脳死を考える 〜臓器移植〜 (5年:学活)

 前回の授業Organ Sale(臓器売買)後、ほとんどの子どもたちは、臓器売買は許せないが脳死者からの移植なら許せると答えていた。しかし、「脳死」の意味はもちろんのこと、生と死との境界に関しても、子どもたちは漠然とした理解しか持ち合わせてなどいない。(私自身も。恐らく多くの大人たちも。)
 脳死とはいったいどういうものなのだろうか?欧米では脳死者からの臓器移植は数多く行われているのに、日本で少ないのはなぜなのか?脳死は人間の死とどのように関わるのか?脳死者からの臓器移植に問題はないのだろうか?そんなことを一緒に考えたくて、本時の授業を仕組んでみた。


< 学習の記録 : 3時間 >

1 脳死移植を肯定的に捉える人々(レシピエントを支える人々)を紹介した。

 この時点では、まだ子どもたちは脳死の意味をあまり突き詰めて把握してはいない。脳死者からの臓器移植によって生への希望を取り戻した人と、その家族の気持ちに、素直に共感することができた。
<子どもの反応>
・ 応援してくれる人がレシピエントに生きる力を与えてあげて、とても生きる応援はすごい力だ。それとレシピエントは家族にも生きる力を与えてあげていて、やっぱり生きる力を与えることはすごくいいことだと思った。

2 臓器移植法(1997年10月16日施行)や脳死判定基準を知らせたり、ドナーカードの実物を見せたりして、脳死への関心を持たせた。

 臓器移植が、お金ではないドナーの善意に支えられていることを、まずは確認した。
 そして、臓器移植法が脳死を条件付きで死と認めていることや、脳死判定が意外に曖昧なものであることもここで知った。また、腎臓・眼球(角膜)・膵臓は心臓停止後でも移植できるが、心臓・肺・肝臓・小腸はそうでない事も確認。脳死という言葉の意味が、今までより、少しは明瞭になってきたようだった。
 肝臓の再生力(同じ大きさに復元できる力)を話した時には、みんなとても驚いていた。
 家の人がドナーカードを持っていると言った子が数名いた。
 臓器移植法改正の動きについては、少しだけ触れた。


〜  資料1 <臓器の移植に関する法律> 第六条 第2項 〜

 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

〜 資料2  <脳死判定基準(竹内基準:1985)> 〜
1 深い昏睡
2 瞳孔散大の固定
3 脳幹反射の消失
4 平坦な脳波
5 自発呼吸の消失
・6時間置いて2回。
・執刀しない2人以上の医師で。


〜 資料3 <臓器提供意思表示カード> 〜

1 私は脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。(×をつけた臓器は提供しません)
   心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・その他(   )
2 私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。(×をつけた臓器は提供しません)
  腎臓・眼球(角膜)・膵臓・その他(   )
3 私は臓器を提供しません。

3 脳死や臓器移植に関わる記事(施行後初の脳死移植の疑問点を報じた記事、脳死後312日で心停止した赤ちゃんの記事)を紹介したり、脳死判定の矛盾を指摘した紙芝居(「医療を考える会」より)の読み聞かせを行ったりして、脳死に関わる問題に目を向けるよう促した。

 ここでは活動1とは逆に、脳死を人の死とすることに矛盾を感じる内容の記事や紙芝居を紹介し、ドナーやドナーの家族の立場でも考えてみるよう仕向けた。併せて、脳死者からの出産事例や「脳死と判定された状態は、脳の部分的な死と見るべき」という医師からの指摘、脳低温療法で快復した人の様子なども紹介した。
 多くの子が、脳死を人間の死と見なすことに疑問を感じ始めたようだった。


