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Laos (War)

- 2011 -

 ベトナム戦争で、ラオスには大変な量の爆弾が降った。8分に1回という猛烈な爆撃だった。
1964年〜75年の間に、アメリカ軍とラオス国軍の連合軍はシェンクワンに
7500トン(ラオス全体では200万トン以上)の爆弾(Xieng Khuang)を落としたが、
それは住民一人あたり少 なくとも2トン以上という計算になるそうだ。

 そして、それらは今も不発弾 (Unexploded Ordnance ;UXO)や地雷として
ラオスの人々の命を脅かし続けている。

いろいろなところにさり気なく、UXOや地雷の殻がディスプレイされていた。
また、UXO警告のポスターもあちこちで見かけた。

 
ラオスでは、今でも毎年約400件の爆弾事故が起こっている。
ラオスにあるUXOの数は何百万という途方もない数なのだ。
 
<Muang Khoun:オールド キャピタル>
アメリカの爆撃によって壊滅した、以前の州都に行った。新しい町ができてた。

↑(右下)フランスの援助で造られたという病院。
アメリカ軍の爆撃で全壊した。今も当時のままの姿で残されている。
↑(右上)That Chom Phet。ガイドはダイヤモンドストゥーパと呼んでいた。
光り輝いていたダイヤモンドは、中国軍に持ち去られたのだそうだ。
↑(左)「ワットフーン」高さ25m。19世紀の中国軍の侵攻で破壊された。

↑ワットピアワット。アメリカの爆撃で村は廃墟と化したが、この仏像だけは戦火を免れた。
村に何か問題が起こると、仏像の目からは涙が流れ、体には水滴が付くとガイドは言っていた。

MAG
MAGは、イギリスに本部を置くUXO処理専門組織だ。
シェンクワンの新州都ポーンサワンのメインストリートに展示室を構えている。
展示物は大変勉強になった。少しでも役に立ちたいと思ったのでわずか10$だがドゥネーションした。
ラオスの友軍旧ソ連軍の戦車。
村民を助けに来たが、その時にはもうみんな逃げた後だったと言っていた。

リサイクルできそうな部分は地元の人が売ってしまったそうだ。
Tham Piu
 ここは、内戦中、3つの村の市民が避難生活を送っていた洞窟で、中には病院や学校もあったのだという。
1968年11月、そこにいた全員が、CIAの情報によるアメリカ軍のロケット弾攻撃で死亡した。
犠牲者の数は、ここに記されているものと、ガイドブックとで違っているが、400人前後には違いない。
↑(右中)料金所にある小さな博物館。
↑ (右下)これが洞窟。途中までしか入れなかったが、奥深いようだった。
↓洞窟には、こんな橋やこんな石段を登って行った。
 ↑犠牲者全員の骨を集め、ここにストゥーパを建てたそうだ。
 ひとつ、納得できないというか、混乱したことがある。
 → この人なのだが、ラオス人で、アメリカ軍の戦闘機を、この銃で狙い撃ちし、落とした英雄なんだそうだ。ラオス人が彼を称える気持ちはもちろんとてもよく分かるが、そうした自然で当たり前の感情こそが、戦争を生み、長引かせる感情なのだとも思う。
 彼の功績をガイドのカニタは誇らしげに語った。私はいたたまれない気持ちになった。
Lao War Memorial(右下・右上・左上)   &  Vietnamese War Memorial(左下)
 ポーンサヴァンの町を見下ろす小高い丘の上に、ラオス人とヴェトナム人の戦争犠牲
者のための慰霊塔があった。
 犠牲者名を刻むプレートには、空白部分があり、これからも書き加えられるのだという。
 ラオスの戦後はまだ終わっていない。


   
   

 

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