日本ハワイ移民資料館

                       
                                 10/02/2004
                                  6/28/2014

資料は分かりやすく、希少で価値のあるものばかりだった。
これほど素晴らしい資料が、ガラスケースにも入っておらず、いいのだろうかと思った。
展示してある部屋の窓も開け放たれ、心地よい風が入ってきていたが、
あまりに無防備で、心配になった・・・。

大事な資料がいつまでも良い状態で保たれますように。



平成11年2月に開館。建物は、故福元長右衛門氏の遺族より、町に寄贈された。
     
昭和3年に、当時のお金で3万円(1000円で家が建つ時代:今の価値だと3億円)で、帰国移民が建設したそうだ。
主人は台湾までわざわざ原木を買い付けに行き、いかだでここまで運んだという。
周防大島には、こうした帰国移民の家が、今でもあちこちに遺されているのだとか。
    
第1回官約移民船がハワイに到着したのは、明治18年(1885年)。
それから3年の契約で移民たちは働き、日本への仕送りを続けた。
女性は月に10$、男性は14$の収入だった。
しかし手元にはわずかしか残らなかったのだという。
私はハワイで見た日本人墓地を思い出した。
お墓がみんな日本の方角を向いていた。
日本に帰れた人は、数少ない成功者ってことなのかもしれない。
        
展示品の数々。資料も家財道具も、すごい量だった。
  
ハイビスカスと、ハワイの松の木
周防大島とハワイは気候がよく似ていることと、山口県出身の井上馨の推薦で、大島からの移民が多かったらしい。
移民のほとんどが、山口県と広島県の人だったという。
2週間の船旅の後、検疫のためホノルルの収容所(名前は呼ばれず番号が付けられたそうだ)で数日過ごし、
その後各地のサトウキビ畑で、過酷な労働に耐えて働いた。



当時の日本では珍しい設備の数々 この家の主人は、生涯ナイフとフォークで食事し、ベッドで休んだそうだ。
     
(写真左)タイル張りのゴージャスな浴室 
(写真右)煙突付きの大きなオーブン。
食器棚にあった食器もすごかった。 
    
この欄間は、1枚の板に彫ってある高級品らしい。天井も随分高い。
  
障子はなく、窓は当時からガラス張りだった。
甚大な被害をもたらした台風18号にも、びくともしなかったらしい!
  
後年、ブラジルに渡ったという移民船の模型や、
姉妹都市の市長さんからのプレゼント(櫂や鍵など)もあった。


プライベートなアルバム(写真右上)とか、
2世・3世に日本語を教えるためのテキストなども展示されていた。



沖家室島

今は橋が架かっているが、昭和58年以前は船で行くしかない島だった。

 【左:屋代島    右:沖家室島】



神社には、遠く、ハワイ在住者からの寄贈もあった。



タチバナ色の大島大橋 全長約1q
 





島内の至るところに風18号の爪痕が。。。。
復旧作業はまだまだこれから・・・そんな感じだった。
【2004年記】



竜崎温泉(2004年) 見学後は、いつものように温泉へ。どこへ行っても、夫は必ず温泉に入りたがる!
セピア色のお湯だったのでビックリッ!(◎◎;) 汐と鉄の香りがした。25℃で湧出しているが、40℃まで沸かす
と、鉄が変色してこんな色になるそうだ。泉質がいいらしく、もう、ものすごい賑わいだった。お湯の出口に、「飲め
ません」と書いた張り紙があったが、この色だから、誰も飲もうとする人はいないんじゃないかと思った。窓の外に
は大島富士と呼ばれるきれいな山と、海が見えた。で、「潮風の湯」で、日替わり定食を食べてみた。「これでたった
の1500円?」って、うなりそうだった。ぴちぴちのお刺身もついてるし、食材盛りだくさんで、お腹いっぱいになった。
味も値段も量も、チョーお得!オススメですぅっ。(ついでに血圧も測って健康チェックね)
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