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スリランカ(シーギリア・ダンブッラ)
1.シーギリア・ロック
 このシマシマ!たまらん!ここは古代からの仏教僧の修験場で、5世紀にはカーシャパ王が頂上に王宮を築き、11年間住まった所だ。高さ180m

断っても断っても次々にガイドが寄ってきて・・・ここでもまた叫んだ・・・。最初は英語で、最後は日本語で。
英語で言ってる時は相手はまだひるまなかったが、日本語で言うと、遂に退散した。迫力の問題か?

少しずつロックに近付いていった。
水の庭園
ロックのふもとは、冬用の王宮だった。
2.頂上までの道
巨石の間をてくてく歩いて行った。石の休憩所や壁画など、道々の景観も楽しめた。

岩陰の休憩所

こんな断崖にへばりつくように鉄階段が設置されている。
鉄階段のなかった昔はどうやって通行していたのだろう?
コブラの形の岩
丁寧に積み上げられた石段 岩のちょっとした隅間にも何かしらの工夫があった。
ここはかつての石窟寺院
斜めにかけられた鉄階段も見てね↑(見えにくいけど)

螺旋階段を上って、シギリヤ・レディー(写真左側の鉄フェンスの中)へ。
あんな所に、どうやって描いたのだろう?
手前の赤い壁は「ミラー・ウォール」。この外側にも壁画が発見された。
宮殿の入り口「ライオンテラス」
1000年以上も前の石段  シンハ(ライオン)+ギリア(のど)から、この地はシーギリアと呼ばれる。かつてはロック全体がライオンの座像で、人々は口を通って宮殿に入って行ったそうだ。迫力ありそう。

「ミラーウォール」
何のためにつけられた傷なのか?  岩壁に描かれた壁画を反射させ、両側に美女が見えるようにしたもの。かつては髭剃りできるほど磨きあげられていたそうだ。シンハラ文字の落書きがあちこちにあった。落書きは7〜11世紀頃までのものなんだそうだ。
ライオンの頭があったのはこの辺りかな?
3.壁画
壁画の形跡が見て取れた。
石窟寺院時代に描かれた壁画は、石窟が後に僧院として使われるようになると、修行の邪魔になるとされ、削られた。
4.シギリヤ・レディー
 圧巻はコレ!1875年にイギリス人が望遠鏡でシーギリア・ロックを見ていたら、たまたま発見したのだそうだ。インド人、アフリカ人、モンゴル人、中国人・・・・世界中の女性が描かれていた。現在残っているのは18人だが、かつては500人ほどだったらしい。岩肌上3層構造のフレスコ画。フラッシュ禁止

中国人

顔料は花や野菜、草、木汁などが原料 バンダル人に剥がされてしまったものもあるらしい。
シギリアレディーの前の幕は防水布

ロック下の博物館の整備に、日本は随分高額な援助をしているそうだ。
5.シーギリア・ロックの頂上
石段と建物の基礎部分、池の跡などが残されていた。 眼下に広がるジャングル
参道側の眺め ジャングルの中に巨大な立像
 父王を監禁し王位を奪ったカーシャパ王(母親はアーリア人)は、その後父を殺害した。スリランカ人の母を持つ異母弟の復讐を恐れたためか、彼はこの岩の頂上に宮殿を建設し、弟に攻め込まれるまでの11年間を過ごした。

シーギリア・ロックだけで1日かかると予定していたが、意外に早く観光が終わったので、同日ダンブッラ石窟寺院も訪れた。


<ダンブッラまでの道>
6.ダンブッラ石窟寺院
 アラウンドチケットにはここの観光は含まれていないので、1200Rsを支払い入場した。
 紀元前1世紀に建てられた寺院。タミル人に侵略されアヌラダプラから追放されたシンハラ人の王が身を隠したところ。
 5窟のうちで一番古い第1窟の涅槃仏。14mあり、壁と同じ自然石に彫られている。 極彩色の壁画が残されていた。
壁画は、古いものも、その上に塗り重ねられたものもあった。 ちょっとエジプトチックな気もする。
 入場料が高いせいかどうかは分からないが、私がスリランカで見た中で一番ゴージャスなエントランスだった。
各時代の王達が、修復を繰り返した。
ゴールデンテンプルの博物館
悪魔払いの仮面の顔なのかな?

 

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