光田健輔を訪ねて・・・

 市役所1号館の正面に、実に堂々と、その銅像は建っていた。優しそうな顔のおじいちゃんだった。この人が、らい予防法を成立させ、必要もないワゼクトミーを実施し、死者を解剖し、回復者の社会復帰を阻み続けてきた人なのか・・。市役所の前に建っているだけに、余計にパターナリズムとナショナリズムが強調されてるような、妙な感じだった。ここが保健所の前でなくてよかった・・・。

市役所前の光田健輔の像     「光田健輔先生」と刻まれている
 防府市には資料館もあるらしいと聞いていたので、市役所の人に尋ねたが、光田健輔の名前も知らず、資料館も知らないと言う。そこで防府駅前の観光案内所で聞くと、平成10年に完成した駅前のアスピラート(という建物)の一室に資料館をつくる計画はあったのだが実現しなかったと教えてくれた。そして、読売新聞の記事の切り抜きを見せてくれた。それは、原告とならなかった長島愛生園の回復者37名が、光田健輔の恩に報いるため、お墓参りをしたというものだった。私はとっても複雑な気持ちになった。光田を慕うがゆえに、彼らは原告ともならず、隔離の人生を敢えて受け入れたということなのだろうか?

 案内所で地図をもらい、中関にある光田の菩提寺、善正寺に行ってみた。本堂のすぐそばの、とっても分かりやすい場所に、お墓はあった。お墓のすぐ脇には、「名誉市民」「大先生」の文字の刻まれた、新しそうな碑もあった。
碑の側面には、
光田を讃える言葉があった。
「郷土の大先生」とも書いてある。
お墓と碑

 光田健輔だけが、日本のハンセン病医療を誤った道に進めたとは言えないし、光田のヒューマニズムが虚偽であったとも思わない。しかし、世界に類を見ない隔離という処遇が間違いだったと国も認めた今、光田を郷土の偉人と見る態度は、何か不似合いで、回復者に申し訳ないような気がした。(慕っている方は、確かにおられるようではあるが・・・。) 問われるべきは、ハンセン病に関わる山口県民の関心と良識なのかもしれない。

11月16日

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<光田について、太田国男さん(菊池恵楓園在住)から情報をいただいたので追記します(^^)>
長島愛生園にも胸像がある。最初は愛生焼きで建立されたが、反対派の入所者のひとりが“こんなものけしからん!”と、こっぱ微塵に叩き壊した。しかし、その後に、今度は銅製の立派な胸像ができた。
・光田は確かに非人道的な隔離政策を推進した張本人であることに間違いないが、光田の真意は非人道的であったとはいえないという証言もある。
・当時の世相は偏見と差別が強く、たとえ治って社会復帰しても、その偏見と差別に押し戻されてすぐに再入園するのが落ちだから、そんな苦労をしなくても療養所の中で暮らせばいいのだという、一見入所者をかばう温情的な面を光田は見せていた。
・ハンセン病でない人の入所に際して、光田は明石の病院の誤診だと分かっていたが、“治っていた”と書いたところを赤ペンで消した。明石の誤診だったと書けば大問題になるためである。一旦ハンセン病の刻印を押された者が郷里へ帰っても生活に困るから、入園させるのがその人に取って幸せだろうと考えたらしい。
・愛知県は、ハンセン病者の隔離政策に反対して学会から除名された小笠原 登博士の誕生の地であるが、その愛知県は皮肉にも「無癩県」運動のさきがけになった。
太田さん、情報ありがとうございました (@^0^@)
11月17日

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