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スリランカ(リティガラ・ポロンナルワ)


1070年、南インドのチョーラ朝の侵略により、アヌラダプラが陥落。シンハラ朝は、ポロンナルワに撤退し都を築いた。
国王は国の再建のため、仏教の普及と灌漑施設の修復に尽力。ポロンナルワは3世紀に渡り栄えた。

1.ポロンナルワ
規制が厳しくなり、自称ガイドはここで働くことができなくなったようで、ここでは誰からも付きまとわれなかった。
ロイヤル・パレスでは無料ガイドに説明も受け、本当に快適な観光をすることができた。

lotus pond

statue of unknown man
 直径8m、8段になっている。僧の沐浴場。石が精密なカーブを描いている。水を張っている所を見てみたい・・・っていうか、水を張っているlotus pondで沐浴してみたい。  4mの高さでモデルの正体は不明。インドの宣教師か、国王の付き人と目されている。手にしているのはヤシの葉に書かれた仏典。もろそうな砂岩だったので、ちゃんと立っているのが不思議な気がした。10Rs札の肖像。

king's council chamber

king's council chamber

loyal palace
 ガードストーンに彫られた象やライオンの像は、1匹1匹表情が違っていた。石柱には大臣の名前が彫られているらしい。  今は3階建ての高さだが、当時は36本の柱に支えられた7階建ての宮殿だった。壁の厚さは3m。壁の穴が風を集め、涼しく過ごす工夫があった。パラークラマ・バーフ1世による。

loyal palace

bathing pool
 しっくいとオリジナルのフレスコ画が、ほんの少しだけ残っていた。↓ ↑ニッサンカ・マーラ王の沐浴場
↑ 修復中の遺跡もあった。

satmahal prasada

7階建ての塔。タイから来た建築士が造ったと伝えられている。

Rankot Vihara 
Vatadage
Gal Pota(石の本)・・・古代シンハラ文字でポロンナルワの歴史が刻まれている。
長さ9m 幅1.5m 厚さ44〜46cm。ニッサンカ・マーラ王

Atadage
 12世紀、ヴィジャヤバーフT世(1070-1110)により仏歯寺として建てられた。54の石柱の2階部分は木造のため今は無い。
ムーン・ストーンはアヌラダプラから運ばれたもの。

Hatadage

Vatadage
7世紀、シーラ・メーガワンナ王の建立。

Hatadage
12世紀、ニッサンカ・マーラ王による建立

Pabulu Vihara
ポロンナルワ3番目の大きさ。こちらも12世紀の建立
ムーン・ストーンがどうやら裸足になる印らしい。 このウニウニ感!たまらん!
 メイン会場(?)から少し離れたところにあったが、ムーン・ストーンも石柱も仏像も健在で、大変気に入った。 Gal Vihara
背景と一体化した縞模様!

Gal Viharaの涅槃仏

Hatadage

Siva Devala No.1   ↑ →
13世紀に建てられたヒンドゥー寺院
妃がヒンドゥー教徒だったため建てられたという説もある。


Siva Devalaya No,2 ↓
チョーカ王朝のタミル人の建築と言われている。

↑ ↓ Thuparama →

壁厚2m。シンハラ建築のGedige様式。

Lata Mandapaya
8本の柱は蓮の茎を表している。
2.リティガラ
 アヌラダプラとポロンナルワの中間地点、標高572mのジャングルにある遺跡。365の施設と72の住居、石窟などが見つかった巨大な遺跡だ。紀元前5世紀のアフラダプラ王朝より更に古いと考えられている。
 舗装もされていない1本道をガタゴト進み、やっと着いた。道中、クジャクやマングース、牛など、いろいろな野生動物を見た。
 遺跡周辺は、湿潤森林植物、乾燥森林植物、高地(山岳地帯)森林植物の3種類が共存し、更にアーユルヴェーダ薬用ハーブの全てが生育しているため、国のStrict Natural Reservers(厳重森林保護区)に指定。そのため、森林局の許可が下りず、遺跡調査が進められないのだそうだ。保護地区の広さは1528ha。
遺跡の入口付近は倒壊していた。
 エントランスで、500Rsで英語ガイドが雇えると言うので一旦は頼んだが、前をスタスタ歩いていくだけで何も説明しないし、話しかけても会話が成立しない。何と英語のしゃべれないガイドだった。シンハラ語は「アーユルボワーン」しか理解できないのでキャンセルしたが、我々のような外国人に、英語ガイドだと言ってシンハラ語ガイドを差し向けるなんてねぇ・・。

図書館跡

ウォーキングメディテーション用の石の通路。
まるで神社の参道!
↑ジャングルの中で500あまり発見されたという僧の椅子。この椅子で僧達は涼しく読書したのだそうだ。ここで知り合ったフランス人一行が雇ったガイドが言っていた。 ↑図書館も、こんなかっこいいロックの上に建っていた。
 病院跡にはアーユルヴェーダの施設があった。水洗トイレの跡もあった。紀元前にして、すごい文化都市だと思った。

 

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