下には太平洋

 あっちこっちにセブンイレブンがあった。  階段をコツコツと登っていく。
周辺のレストランの従業員が、大荷物を抱えて登っていた。車も入れないし、ほんとに毎日大変だと思う。
 

更にバスで10分。くねくね道を登ってひと山越え、ゴーストタウン金瓜石へ。
バスの運転手さん、すごい乱暴な運転で、乗客はもう、みんな吹き飛ばされそうだった!

かつては金鉱で栄えた鉱山の町
太子貴館 修理されないままの木造民家
 至る所に廃坑が。  1923年、昭和天皇が皇太子の時代に視察に訪れた日本家屋  1930年頃から70年代まで、日本はここの開発に力を入れた。

世界一大きな、金の延べ棒
お墓 黄金神社跡
 重さは220s  海を見下ろす高台に建っていた。   鳥居をくぐり、ものすごい階段を登りきると現れた。今は、燈籠と石柱を残すのみだ。


 金瓜石は、かつての日本がそのまま残る、時代に取り残されたような町だった。
 
 この後、大急ぎで台北に戻り、飛行機で台湾第2の都市高雄へ飛んだ。さすが台湾のドル箱路線というだけのことはある。小さな飛行機だったけど、座席はビジネスマン風の人たちで満席だった。女性は3〜4人しか見かけなかった。
 空港では疲れを癒すため、全身マッサージ。2人がかりでぐいぐい揉まれ、身体がスーッと軽くなった。

 夜、六合路夜市&南華路夜市へ。高雄はネオンもチカチカで、台北よりは日本の雰囲気に近い気がした。




8月10日(水) 小琉球へ/高雄市内観光

 朝食を済ますと、高雄駅前からバスで東港に向かった。
 港はバス停から離れていて、バスを降りるとどっちに行けばいいのか皆目分からなかったけど、人に聞きながらようやく到達。ここでも英語は全然通じなかったが、身振り手振りと漢字の筆談で、どうにかクリア。言葉が通じないって、ほんとに不安だ。だけど、「日本から?」って笑顔で話しかけられたり、「日本人、日本人。」って別の人に紹介されたりして、何だかほのぼのとした温かさを感じた。

フェリーで小琉球に渡った。
珊瑚の海に浮かぶ花瓶岩(右) 島中が、珊瑚の岩でできていた。  海岸沿いに、12の洞窟
 小琉球は、いかにも熱帯らしい、極彩色にあふれる島だった。  グラスボートにも乗ってみた。石垣島で見た時と同じで、ちょっと珊瑚に元気がなかった。      名前の通り、沖縄にかなり似てる風景だった。

 建築中だったけど、ここにも派手な装飾の寺院があった。
  どの町でも、庶民の生活の中心に信仰があるみたいだ。

 どこにでもいるものだけど、ここでも、ものすごくしつこいバイクタクシーのおばさんに出会った。優しい人もいっぱいいるけど、こういう人も必ずいる。

 「No,Thank you.」って何回断ってもついてきて、小琉球の地図を見せたり自分のバイクを見せたりして、大声で売り込むの。長男も中国語で「いらない。」って何回も言ったけど、引き下がらない。長い階段の上まで追ってきて、写真撮ったりしてても邪魔するので、もうピキピキよ。「ついて来ないでよ!観光してるんだから!必要ないってさっきから言ってるじゃん!も〜、あっち行ってよ!」って日本語で叫ぶと、どこかへ消えた。 (こういう時は日本語に限る。) 長男は、びっくり顔で、「か、かーさん、強いねぇ・・・。(^^;;;」 

 あのおばさんも、家へ帰れば誰かの母親で、もしかしたら自分のバイクタクシーの収入だけが一家の命綱なのかもしれないんだけどね。でも、やっぱりああいうしつこい売り込みはねぇ・・。