<子どもの反応>
・ レシピエントの家族はやっぱり家族を助けたいけれど、逆にドナーとなる人の家族はとっても大変な決断が必要だから、もっといろいろ考えた方がいいと思った。
・ 体の部分を取り除くより、体が弱くなっても生きていればいい。でも、脳死でどうしても生き返らない場合は、ぼくはあげてもいいと思った。なぜなら、世界で何人死んでいくのか分からないからだ。
・ ぼくはやっていいものなのか、やってはいけないものなのかが分からない。ぼくは、いくら脳死しても人は人だから、大切にしたい。ぼくは臓器をあげるより、焼かれた方がいいと思う。
・ ドナーがどうしても必要なら、完全な死体から取ればいいのに。脳死が死なのかはっきりしない以上、臓器を取るのはかわいそうだと思う。
・ 判定をして反応がなかったら脳死にするのはよくないと思う。だって、脳死で312日も体が生きた赤ちゃんの例もあるんだから、脳低温療法で生き返った人もいる。法律があっても(脳死移植は)殺人かもしれない。待ってる人もかわいそうだけど、うまく合わなかったらどっちも死んでしまうんだから、あげない方がいいんじゃないか。
・ 脳死なら臓器を人にあげるのに、心臓死なら人からもらって生きるのはおかしい。脳死判定を急いで治療してもらえないのだったら、ドナーカードは持ちたくない。臓器移植法についてもっと考えたい。
・ 臓器移植をして人を助けるのはいいけど、自分も助かって人も助かればいいと思った。でも、自分がやることになったら迷う。
・ 確かに臓器移植は人を助けることができるけど、臓器移植法改正には反対。本人の気持ちが大事だから。それから、ドナーカードを持つ時は、ドナーカードの説明をちゃんとしてほしい。
・ 脳死にたとえなっても、生きる可能性があるんじゃないだろうか。ぼくは、脳死しても心臓が動いて身体が動くのなら生きていると思う。心臓が完全に動かなくなったら死んだと言えると思う。
・ 身体を切って反応したんなら、まだ生きてるってことじゃないんだろうか。
・ 私は、ドナーカードは持ってない方がいいと思った。なぜなら、脳にダメージを受けたって、助かる可能性もあるから。私は人の命を助けたいけど、自分の命も欲しい。
・ 脳死を死と認めてはいけないと思う。いくら他の人が助かると言っても、自分の身体は自分のものだから、1分1秒でも長く生きたい。でも、自分の命を優先させれば他の人が死ぬ、そんな選択はぼくにはできない。生きたいけど、人も助けたい。どっちがいいんだろう。
・ 脳死でも手足が動いたりした人がいるので、心臓が止まってはじめて死というのではないかと思う。
・ 私は、脳死は死じゃないと思う。なぜなら心臓もまだ動いている。本人にしか分からないんだし、その人の考えもある。
・ 脳が死んでも身体が動くのなら死んだと判断するのはよくないと思う。脳が死んでるからと言って治療しないのは、病院は変だと思う。動いている心臓を取るなんて考えられない。
・ 脳死になっても身体の中のものを取り出すのは犯罪ではないかとぼくは思う。臓器移植法が改正になって、ドナーカードがあってもなくても脳死だったら臓器を取れるようになったら、ドナーカードの意味がない。
・ 移植を受けて助かった人はよかった。それはみんなが勇気や助けをあげたから。みんながいなかったら助からなかっただろう。ドナーカードは持ってていいけど、命は大切にするといいと思った。
・ 今の臓器移植法のままで、ドナーカードを持っている人だけ移植すればいいと思う。意思もない人のを取るのはいけない。
・ 移植で助かった人はよかったなーと思った。でもドナーの方はまだ身体が生きてたのかなーと思い、脳の治療を少しでもしてもらったんだろうかと思った。このドナーも正しい治療をすれば少しでも長く生きれたと私は思った。レシピエントは助かる時も助からない時もあるし、ドナーもそうなので、考えるのは難しいと思った。
・ たとえドナーカードを持っていても、心臓が動いていたらやっぱりちゃんと治療するべきだと思う。でもレシピエントの命もなくなってしまう場合があるので、緊急に治療して、それでもだめなら臓器をあげたらいい。
・ 脳死を人の死と見るならば、心臓死なども人の死になるし、身体を切り開いたら血圧があがったのなら、まだその人は生きていることになるとぼくは思う。ぼくは、完全に人が死んだという状態は、脳も心臓も死んでいる場合だと思う。脳死を人の死とすることは、殺人行為を合法化する手段でしかない。脳に傷を負った場合は、脳低温療法をするべきだと思う。
・ 脳を冷やせば生き返ることもあるんだったら、その人を救ってあげた方がいいと思う。脳が死んでも生き返るのなら死んでないと思うし、脳死になってもまだ少し身体が生きるなら、その間も大切にしていってほしい。でも、病気の人が見捨てられるのもおかしいので、他の治療法を考えればいい。
・ 私の家族がレシピエントなら、ドナーが見つかったら絶対やってほしい。
・ 人の死を待って生きるのは悪い気がする。もしも他の治療法があるなら、レシピエントになることで迷ったり、人の死を待つようなことにはならなかったと思う。それに、臓器移植をしようと思っても、ドナーが見つからなかったらせっかくの決心が無駄になってしまうから、もっと確実にできる治療法を考えるべきだ。
・ 人の死を待って生きるのは、ぼくもいやだ。移植が成功しても完全に健康に戻れないのなら、ドナーが生きたらいいと思う。人の命はひとつしかなくて、お金で買えるものではない。たくさんの人が生きたいと思っている。
・ もし家族が脳死になったら、とっても悲しい。脳死だからって、臓器は絶対あげたくないし、他の人からもらうのもいやだ。人を犠牲にしてまで家族を助けようというのも、家族のためにならないんじゃないか.
・ 臓器移植しない方が、長く生きれるかもしれない。私たちはみんな、先の事が見えないで生きているので、するのが必ずしもいいとは限らない。移植で完璧に助かるとは言えない。
・ 手術の傷跡を見ると悲しくなる。
・ 人の臓器をもらうのもいや。ドナーに悪い。その人を殺す感じがする。
・ 脳死を死としないのなら、病気の人はどうすればいいのか?レシピエントとドナー、どちらの命を大切にすればいいのか?まだ自分の考えがまとまらない。
・ もらった人は助かるかもしれないが、あげた人は助からない。生きれたかもしれないのに死んでしまう。
  
