飫肥街道 関所跡(宮崎県)













 飫肥街道は、天正〜慶長年間に日向一円に48外城を築いた伊東義祐が、本城都於郡城から飫肥城を結ぶ道として開削したもの。
 
 鵜戸街道は、海岸線を通る街道で、「七浦七峠」と言われた。

飫肥街道の中間点 山仮屋に置かれた関所跡
今は石垣以外、何にもない。だが、きれいに草も刈られていて、観光案内板もあった。
飫肥街道はこんな道。ハァハァ言いながら登っていった。
江戸時代、参勤交代にも利用された。

埋もれた一里塚
八里八町(約35Km)の一里ごとに一里塚が建てられた。

眼下には、清武の城下町

きよたけ歴史館からの風景


安井息軒生家
「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」
という考えのもと、多くの人材を育てた。 




 

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