   〜 小琉球からの帰りの出来事 〜

 船を降りると、経験則から港で客待ちしているタクシーには乗らず、流しを探した。でもなかなか見つからない。病院の前だったら誰かが乗ってくるかも?って思って、総合病院の玄関でしばらく待ってみたが、それもダメ。 で、病院の警備員にタクシースタンドがないか尋ねたが、英語も筆談もうまくいかず、受付に連れて行かれた。何とそこでも英語通じず。暑いし疲れたし、言葉は通じないし、ゲゲッって困っていると、受付のお姉さんがどこかに電話。「ふへ〜、患者でもないのにお手数かけてゴメンナサイ。外で探しますから。」って出ようとすると、廊下の向こうでドクターがおいでおいでと手招きしてる。ちょっと恐縮。だけど、「Can I help you?」っ言われた時には、「きゃ〜、英語が通じる〜っ!」って嬉しくなった。

 そこで、厚かましくも、高雄に戻りたいことや、バスは難しいのでタクシーで最寄り駅まで行って電車に乗りたいことなどを話してると、あっという間にいろんな人が集まってきて大騒ぎ。「え?何?これってそんなに難しいことなの?でも、来れたんだから帰れるハズよね?だけど帰りは便がものすごく少ないとか???」など、頭の中は疑問符でいっぱいに。

  「え?ホテルはハワードですけど。」「ええ、昨夜も歩き回ったから、周りはよ〜く分かります。」「市内まで戻ればホテルにはバッチリ行けます。」などと話すたびにドクターがみんなに通訳。それでまたみんながワイワイガヤガヤ相談開始。中には私に向かって、「Thank you.Thank you.」とだけ繰り返している患者さんも・・・(^^;;  

 で、結局、バスで帰るのが一番の方法だってことや、バスの乗り方・降り方等を、ドクターが懇切丁寧に教えてくれた。そして事務員らしき人がバス停まで連れて行ってくれて、あのバスだと指定。私は手を振りながら(アピールしないとバスは止まってくれない!)、猛ダッシュ。 乗ると、あっという間に発車した。乗るときに運賃を払うバスも、降りる時に払うバスもいろいろあるし、車内には行き先表示なんてないし、乗る場所も降りる場所もまるで分かりにくくて敬遠してたんだけど、お陰で簡単に利用でき、感激だった。
  
 朝も高雄駅前のターミナルで、知らないおじさんに乗り場まで連れて行ってもらったのよね。観光地では日本語パンフをわざわざ持って来てくれたり、パンフレットに出てる場所はここだと案内してくれたりする人もいた。台湾の人って、ほんとにすごく優しいのね。

 ありがとう! みなさん!


 
 小琉球から帰ると、タクシーで高雄市内の観光に。どこに行っても関羽は人気。あっちこっちに祀られていて、ちょっとビックリだ。

龍虎塔
左営蓮池潭は、面積が約7ヘクタールの淡水湖。いろんな見所が集まっている。 北極玄天上帝像
 龍から入って虎から出れば、罪が浄化されるという。  魔物が入って来れないよう、橋はジグザグに造ってあるらしい。  道教の神様で、高さは21m。

啓明堂
ハワード・プラザ・カオションからの眺め 春秋閣の龍の内部
   30階建ての28階、デラックスツインに泊まったのよ。シャワーブースも別だったし、広々とした部屋でリラックスできた。贅沢なホテルは嫌だって言ってたYYも喜んでくれたから、よかったわん。  仏教説話が描かれている。

夜は、新堀江ショッピングゾーンに行った。どこから集まるのか不思議なくらい、お客は若い人ばっかりだった。




8月11日(木)台南へ

 台南に行った。
 台南は、英雄 鄭成功がオランダ軍を撃退して以来、200年以上に渡って台湾の中心として栄えた都だ。
 こぢんまりとはしているが気品のある、京都みたいな町だった。

台南大天后宮
台湾府城隍廟 高さ1m、幅4mの巨大なソロバン 赤嵌楼
 柱の彫刻は台湾一と言われている  城隍爺が、地獄行きか極楽行きかソロバンを弾いて判断するらしい。  庭には、鄭成功とオランダ人との講和シーンが再現されている。