 ここで、外国と日本の臓器移植数の比較表(UNOS: United Network for Organ Sharing)を示し、日本の臓器移植がそう多くなく、多くの人が移植を待ちながらも亡くなっていることを確認させた。また、ひとりの脳死者の体からたくさんの臓器を取った場合、何人もの人が救われることなども話した。
 子どもたちは、この問題をどう捉えればよいのか、判断がつきかねるという様子だった。

 ここまでで子どもたちは、レシピエント救命が、ドナーの不明確かもしれない死によって支えられていることや、ドナーとなり得る脳死者が不足していること、日本の法律が脳死移植を条件付きで認めていることなどを学んだ。これまでレシピエントの立場のみにしか目がいっていなかった子たちも、ドナーやドナーの家族の気持ちを想像したり、脳死を人の死の一過程と捉えようとし始めたようだった。
 
 ここでもう1度、脳死者からの臓器移植をどう思うか尋ねてみた。今度は28人中23人の子が、脳死者からの臓器移植は認めたくないと答えた。前時までは、ほとんどの子が脳死者からの移植はOKと答えていたので、20人以上に心境の変化があったことになる。
 
 我々は、命をいったいどう考えたらいいのだろうか?ひとりひとりの人生の終末である死を、どんなふうに守っていけばいいのだろう? また、生きるための手段を、どこまでなら許し合うべきなのだろうか? 脳死移植の問題は、我々に、死の意味、生の意味、命の意味を問い直す、とてつもなく大きく深い問題なんだと改めて感じた。


〜 ここまで、2時間分 〜
★ これ以降、日を改めて1時間 ★

 4 心臓移植を受けた砂川亮くんの記録を読み合った。
 今一度、人の生(死)に寄り添い、そのリアリティを感じ取らせるために、砂川亮君の記録を読み合うことにした。人々の善意によって渡米し、心臓移植手術を受けた14歳の少年の記録である。  「りょうくんのホームページ」はこちら  
<子どもの反応>

