Organ Sale〜臓器売買〜   (5年:学活)

<第一次:1時間>

 「臓器」の場所や名称の確認。そして、新聞記事(1994,12,9 朝日)や本、インターネットの情報などをもとに、臓器売買の概要を知らせた。
 ・ 臓器売買が盛んな国々
 ・ 臓器の相場
 ・ 臓器バザー
 ・ 新聞の「求腎」広告
 ・ 売る人々の所得
<子どもの反応>
・ びっくりした。
・ こんなこと初めて知った。
・ なぜこんなバザーがあるのだろう。
・ 体じゃないものを売ればいい。
・ 健康を捨ててまで臓器を売る必要はない。
・ 健康が一番なのに、長生きできない。

 二学期の平和学習で、今でも戦争や紛争、人身売買のある国があることや、臓器売買もあることなどを、子どもたちには話していたのだが、それでもこのような資料に接するのは初めてだったためか、大変驚いていた。ここでは、「信じられない」「許せない」と口々に言っていた。

 

 何のために売るのかが分かるよう、腎臓を売った人の話を読み合った。
 ・ 生活のため
 ・ 食事や家のため
 ・ 進学や結婚資金など
 子どもたちは、毎年のようにネパールに支援物資(文房具等)を送り、手紙を交換しており、貧しさゆえできないことには何があるかなど、わずかながらも知ってはいる。本活動でも、臓器提供者たちがどんな暮らしをしているのか、想像し理解しようとしていたが、やはり、「家のために売ることはない。」「一生懸命働いてもうけるのならいいけど、売ってもうけるのはよくない。」などの否定的意見が出ただけだった。
 私が、ブローカーの声や医療従事者の声、NGOの声、家族の声など、いろいろな立場の人の声をもっとしっかり収集し、提示すべきだったのだと、深く反省した。

 感想を話し合った。
 誰も傷付かなくて済むように、子どもたちなりに精一杯の解決方法を考え、発表していた。が、どの子も、「臓器売買は悪」という前提でのみ考えている(一面的な見方しかできていない)ようだったのが、ちょっと気になった。
 
<子どもの反応>
・ 売る人も買う人も、自分のことしか考えてない。特に買う人は、人のことももっと考えてほしい。日本も、他の国のことを考えてないと思う。
・ 売る人より買う人が悪い。日頃、ぜいたくしてるからなる病気もあると思う。移植以外の方法で治してほしい。
・ 貧富の差があるからいけない。平等になればいい。
・ 金持ちの人には、必ず貧乏な人を助けるという義務をつければいい。助け合って暮らしたら、貧しい人から臓器を買うなんて発想はなくなると思う。
・ 自分の体を売られるのはとてもいや。
・ 死ぬかもしれないし、ぼくなら絶対に売りたくない。けど、貧しいのもいや。
・ 健康が一番なのに、お金のためだけにここまでするのか。
・ 平和になると、売買はなくなるはず。
・ 買う方の人の人権だけが尊重され、それが許されているのは変だと思う。
・ 金持ちの人が貧しい人に家を買ってあげるといい。
・ インドに行って食事を恵んであげたい。
・ お金の価値が日本とすごく違うんだな。

<第二次:2時間>

 臓器売買の問題は、脳死移植や、性の商品化、身体改造、飢えや第三世界への搾取の問題などにもつながる、大変重要な人権問題・国際問題だと思う。が、第一次では、「臓器売買は悪」という前提での意見ばかりが目立ち、葛藤もなく、現実的・今日的な問題を捉えきれていない感があった。(原因は、資料提示の不適切さにあったわけだけど・・・)
 そこで第二次では、なぜ許せないのか、なぜ許されている(巨大マーケットが存在している)のか、等について、心情的な面からもう少し考えさせてみたいと思った。現実にある「売買可」とする心情に目を向けるためには、ディベートの形態がよいであろうと考え、試みた。
 にわか仕立てではあったが、論題は「臓器売買は必要である」とした。チームを決める前は、「賛成派をやりたい人って、いないんじゃない?」とささやき合っていた子たちもいたが、意外にも、賛成派になって考えてみたいという子が多かったので助かった。(比較的精神年齢の高い子ばかりだった。)
 
