体験者に学ぶ(5年)

 被爆の翌日、焦土と化した広島に入り、救援活動を行った村中さんをお招きし、お話を伺った。

14:00〜14:10 あいさつ
 どんなに村中さんのお話を楽しみにしていたか、代表者があいさつした。
 ほんとにみんな、この日が来るのを指折り数えて待っていた。
 
14:10〜14:45 講演
 村中さんは、81歳とは思えないお元気さ。ご自分を「じいちゃん」と称し、孫に話すように、分かりやすく丁寧に語って下さった。

    
 みんな真剣な表情で聞き入った。
 たくさんの死体で救助船が着岸できなかったこと、死体を積み上げ重油をかけて火を付けたこと、瓦礫に埋もれ声もなく助けを求めていた人を助けることができなかったこと、死んだ子の治療を求めて救護所にやって来た女性のこと・・・・、次から次に話される悲惨な話に、子どもたちは身動きもできなかった。
 
 ひと言も聞き漏らさぬよう、メモを取りながら聞いている子も多かった。

 

休憩時間
 地元のテレビ局が取材に来た。子どもたちへもインタビュー。
 講演の様子は、夕方の「ゆうゆうワイド」で放送された。
14:50〜質問・感想コーナー
【Q 広島で一番恐かったことは何ですか?】
 A「広島では、恐いとも暑いとも思わなかった。死体の山に火を付けた時が一番恐ろしかった。」
【Q 広島には生き物がいましたか?】
 A「犬も猫もハエも蚊も、最初の日には何もいなかった。3日するとウジがわいた。」
 A「どこにいたのか分からないが、いないと思った犬が、あっちこっちで一斉に吠えた。その直後、被害調査のB29が来た。」
【Q 中国での戦争のこと】
 A「中国の前線では、初めは怨みも縁もない人に向かって発砲することができなかったが、味方が殺されると、相手に銃を向けることができた。」
 悲惨な方法で子どもや女性を殺したのかという内容の質問をした子がいたが、村中さんは「そんなことはしていない。」とキッパリおっしゃった。あ、違ったんだ、よかった・・と思う一方で、しかし紛れもなく中国や南方で残虐非道の限りを尽くした日本人もいたことを、我々は決して忘れてはならないと思った。
 

 この他、たくさんの子どもたちが感想を述べた。話してもらったことを心の中で反芻し、自分の言葉として表現しようとしている・・・私にはそんなふうに見えた。彼らをとてもたくましく、頼もしく感じた。

終わりのあいさつ
 児童代表のOさんは、話してもらったことをどんなふうに感じたか、素直に表現した。村中さんはこのあいさつを、とても喜んで下さった。
<子どもの感想>
・ぼくたちのために、今まで誰にも言ったことがない話を教えてくれてありがたいと思う。ぼくは広島に行っていろんなものを見たけど、村中さんのお話を聞いてもっといろんなことが分かった。村中さんは中国にも行って、銃を向けるのが嫌だと言っていたけど、ぼくも嫌だ。

・ぼくが60年前に生きてて原爆の被害に遭ったら、ぼくは生きる気がしなくなると思う。広島も被害を受けたけど長崎も被害を受けているのでそのことを忘れてはいけないと思う。村中さんは広島にも行って中国にも行ってすごくつらかったり苦しかったりしてそれを乗り越えて生きているので、ぼくも村中さんを見習って、一生懸命いきていきたい。
・私は5年生になって平和学習をして初めて広島に原爆が落ちたことを知った。どうして戦争が起こったのかと思う。村中さんが言ったように、隣の人から順番に仲よくしてくれれば、もう戦争なんて絶対にないと思う。
・戦争でどんなことがあったか、どんな苦しみがあったか改めて分かったし勉強になった。今後一生、このようなことが起こってほしくないし、人間がどんどん死ぬのは嫌なので、あやまちは繰り返さないでほしいと思った。そのためには仲よくして平和な世界をつくりたいと思う。

・その時代に生まれなくてよかったと思った。
・まだ原爆のことを知らない1年生や4年生に話していきたいと思う。
・とても悲しい話だったけど勉強になった。私は日本が悪いことをして戦争が起こらなかったら、原爆で誰も死ななかったと思う。

・今度からは、ぼくたちが平和にする番だと思う。どういうことをすればいいのだろう?殺し合いのない平和で幸せな世界になってほしい。戦争はおもちゃのコマで戦って勝敗を決めたら人を殺さなくてすむと思う。
・今、北朝鮮が武器をつくっているけど、戦争は起こってほしくない。
・ぼくもどんどん仲間が死んでいったら、銃を撃ちたくなくても撃つと思う。
・男の子の話が心に残った。
・子どもの死が受け入れられない母親がかわいそうでたまらない。もう、戦争をしたり爆弾を作ったりしてほしくない。私たちは原爆のことをもっっとたくさん知って、平和を受け継いでいきたい。
・隣の人と仲よくしないといけないということが分かった。ぼくはすぐ怒ったりするので、我慢して友達と仲よくするようにしたいと思う。
・広島の資料館より多くのことを聞けたのでよかった。パネルや資料を貸して下さった時もびっくりしたけど、今度は岩国からわざわざ来て下さると聞いた時、もっとびっくりした。私は村中さんのことを絶対に忘れない。来て下さって本当によかったと思う。村中さんも、勇気を出して言ってくれた櫛浜小のことを絶対に忘れないでいてほしい。
・ぼくは村中さんの話を聞いて原爆がすごく恐くなった。それに広島に落とされたのに山口までドカーン!!という音がしたということは、それほどすごいパワーなんだなと思った。生きている人もすごい火傷をしてウジがわいたけど、それでも生きている方がよかったと思う。命はそんなに簡単になくしてはいけないと実感した。

・村中さんは中国の戦争に志願したけど、どうしてなんだろう?
・絶対に核を作っても使っても使わせてもいけないと思った。

・軍隊が伝書鳩を飼っていたことや基地のことなど、初めて知った。

・私はパソコンでいろいろなことを調べたけど、村中さんがお話してくれたような詳しい内容は全く調べられなかった。だからお話を聞いて本当によかったと思った。私は日本も悪いしアメリカも悪いと思う。村中さんは私たちに話してくれたことをもっと他の人にも教えて知らせてあげた方がいいと思う。日本、そして世界のいろいろな人に、人を殺すのは絶対にいけないことというのを知らせてほしい。
・ぼくは平和記念資料館に行った時、漢字があまり読めなくて何て書いてあるのかが分からなかった。でも村中さんが優しく教えてくれたから、広島で分からなかったことも詳しく分かった。
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