・ 募金がたくさん集まって、移植できてよかった。
・ 元気になったのに亡くなって悲しい。本人も家族も、ものすごく頑張った。
・ 14歳まで寿命が延びてよかった。つらくても闘い続けたのがすごい。
・ 死にたくない気持ちが、自分もよく分かる。
・ 何回も手術して苦しんでかわいそうだったけど、家族の願いもあった。親としては少しでも長生きしてほしいと思ったんだと思う。亮君が「ありがとう」と言ってくれたのがよかったと思う。
・ 闘ったのは無駄な時間じゃなかった。
・ 亮君は14歳という若さで亡くなって、もっと長く生きれればいいと思った。お父さんもお母さんも、親より先には死んでほしくなかったと思う。それで、できるだけの手を打ったんだと思う。
・ 1万人に1人という、めったにない病気になって、亮君はいやだっただろうな。でも、病気になってからも13年くらい生きられて、それはよかったと思う。砂川亮君のお陰で私たちはいろんなことを考えることができる。
・ 亮君は何回も手術してすごいと思った、ぼくは何回も手術するのは耐えられない。
・ ぼくが亮君だったら、絶対耐えられないと思う。亮君は亡くなって、本当に残念だ。でも優しいお父さん、お母さんがいて、とてもよかった。それに14歳まで生きれて、とてもよかったと思う。
・ 亮君が最後に死にたくないと言ったけれど死んでしまってすごく気の毒だ。私は亮君にとって他人は他人だけど、亮君をこんなにも思えるって事が、なんか不思議だ。
・ 亮君は何回も手術して苦しいのを耐え、「また頑張ろうな。」と言われた時「頑張る。死にたくない。」と、頑張って生きる事を、つらい中考えて、すごいと思う。先生が言うように、もしかしたら亮君は私だったのかもしれない。もし私なら、もう早く死にたいと思っていたかもしれないので、亮君は立派だったと思うし、すごいと思うし、よくそういう事を考えたと思う。
・ 私がもし亮君だったら、臓器移植しか助かる方法はないと言われると、いやだ。人の命、死ぬ人を待つ、それはつらいと思った。でも少しでも楽に、少しでも生きたい、そう思いながら、脳死の人のわずかに生きれた時間の事を思いながら、待ち続けたい。手術はとてもいやだ。でも亮君は、注射を打ちつつ手術の傷跡、穴だらけの体、もうとってもとっても苦しかったと思う。私だったら、「つらい。つらい。こんな生活いやだ。死にたい。」そう思っていたと思う。
・ 体中に管を入れるのも痛そうだし、毎日手術にも耐えたのですごいと思う。でも、何回も手術したのに息を引き取ってしまった。亮君が今生きてたら会ってみたい。
・ 心臓移植手術が日本でできないのは困る。でも募金で1億円以上集まったからよかった。手術はできたのに亡くなったのが、ぼくはとても悲しいと思った。でも、脳が何をしても完全に死んでいる状態なら、脳死者からの心臓移植はいいと思うけど、少しでも機能が残っているのなら、心臓移植をするべきかどうかはぼくには分からない。
・ 1週間で3000万円も募金が貯まったのはすごいと思った。家族が「頑張れ」と励ましてあげたけど、でも亮君は静かに亡くなって、とてもかわいそうだった。
・ 紙芝居を見た時は脳死の場合でも臓器を取るのはよくないと思っていたけど、亮君の話を聞いたら、脳死の人から臓器を取っていいという感じに、場合によって、よかったり悪かったり思った。なのでとても迷っている。

 資料によって、亮君と亮君を支える人たちが、いかに亮君の命を大切にしてきたか、どれだけ生を望んだか、子どもたちも十分理解することができた。
 活動3までで臓器移植の問題点も学んできているので、ご両親の苦しみや、この移植手術の意味などについても、子どもなりに悩みながら考えることができたようだった。
 