 <言い訳デス!>
 総合的な学習で別の課題を抱えているため、本単元を総合的な学習の中心に据えることができず。大変残念だが、取材時間を確保できなかった・・・そこのところをお含みの上でご覧下さい・・。m(._.)m

*  ディベートの記録  *
論題:「臓器売買は必要である」
賛成派 反対派
・ しないと死ぬ人(買う人)がいる。
・ 貧しい人がお金を得て、幸せになれる。
立 論 ・ 健康な提供者が不健康になる。
・ 一部の人の命だけが大切にされているのは変。
< 省 略 > 質 問
< 省 略 >
 お金が手に入って、食べるものも買えるんだから、寿命が延びるかもしれない。
 (反対派は)売る人が不健康になると言うが、買う人が買えずに死ぬ確率の方が高いんじゃないか。
 たとえ提供者が不健康になって死んでも、お金は家族に残されるから、それはそれで意味がある。

 一人は犠牲になるけど、家族が幸せになれるんならそれでいいと提供者は思っていると思う。
 提供者は自分の意思で売っているので、家族が悲しむのは当然だけど、仕方ない。
 お金がないと、家族も死んでしまう。
 一生かかって得るお金より、臓器を売って得るお金の方が多いんだから、仕方ない。
 売った人が死ぬとは限らない。






 

 お金が提供者の家族に残されても、提供者が不健康になったり死んだりするのは悲しいことだと思わないのか?

 (賛成派は)一人が犠牲になっても仕方ないと言うけど、みんなで幸せに暮らすのが一番いい。

 お金より大事なのは家族。家族が誰も傷付かずみんな元気なのが一番いい。
 
 食べ物がなくてみんなで死ぬ方が、売って一人で死ぬより幸せだ。
 買う人のことも考えてみてほしい。買う人は、お金を使っても、長生きできるのだから幸せ。
 健康な人が売って助けるのは、親切。
 移植するのが治療なのであって、買う人は健康になれるし、売る人はお金がもらえて一石二鳥。
 買う人は、買わないこともできるのだから、親切ってわけじゃない。
 臓器を買うのは高いけど、それだけあれば病院で治療できる。
 お金があれば、苦しまずに生活できて、健康にもなれる。
 お金がなくて生活が苦しいから売るんじゃないのか。
 臓器は持ち物。売るかどうかはその人の勝手。
 お金と健康、どっちが大事なのか?
 お金がなくても助け合って生きることはできる。
 人を傷付けてまでもって反対派は言うけど、売る人が、自分の意思で自分を傷付けているのだと思う。  人を傷付けてまで自分の治療を優先させるべきか?
 移植しか助かる道がない人は実際いると思う。移植を受けても完璧に健康にはなれないかもしれないけど、売って健康で生きる提供者はいる。
 提供者はちゃんとお金ももらえるからいいんじゃないか。
 貧しい人は臓器を売って少しはお金持ちになるし、払っている人はお金が減るので、少し近づいてると思う。
 臓器を売って、家族に少しでも幸せな暮らしをさせたいから売っているんじゃないか。売っても死なない人が多いのだと思う。
 移植しないと死ぬ人がいるっていう賛成派の立論は、移植しても死ぬ人はいるんだから、ちょっと変だと思う。
 提供者と買う人の健康が反対になるだけじゃないのか。
 この世には、金持ちと貧しい人の2種類いるので、すごく不平等だと思う。
 一生かかっても稼げないほどの金額だと資料に書いてある。14歳で移植した人だって、大人になるまで生きれるとは限らない。
 
   <休憩・作戦タイム>
 休憩中に、かつら用に毛髪を売るのはどう思うか聞いてみた。全員がOKだと答えた。では、売血はどうかと聞くと、今度はほとんどの子がダメだと答えた。体を痛めてお金を得るのはダメなんだそうだ。「バナナ1本食べたらそれくらいの血はできるのよ。」と言ってみたが、売血は認めたくないようだった。

 買った人も助かるし、売った人も助かる。反対派は、不健康とか死ぬ確率って言ったけど、私たちだって誰でも死ぬ確率はある。
 買う人が死ぬのだって悲しいことだ。
 不公平でも本人が望んだこと。
 自分の臓器を売るのはいやだけど、それで人を助けられるのなら、少しだけ命を分けてあげて、それで命が助かるのならそれでいい。








