那須正幹氏 講演 〜 復伝 〜   
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WORKS
Last Update:2005/5/3 
・防府市在住の作家。
・代表作は「ズッコケ三人組」シリーズ60巻。
・「九条の会山口」の呼びかけ人。
生い立ち
◆ ミッドウェー海戦の翌日(1942年6月6日)生まれ。

◆ 3歳の時、爆心地から3キロの己斐町の自宅で被曝した。家の屋根は飛び、ガラス障子は全て壊れ、中も滅茶苦茶になったが、縁側の戸袋の陰にいたので軽傷だった。近所では自然発火の火事が起こった。爆心地方面から非難して来る被爆者が泥人形に見えた。ミカンの缶詰を開けるとミカンが熱く煮えており、ふぅふぅして食べた。甘い物がない時代だったのでおいしかった。父は1年間寝たきりになった。

◆ 子どもたちには、「大人は頼りにならない。自分たちのことは自分たちで決めていこう。」という気運があった。中学時代、被曝した同級生が亡くなり、自分も死ぬのかと怖くなった。被爆者検診では、常に赤血球異常と言われていた。

◆ 当時はアメリカ軍が原爆についての情報を全て管理していた。そのため、「自分たちは平和のための生け贄だった。」と信じていたが、高校時代になってそれは違うと思い始めた。

◆ 1972年、作家デビュー。

◆ 1975年、戦争に勝った日本の想像物語、「屋根裏の遠い旅」を書いた。自分の中で、あの戦争は何だったのか問い直す本だった。

◆ 1982年、「原爆の子」建立のための運動をした佐々木禎子さんの同級生を取材。2年後、嘘のない、美談で終わるのでもない本当の物語、「折り鶴の子どもたち」を出版。それまでは書きたいことを書き、読みたい人が読めばいいと思っていたが、書かなければならない事もあるのだと知った。

◆ 秋穂を舞台にした「ぼくらの地図旅行」を出版。ヒロシマの語り部と長いつきあいのある西村繁雄さん(画家)と初コンビ。「絵で読む広島の原爆」の素地になった。

◆ 1992年、「ねんどの神さま」を出版。武器商人が子ども時代に作ったねんど細工の神さまが巨大化し、最後は武器商人によって壊され戦争は続くという話。物議を醸したが、子ども読者が戦争の不条理を感じてくれればそれでいい。心の中で、自分もねんどの神さまを壊している、その罪の償いで書いた。

◆ 1995年、「絵で読む広島の原爆」が完成。正確さにこだわった。6年がかりだった。これで原爆関連の本はもうやめようと思った。 

◆ お好み焼きと平和について学ぶ「広島お好み焼き物語」を書いた。

憲法と「九条の会」について
◆ 5歳の時、平和憲法ができた。自分にとって幼なじみのようなものだ。平和憲法がなかったら空襲に遭ったかもしれないし、ベトナム戦争に行っていたかもしれない。ずっと平和憲法に守られて生きてきた。今まで憲法に守られてきたから、今度は自分たちで守りたいと思った。

◆ 17,8歳でタバコを吸う人が多いからと言って、15歳からタバコを吸えるきまりを作ったとしたらどうだろう?それではみんな怒るだろう。現状がこうだからと言って、憲法をかえようなんてとんでもない。

◆ 「九条の会」は平和活動も学習会もしない。すると人々がおびえて近寄ってこなくなる。花火なので、、火の粉が落ちた所で発火すればそれでいい。 

* 那須さんは、自分のすべき事を追い続ける、純真で謙虚で飾り気のない素敵なおじいちゃんだった。人間って、何をすべきか、何ができるのかを考え、自分自身の生き方をどう組み立てていくか考え続けていくことが大事なのだと思った。

* それにしても、今回の学習会も相変わらず年金世代の方が多かった。何十年か経って彼らがいなくなってしまったら、いったいどうなるんだろう? 

* 私はここのところ、教材研究のために以前の資料を見直したり戦争関連の本を読み直したりしていて、改めて某国のエゴイストぶりに連日憤慨している。那須さんに「ねんどの神さま」を紹介してもらって思った。今回の平和学習のシメは、「大量破壊兵器の保持について」、そして「平和のための武器という考え方について」、子どもたちととことん語り合ってみたい。全ての学習に共通するのだけれど、平和学習もまた、結局は明日をどう生きるか自分を問い直す学習でなければならないし、そうなるよう(自分を問い直し明日を考える学習になるよう)、ちゃんと組み立てるのが教師の仕事なのだと改めて思った。
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深海
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