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Laos 9(Plain Of Jars)

- 2011 -

飛行機だとわずか30分なのだが、バスだとヴィエンチャン〜ポーンサヴァン間は11時間もかかる。
そのポーンサヴァンからプライベートカーで、ラオス観光のハイライト、プレイン オブ ジャーに行った。

ごろごろと、ほんとにたくさんのジャーが散乱していた。
酒壺だったのか骨壺だったのか、今も決着はついていない。

 Site1(ポーンサワンから約8KM)
↓平均的なジャーの重さは600KG〜1Tで、こちらが最大の6Tのもの。
ジャー(ラオス語でハイヒン)は、1931・32年にフランスの考古学者コラニーによって発見された。

他地域の物も含めると500以上で、プレインオブジャーズにはその半数以上がある。
ごく少数のジャーからは人骨、ガラス玉などが発見されていて、
周辺の洞窟の天井にも穴が開けられていたことから、洞窟が火葬場で、
ジャーは骨壷ではないかとの説が有力視されている。
しかし地元の人は、酒壷説・米壺説を信じている。


↓周囲にはいくつかクレーター(連合軍によって投下された爆弾痕)があった。
ジャーがゲリラか、ゲリラの隠れ場所かに見えたんだろうか?

↑この「MAG」の表示の内側は安全確認ができているそうだ。
その外側には、今も地雷やUXO(不発弾)が眠っているかもしれない。

Site2(ポーンサワンから約20KM)
サイト2と3には舗装されていない道をガタゴト行った。

多くの人がこつこつと、これだけの物を彫り上げて、
そしてそれが何だったのか完全に不明になるなんて、ほんとにミステリー。
サイトは16まであるが、安全確認ができないので、見学できるのは1・2・3と16に限られている。
サイトではないが、「small spring」という場所で、1つだけジャーを見かけた。
それがこれ。↓
Site3(ポーンサワンから32KM)
サイト3には150のジャーがある。


ジャーの蓋


ほよよ〜ん。棺桶にしては大きくない?

すぐ近くに学校があった。
ラオスの学校は、小5年・中3年・高4年なんだそうだ。
   
   

 

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