差別とは  (6年)

昨日は、周南市在住の被爆者Sさんを招いてお話を聴いた。
そのお話の中に「転校してからは針のムシロだった。」というくだりがあった。
被爆しなかった人々の好奇心・差別心、それが被爆者Sさんの心を傷付け続けた。

なぜ人は人を差別するのだろう。

今、社会科の学習は、ちょうど明治時代にさしかかった。
明治4年、解放令が公布されたが実効的政策はなく、
部落民は地租徴収によりそれまでにも増して苦しめられるようになった。
なくなるはずだった部落差別も引き継がれた。

近代国家を目指しながらもなお、我々は差別を必要としたのだ。
それはなぜなのか。

被爆者への差別、そして引き継がれた部落差別。

差別って何なのだろう。



今日は、森 達也著「いのちの食べかた」の一部を教材に、
差別とは何なのか、話し合った。

子ども達の意見・感想
 
 私も、今「あれが差別だったんだ」と、やっと思い始めた。なので、これからは何を言うにも何をするにも、よく考えてしたい。あと、「差別する誰かを必要とした。」というのは本当だと思う。

 差別の苦しみや悲しみが分かってきた。私は、この森達也さんが書いた「家族を愛し、仕事に誇りを持ち、つらい時は歯を食いしばりながら、うれしい時は大声で笑う」ことが一番大切だなぁと思った。

 自分がされて嫌なことはしたくない。

 差別はいけないと分かっていても、自分もどこかでしていると思う。

 私も無意識に差別をたくさんしていたと思う。これくらい、これくらいと重なっていったのがこんなに大きな後悔になるとは思ってもいなかった。「差別」と書くと2文字で済むけど、その意味を考えてみると、2文字どころじゃない。原稿用紙何枚でも書ける気がする。森達也さんのように、もっといろいろな見方で考えてみたい。

 もし自分が差別されたらものすごく悲しいと思った。なぜ人の気持ちが分からないのか。自分がされたらどう思うか、差別した人に訴えたい。

 この世界にはすごく差別が存在することが分かった。他人のことでも、自分が関係あると思わなくてはいけない。

 差別されても声を上げる勇気がすごい。

 差別は絶対に、何があってもいけないと思った。差別が残されたのは、不満をそらす「はけ口」と考えられているが、ぼくは「はけ口」だけではないと思った。

 差別って大変なぐらいに人を傷付けて苦しめるものなんだと思った。差別は人の心を傷付ける凶器なのかなと思った。知らぬ間に自分もしているかもしれない差別は、すごく怖いものだと思った。

 どれだけの人を苦しめて、何万人の人が死に、そんなことをして何になるのか。

 差別とは、差別する方もされる方も、心が悲しい。差別する人は、命令したりして、そのどこが楽しいのか全く分からない。でも心の中では、命令したくないと思っているかもしれない。

 出身地や何かの子孫ってだけで差別があったなんて信じられない。

 絶対に差別はしてはいけない。

 と場で働いている人のお陰で肉を食べられるのでありがたい。

 「ぼくらがいつの間にか目を背けていた場所にも大勢の人たちが生きてきた。家族を愛し、仕事に誇りを持ち、つらい時には歯を食いしばりながら、うれしい時には大きな声で笑いながら生きている。それを忘れちゃダメだ。」という所が大事だと思った。

 みんな同じ人間。

 先生の話を聞いて、私も差別したんだなあと思った。知らないうちに友達を傷付け、何にも思わない自分に腹が立った。国同士の差別もそう。この差別は誰かが止めないと終わらない。だから、これから誰かが小さな差別を止めないと、ずーっと気付かないまま進む。だから、Sさんのように、差別の苦しみを次の人に教えないといけないと思った。この世に残そう、差別のない世界
 
授業を終えて
 残念ながら、子ども達ひとりひとりが、自分の生活を振り返る所まではいかなかった。
 しかし、差別の元は国策など別の誰かが決めたものの中だけにあるのではなく、それを必要とし、支える自分自身の心の中にもあるということが分かれば、今回はよいと思った。
 道徳などの時間に、補完していきたいと思う。

 気付かないうちに自分も加害者となっていたかもしれない、そう思った子どもが何人かいたのは成果だった。これからも人の苦しみをおもんばかりながら、毎日を優しい気持ちで生きていってほしいと思う。 
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