< 翌日の子どもの日記より 〜これまでの学習を振り返って〜 >


・ 亮君のお父さんが言うように、苦しかった闘病生活も、無駄な時間ではなかったんだと思った。家に帰ってからこのプリントを家族で読み、父母の意見を聞いてみた。父は、「この問題は、宗教・倫理などが絡んだ難しい事だけど、病気・寿命は素直に受け入れるべき。他人の体を切り刻んでまで生き延びようとするべきではないと思っているけど、自分の子どもがそういった立場になったら考えが変わるかもね。」と言った。母は、「死んだ後、焼かれて灰になるのなら、使えるものは役立ててほしい。」と言った。両親で意見が正反対に分かれたけど、2人とも「自分の身内がそういった立場になったら考え方が変わるだろうね。どちらにしてもこの問題には正解はないよ。」と言っていた。私も今の所、結論は分からない。これからゆっくりだけど確実に勉強し、自分の考えをまとめたい。
・ 人間は、行ってはいけない道を選んだ。それは、戦争・自然破壊・臓器売買、これらみんなあってはいけないと思う。臓器移植をすると、たったひとりから取った臓器をあげるけど失敗したらひとり死んだだけじゃなく、倍に死ぬ。特に心臓は一か八かだ。もし1歩でも運が悪ければ死んでしまう。とても危険で恐ろしいし、とても悲しい。
・ 脳死や臓器移植の勉強をして、一番心に残ったのは砂川亮君のことだ。日本全国の人の応援で移植を受けたけど、14歳8ヶ月で亡くなった。管を体の中に入れられ、他の臓器も悪くなるし、とっても苦しかったと思う。けど、頑張り抜いていた。とってもかわいそうだったけど、私も亮君みたいに、どんなことにもめげず、頑張っていこうと思った。今までの勉強を振り返って思うのは、脳死の人も助かって、病気の人も助かる方法が、早く見つかってほしいと思った。
・ ぼくは、前は臓器移植はいけないと思っていたけど、今は、何回も判定して完全に脳死した人ならいいと思っている。脳死で回復できない場合は、亮君みたいな人が助かるから。でも臓器売買は、お金を稼ぐために自分の体を健康じゃなくして人に臓器をあげるんだから、また別の問題。ぼくたちは貧しい人が臓器を売らなくて済むように、募金とかいろいろして、病気の人の方はいろんな治療を試してみてほしい。
・ 脳死になっても絶対生き返りたい。でも、自分が患者だったら、ドナーカードを持っている人からなら臓器をもらいたいと思う。
・ 私は臓器売買はいけないと思う。でも、お金で売るのではなく、善意でドナーになり、その人が亡くなった時に臓器をくれるのはいいと思う。でも、ドナーでも生き返りそうだったら臓器を取り出さずに、その人を生き返らすのが先だと思う。
・ 臓器売買はいけないことだ。なぜかと言うと、臓器は物ではないからだ。私は臓器を売るのは腕を売るのと同じだと思う。
・ 今まで、心の勉強をいろいろとしてきた。ぼくはこういう事を学んでよかったと思っている。知らなかったら、ハンセン病の後遺症の人に向かって「わ、キモ!」とか言っていたかもしれない。臓器移植だって、今まではいいと思っていたけど、脳死判定の不正確さとか分かったから、今は疑問を感じている。いろんな事が分かって、本当によかった。
・ 今まで、ハンセン病・戦争・FGMなどいろいろな命の勉強をやってきて、ぼくの考えや世の中には全て差別があり、ぼくは一時期それが気になって、夢に戦争が出てきたりしたので、この勉強は一生忘れないと思う。
・ 知らない事がもっともっとあると思うので、もっと知っていきたい。




・ 子どもの心に、平和学習もハンセン病差別の問題も、FGMもサティも、全てつながりをもって受け入れられた・・今、そんな感触だ。よりよく生きるってことは、知らずにいた事を知り、自分の中でつながりを持たせ、本質を探ろうとする・・・自分に置き換え心を尽くして考える、そういう事なのだと、今改めて感じている。

・ 「日本で臓器移植が少ないわけ」を考えるという活動を、積み残してしまった・・・。機会があったら、またみんなで考え合ってみたい。

<お礼>
亮君の写真や資料をご提供下さいました砂川さん、内山さんに心より感謝申し上げます。また、紙芝居・ビデオは「医療を考える会」にご提供いただきました。ありがとうございました。

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