田原坂

 国内最大で最後の内乱、西南戦争の激戦地、田原坂に行った。

田原坂公園

 ツツジや桜の名所らしい。

「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」

田原坂公園からの眺め
 田原坂は、長さ1.5kmのゆるやかな坂。一の坂、二の坂、三の坂からなる。

 2月から籠城中(2月22日に薩軍は総攻撃を仕掛けたが、薩軍は一兵も城内に入ることができなかった。)の熊本城まで武器や食料を運ぶたった1本の道だった。(大砲を引いて通れる道幅があった。)

 明治10年(1877年)3月4日から17昼夜、南下して熊本城を目指す官軍小倉連隊と、これを阻止しようとする薩軍が戦った。

 3月20日、官軍は総攻撃をかけ、田原坂は陥落。これによって薩軍は熊本城の包囲を解き九州山地を敗走。9月24日、西郷隆盛と薩軍幹部は、鹿児島岩崎谷で自決した。
 「大駐車場」に通じるこの階段の脇には、「西南の役 田原坂公園」、説明板にも「西南の役」と書いてあったが、何だか違和感が・・・。「役」って、官軍側からの言い方だよね。(長州では、「長州征討」を「四境戦争」と呼んでいる。)ここは薩摩ではないから、地元のプライドみたいなものはなくて当然なのかも。

弾痕の残る土蔵(復元)
 かつて田原坂の頂上にあった、松下彦次郎家の土蔵。田原坂の戦い直後に写した写真を元に、昭和63年(1988年)に復元された。

征討総督 有栖川宮熾仁(たるひと)親王の崇烈碑
 碑文には、当時の社会情勢や戦いの推移などが刻まれている。

薩摩塚
 戦国時代、島津との戦いにおける戦死者を葬っていた塚に、薩軍戦死者20名を地元住民が合葬したようだ。
 三の坂の頂上には楠の大木と「美少年の像」
熊本民謡 田原坂

   「 雨は降る降る 人馬は濡れる
     越すに越されぬ 田原坂

     右手(めて)に血刀(ちがたな) 左手(ゆんで)に手綱
     馬上ゆたかな 美少年 」


薩軍 7,186名の戦没者名
 こちらは官軍の戦没者名。官軍の死者は6,923名だった。
 他に殉難者29名の名前も刻まれている。

慰霊塔
 両軍で一日平均 1,800人の負傷者が出たそうだ。
 日本赤十字社は、この戦いから発足した。
  
 

後で知ったのだが、ここは結構有名な心霊スポットらしい・・・。

田原坂資料館
 
官薩両軍の武器・弾薬の他、遺品等250点が展示。

薩軍の出で立ち

こちらは官軍
 連日の雨で、軍服、靴の官軍に対して、木綿のかすりとわらじの薩軍は、次第に体力を消耗していった。

左から、警視庁抜刀隊、鎮台歩兵、近衛歩兵。
抜刀隊は、田原坂の戦いで臨時に選抜、編成された決死隊
 官軍が田原坂の戦闘で消耗した小銃の弾薬は、一日平均32万発。すごい密度で打ち合ったようだ。両軍の弾が空中でぶつかりあった「空中かちあい弾」も多数展示してあった。官軍の死者は1日平均100名。官軍墓地は熊本県内に21ヶ所ある。

 


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