 
 売った人は死ぬ確率が増え、買った人は助かりやすくなって、不公平が生まれる。

 自分が貧しかったら、臓器を売ろうと思うのか?
 人が助かればいいと言っているが、たとえば自分が不自由になってもいいのか?
 法律でも、臓器売買はいけないと決まっている。
 日本でアイバンクで提供するのは100%死んでる人だが、今は生きた提供者の話をしている。買う人はとても嬉しいかもしれないけど、売る人はとてもひどい目に遭うんだから、賛成派は、お金が大切と思っているはずだ。
 この校区にご飯も食べれない人がいて、体も不自由になっていて、その人に、お金をあげずにおなかを切って助けるか?
 ほんとにその立場だったら、自分もどうするか分からない。
 日本にも骨随バンクやアイバンクがある。それも助け合い。だから、売買も同じこと。
 今は不安だし、成長期だから売ろうとは思わないけど、30歳くらいになったら、困っている人がいたらあげてもいいと思っている。
・ 臓器を売るのは家族を少しでも楽にさせたい、愛があるから。
・ 売る人が死んでも、買う人が死んでも悲しいのは同じ。売る人は自分の意思で売っている。
・ お金は関係ない。困っている人を助けるのだから必要なこと。本質が助け合いなんだから、売買もいい。
結 論 ・ 売った人が死んだら、子どもがいたり家族がいたら、その人が悲しむ。
・ 何の理由があっても、臓器を売るのは不公平を生む。
 フリートーク1(前半)では、賛成派が圧倒的優勢だったが、フリートーク2(後半)で、反対派が次々に質問を浴びせると、賛成派は黙りこむ場面もあった。助け合いと言いながら、やっぱりお金が重要なのだということを、反対派があばいた形になった。
 
 討議の中で、「お金持ち」「貧乏な人」という言い方が増え、定着?した雰囲気があったので、お金がない人でも努力して貯めて手術した例や、募金で手術を受けることができた人の話をディベート後に補足した。

 審判団が出した結果は、前半の猛攻が評価され、「賛成派の勝ち」。反対派は、ものすごく悔しそうだった。

 授業が終わって、「私、腎臓が弱いから、誰かちょうだい。お金はないけど。」と言ってみた。賛成派を務めた子どもたちも、「タダなら、いや。」とか、「先生にあげるの?気持ち悪ぅ。」とか言っていた!

 臓器売買は、「遠い国で行われている他人事」などではない。今年度取り組んできた平和学習(「私達の平和を考える」を見てね〜。)と同じで、まさしく我々自身が当事者の、極めて今日的な問題なのだと思う。
 前述のように、ブローカーや医療従事者、NGO、家族の声など、いろいろな立場の人の声を私がもっとしっかり収集し、子どもたちにどんどんぶつけ(調べ学習に設定してもよいが、時間がない!(T-T)、一緒に考え合っていけばよかったと反省(猛省)している。
 来週、挽回したい。(岡山大学の粟屋先生に資料の使用許可をいただいたので、来週はそこから切り込んでいこうと思っている。)
 

 実を言うと(ここだけのハナシ)、今後、「纏足」や「FGM」、「ダイエット」、「身体改造(美容整形、染毛等)」「買売春」等についても授業したいと思っている。臓器ビジネスは、これらの学習の土台ともなる、大事な第1歩でもある。中途半端に終わってしまわないよう、是非とも来週頑張りたい!


<子どもの日記より>
・ お金を出してまで臓器を売るのはおかしい事だけど、もし自分だったら、臓器を売っていたかもしれないし、買っていたかもしれない。
・ 最初はいけないと思っていたけど、自分が望むのなら、人も助かるから、別に無理矢理じゃなかったら、臓器売買はいいかもしれない。
・ 法律で禁止されているのに、今でもやっている人がいることにも驚いた。禁止されている事はやっちゃいけないと思う。
・ 私は臓器は売りたくない。健康な身体を傷つけたくないからだけど、その人が死にそうなど、いろいろな人が助けを求めているなら考えてもいいかもしれない。死ぬのはいやだけど、苦しんでいる人が助けられればいい。でも、なぜ自分の健康を捨ててまでお金をもらうのだろう。お金も大事だけど命の方が大切。死んだらお金も必要でなくなる。
・ いろんな国で、ほんとにいろんなことがあるんだな。

平成16年1月10日

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