延平郡王祠
鄭成功の母は、長崎平戸の田川家の女性だ。  台湾最古の孔子廟
 柱の彫刻は台湾一と言われている。 日本統治時代は、開山神社と呼ばれていた。  近松文左衛門の「国姓爺合戦」のモデルになった。   お祭りだったみたいで、天女みたいな皆さんに遭遇した。テレビカメラもいっぱい来ていた。  この他、祀典武廟、開基武廟、臨水婦人廟、民生緑園等、観光した。臨水婦人廟はお祭りだったみたいで、ものすごい人出だった。
 
 この後、市場を散策し、タクシーで台南駅まで行ったんだけど、ここでもちょっとしたアクシデントあり。複数のタクシーの運転手さんと意思の疎通ができなかったんだよね。地図見せたり、メモ見せたりいろいろしたんだけど、なぜか目的地が分かってもらえなかった。構内は乗り入れられないってことだったのかもしれないんだけど、向こうは中国語だし、こっちは英語だし、お互いが何言ってるのか理解できなかった。結局は駅前のホテルで降ろしてもらうことができたんだけど、なんで通じなかったのか不明。「近くでもいいから。」とかいろいろ言ったんだけどね。言葉が出来ないって、こんなに虚しいことはないのだわ。

 台南からの帰り、電車が遅れたのでヒヤヒヤしたが、どうにか飛行機には間に合った。空港では文字通り1分の無駄もない、完璧な移動となった。(こわ)


気 候
 気温は毎日33℃〜34℃だった。湿度も高く、日本と同じじめじめした暑さだが、1年中夏のせいか、その暑さを人々はあんまり気にしていないみたいだった。クーラーがなくてもとってもパワフル。扇風機だけで過ごしている家もたくさん見かけた。
 
 雨季だったが、幸いにも1日目に少し降っただけで、雨は降らなかった。2日間の台風の後だったので、一層晴れ上がっていたのかもしれない。

日本との関わり
 日本とものすごく関わりの深い国だってことがよく分かった。
 日本にとって台湾は初めての海外領土
だったためか、インフラ整備にかなりの情熱を持って取り組んだようだった。だから、オランダに支配されていた時よりはマシという考えが、台湾人にもあるみたいだった。
 デパートや夜市では、「日本流行品」などと宣伝しているところも多かった。日本のファッションを参考にしてる若者もいるらしかった。ジュディ・オングやビビアン・スーは人気者のようだった。

 私が予想していたほどにはかつての日本支配を嫌悪している人は少なく、それよりも、中国本土との確執、本省人・外省人の感情の対立、先住民族との関係etc・・の方が、現実的な関心事という印象だった。
 
 台北では、「抗戦勝利60周年展 anniversary of Victory for the War of Resistance against Japan」という看板を一度だけ見かけた。是非とも展示を見てみたかったけど、バスに乗ってたし、地理が分からなかったので通り過ぎてしまった。とっても残念だ。

食 べ 物
 屋台やレストランでは、何しろ量が多かった。種類も豊富。お粥だけでも何十種類もあった。でも、暑かったし、たくさん歩いたので、いつもみたいに旅で太るってことはなかった。ほっ
 
 スーパーやデパートでは、特にお菓子や加工品は、台湾のオリジナル食品を見つけることの方が難しかった。ほとんどが日本製で、日本語の見慣れたパッケージばかり。日本にいると錯覚してしまうほどだった。

長男の北京語
 YYは、会話できるってほどでもないが、相手の言ってることは、所々ほんのちょっぴり分かるみたいで、ちょっとだけ頼りになった。(^o^) 地図読み係もほとんど引き受けてくれたので助かった。だけどまぁ2人で途方に暮れることの方が多かったかもね(^^ゞ)



以上、長男YYとの2度目の2人旅でした〜。謝謝

COPYRIGHT BY Yoshiko 2005
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