レストハウス(旧燃料会館) 地下 
2012.10.18

中国軍管区指令部地下通信室
2003.10.11

見学記




レストハウス(旧燃料会館) 地下 

広島市に事前予約すると、地下室入口の鍵を開けてもらうことができる。

鍵を開けてくれたお姉さんとは、ここでお別れ。




手渡された黄色いヘルメットをかぶって、
薄暗い階段を一人で地下に降りて行った。




ここは、被爆建物として今でも保存されている貴重な場所だ。

階段下の入口は、重そうな鉄の扉だった。
広い部屋の周囲には小部屋があった。



誰もいなかったけど、壁や柱の補強工事をしているらしかった。

足元には、溝が掘ってあった。排水路のようだ。


 
 爆心地からたったの170m。ここで生き残った人がいたことは、まさに奇跡だ。
 その人とは、広島県燃料配給統制組合の野村英三さん(当時47才)。

 8月6日、朝礼を終え席に向かったが、課長が持ってくるはずの書類がその日に限ってなかった。そこで女性事務員に頼もうとしたが、忙しそうだったので、彼は自ら書類を取りに、この地下室に降りて行った。
 そこで被爆。ここで働いていた37名のうち8名が脱出したが、後に、彼を除き全員死亡した。(野村さんは84歳で他界)

今は取り付けられているが、被爆当時、この地下室には窓はなかった。
そのため、初期放射線を浴びずに済んだのだそうだ。



広島市役所発行「広島原爆戦災誌」第U巻
「爆心に生き残る(野村英三)」より


 地下室は建物の三分の一の広さで、10坪余りの狭いもので、いつも電灯がついている。書類が見当たらないので、あちらこちらを探して階段下の金庫のところへ来た。その時だった。ドーンというかなり大きな音がきこえた。とたんにパッと電灯が消え、真暗になった。同時に頭に二三ケ所、硬い小石のようなものが当たった。
 痛い!と、手を頭にやってみたら、ねっとりしたものが流れている。血だ!なんだろう、何事か起こったのだ。しばらくしてわからないまま頭のほかにどこか傷をしてはいないかと上半身、両腕、両足その他を調べてみたが、別に異状はないらしい。室内は真っ暗がりで何もみえぬ。
 
 自分は階段の直ぐ下に立っていた。上がろうかと思って足を階段にかけた。そして、2、3歩上がりかけたが、どうも変な具合だ。階段の状態がない。板切れや、瓦や、砂や、ごちゃごちゃに混ざった坂になっている感じだ。柔らかな俵のようなものが足の下にある。おかしい。両手でそっとさわってみた。半分位砂の中に埋もれている。あっ人間だ!抱え起して、声をかけたりいろいろしてみたが、がっくりしていて、もはやこと切れているようだ。とたんにからだがふるえてきたようだ。

 奥のほうから闇をついて、助けてくれーと男の声だ。その声が続いて聞こえてくる。そして直ぐ泣き声に変わった。オオーン。オオーンと。自分は急いで登りつめたとたんに、頭をゴツンと打った。手でさわってみるとコンクリートの壁らしい。両手で押してみたが、ビクともしない。出られない!

 あっ、しまった、直撃弾だ!この建物に当たったんだ。地上の建物が崩壊して、この地下室だけがわずかに残ったんだと、感じると、たまらない気持ちとなった。出られねばここでこのまま埋もれてしまうのか。

 そのときゴーという水の音が聞こえてきた。この地下室には8インチ位の水道管が元安橋の裏側を通って入ってきている。そうだ、水道管の破裂だ!どうしよう、死は時間の問題だ。ああ駄目か、と思ったら四人の子供達の顔がすうっと目の前を走馬灯のように通り過ぎた。それから後は分らない。どこをどうして出たのか、気がついたときは1階に立っていた。

 窓枠が燃え始めたので、その建物から逃れ出たものが自分を含めて男性4人、女性4人計8人だった。逃げる途中、片方の目がだんだん見えぬようになったという女性、気分が悪くなったという男性、頭が痛むと訴えるもの、みなそれぞれが外部の負傷と内部の故障をもっていた。

 毎日毎日何人となく彼のような状態の者が死んでいった。ついに唯一の被爆者になった。



 この日、野村英三さんは己斐方面に逃れたが、高熱・下痢・歯茎からの出血などの放射線の急性症状で死線をさまよったのだという。



中国軍管区指令部地下通信室

同じく、事前申込が必要。軍事専用電話を使って、学徒動員されていた岡(旧姓・大倉)ヨシエさん
(当時14歳:比治山高等女学校)が、西部軍管区司令部と福山連隊司令部に広島壊滅の第一報を通信したところ。
ボランティアガイドの藤井さんが、当時の様子を詳しく話してくださった。

爆心から約700m。


旧比治山高女第5期生の会
「炎のなかに -原爆で逝った級友の25回忌によせて- 」
  より



赤茶けた想像することも出来ないむごい光景を目にやきつけながら私はその時初めて、
「大変だ。」
と血のさがる思いをしたのである。
下の方で兵隊さんが 「新型爆弾にやられたぞ。」
とどなって居るのが聞こえる。
私は元の部屋にかけ込んだ。
そうだまだ通話の出来る所へ早く連絡を、そう思いながら電話機を持った。
九州と連絡がとれた。
そして福山の司令部へ、受話機に兵隊さんの声が聞こえるのももどかしく
「もしもし大変です。広島が新型爆弾にやられました。」
「なに新型爆弾!師団の中だけですか。」
「いいえ、広島が全滅に近い状態です。」
「それは本当か。」
大きくわれるようにように響く声。
その内に火の手が上がったのであろうか。
壕の上の草がパチパチ燃える音が耳に入った。
「もしもし火の手がまわり出しました。私はここを出ます。」
「どうかがんばって下さいよ。」
と兵隊さんの声を後に受話機をおく。




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