鞠智城(熊本県山鹿市)/都於郡城跡(宮崎県西都市)
 

    

<歴史公園鞠智(きくち)城>
 7世紀後半に大和朝廷が築いた山城。
  663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷は、日本への侵攻に備え、西日本各地に城を築いた。
 鞠智城は、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基肄(きい)城に、武器・食糧を補給するための支援基地だった。

復元された「八角形鼓楼」と「米倉」
 高さ15.9mの鼓楼では、最上階に置いた太鼓を使って連絡をしていたと考えられている。
歴史公園からの眺め

 城跡からは日本で一体だけの「百済菩薩像」が出土している。青銅製だが木片のような柔らかさを感じた。650〜675年に百済で作られたと考えられている。
 鞠智城跡のモニュメント「温故創生之碑」。大化の改新や白村江の戦いなどのレリーフの台座に、防人、防人の妻子、巫女などの群像。
<万葉集より>
 朝な朝な 上がるひばりに なりてしか
   都に行きて はや帰り来む


 韓衣 裾に取り付き 泣く子らを
  置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして


 わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に
  影さへ見えて 世に忘られず
 
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「兵馬俑と銅車馬」
 1980年11月、秦の始皇帝陵の西側20mの地下7.8mから2台の青銅製の馬車が発見された。数千の破片に壊れていたが8年ががりで復元。このうち2号車のレプリカがここに展示された。
俑の身長は180cmもある。


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<都於郡城跡>
 中世の城址としては九州屈指と言われる都於郡城の遺跡。標高100メートルの高台にあり、周りを急峻な断崖に囲まれている。西側の三財川が外堀の役割を果たした。曲輪の縁辺部には土塁が築かれ、曲輪と曲輪の間には空堀も巡らされた典型的な山城。
 伊東氏は、この都於郡城を拠点に、日向一円を掌握。
 16世紀前半に輸入されたと思われる中国製の磁器片も多数出土。
 別名「浮舟城」。「春は花、秋は紅葉に帆をあげて 霧や霞に 浮き舟の城」と、古歌にもうたわれた。
 伊東マンショがここの生まれだということは、昭和になってから判明したそうだ。

 本丸跡地に集められた岩。
 

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