門司レトロ・名護屋城

門司港レトロ地区
 門司港は、明治・大正時代、国際貿易港として繁栄した。
 当時の街並みを再現したのが、言わずと知れた、ここ門司レトロ。
旧門司税関庁舎  明治45年建築。煉瓦造2階建て。
 ゼツェシオン風のルネッサンス様式だとか。
 昭和初期まで使用されていた。     
レトロハイマート  31階が「門司港レトロ展望室」。デジタル望遠鏡や情報潜望鏡がある。

 階下の高層マンションには、森光子さん所有の部屋もあるんだって。
重要文化財
旧門司三井倶楽部
 大正10年、三井物産門司支店の社交倶楽部として建築された。アインシュタイン博士夫妻も宿泊したことがあるらしい。
 その後、国鉄が所有し「門鉄会館」と呼ばれる。
 外観は、ハーフ・ティンバー様式。内部はアールデコ調。 
旧大阪商船 大陸航路の待合室として使われていた。
義経に変身(左)  弁慶(右)は職場の同僚
 
 ここで雷雨に見舞われた。ものすごい音だったから、かなり近くに落ちたんじゃないかと思う。嫌な天気になってきたが、私としてはこれ幸いに、海峡プラザでパワーショッピングした。
 海峡プラザはオススメのショッピングスポットよ。
 楽しくって楽しくって、時間がいくらあっても足りませんわっ。サンダルやキャミソール、アクセサリー、食べ物にインテリアグッズetc・・・まだまだたくさん買い物し、そのあまりの重量に、ぐぐっと腕力がUPしたような・・・。
 


ドーム周辺
 他のみなさんがヤフードームで野球観戦している間、野球に興味のない私は一人でぶらぶら。 <福岡市博物館>
背後に234mの福岡タワー
 初めに、福岡市保健環境学習室「まもるーむ福岡」で、環境についてのお勉強。
 その後、ホークスタウンモールでショッピングしたり、福岡タワーに行ったり、博物館に行ったりした。

食事
 老舗料亭「三浦」でトリの水炊き。次から次へとトリ三昧。軟らかくておいしかったんだけど、あんまり続くので後半は少し疲れてしまった。


ニューハーフバー
 博多にお泊まりなので、絶対寄りたかったの。山口には ないしね。
 事前にインターネットで調べておいて、みんなを誘って行ってみた。

 初めに接客してくれたのは、脚線美の美奈子さん。
 美奈子さんは、心は男だって話してたので、私の脳は早速混乱。んじゃあ、お金いっぱいかけて、痛い思いまでして身体改造する必要があったわけ?なんで女性の身体を目指すの??って、その時思ったわけだけど、それが私の単純なところなのよね。人をカテゴライズする意味なんて、本来全然ないはずなのにね。
 
 性のアイデンティティを築く上で、世の中の性役割等はとっても有効に作用するわけだけど、そのどこにもピッタリ当てはまる人なんて、正直に生きれば生きるほど、ほんとはいるはずもない。そもそも絶対基準のように見える純男、純女なんてもの自体が、イマジネーションの産物なんだものね。そこ、忘れちゃあダメよねぇ。\(_ _)
 
 全身もういじくる場所はないって言い切ってた美奈子さんだけど、声だけはいじってなかったんだよね。女性の身体で毛がなくて、脳は男で、声の低い、それが美奈子さんだっていう、ただそれだけのことなのに、自分の知ってるカテゴリーに無理に当てはめようとして混乱するなんて、ふっ・・・おバカな私ね。 ┐(´-`)┌

 次に現れたのが、とってもかわいいアマンダちゃん。女の子に人気だって言ってたけど、うなずける。自分に真っ正直に生きている、そんな若者だった。
 踊りもとってもキュート。お酒もばんばんついでくれて、優しい優しい人だった。

 で、同伴で風のように現れた、ママのゆうかさん。きれ〜〜〜〜っ。体脂肪率、私より(比べるなっ)、ウン%も少ないのね。え?洋服9号ですってぇ? なんか足、細すぎない? 「触らせて〜」って喉まで出かかったが、それはあんまり失礼なので思い留まった。でも、一緒に行ったK嬢は、胸まで触らせてもらってた! うぐ〜〜っ。

 ゆうかママの話はもう、楽しくて楽しくて、考えさせられて・・。人権教育の講師にピッタリよ。是非校長会か何かに来ていただきたいものだと思った。
 
 

ホテル
 先輩と同室になったんだけど、もう、しゃべりにしゃべりまくって、いつのまにか爆睡した。


<翌日>
呼子朝市
 7時くらいから開店するらしい。気さくでおもしろいおばちゃんばっかりだった。キュウリ買ったらピーマンつけてくれるなど、サービスよくってびっくり。

いかづくしの昼食
「いかの活き作り定食」の いか

甘くて、軟らかくて、口の中でとろける、ピチピチのいかだった。


名護屋城・陣跡

碑には、「太閤なんとか・・・」と書いてあった。(そこしか読めなかった・・)
 豊臣秀吉はここを陣地に、各大名を朝鮮に派遣(出兵)した。(1592〜1598:文禄・慶長の役)
 16万(文禄)と14万(慶長)もの大軍だ。秀吉の天下統一が1590年だから、そのわずか2年後だ。今更言うのも変だけど、いったいどうなちゃってるんだろう?

 総面積17万平方メートル。当時は大阪城に次ぐ規模だったそうだ。確かにひと山全部がお城って感じの、5ヶ月で造ったにしては相当大きな城跡だった。能舞台跡や茶室跡もあった。

 

遠く対馬が見えた。
 城跡すぐそばの名護屋城博物館には、秀吉の遺品も多数展示。韓国人の観光客もたくさん来ていた。日本にも、日韓両国の歴史を考える、こうした施設があるんだってこと、初めて知ってちょっと嬉しかったが、その一方で、クレージーな日本人の姿がさらされて、なんだか申し訳ないような気もした。




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