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狛 犬 3

 
松尾八幡宮 〜18.Feb.2006〜
松尾八幡宮の狛犬の建立年号を見そびれていたので、確認しようと行ってきた。
ナッナニー! (^(^(^(^(^(^^;)?予想以上に古いゾ!

前に近所の人から、松尾八幡宮は花岡八幡宮より古い歴史があると聞いたことがあったのだが、
「なるほど!そうかも!」と思った。
手水鉢
 「天明四年辰三月」と記されていたので1784年の建立ということになる。
 で、そばの狛犬も、読みづらいが「天明六年丙午九月」と記されているように見えた。
 今日発見したのは、阿の尻尾の先に補修らしき痕跡が。  それともう1つの発見は、阿の股間に男性器が!花岡八幡宮の銅製の狛犬には、くっきり描かれていたが、あれは第二次世界大戦がらみで、性差が強調された時代ゆえかと勝手に解釈していた。何と江戸時代から、狛犬には性別が割り振られていたのか。
 ほ〜っ\(◎o◎)/!
 それで周辺の石造物をしげしげと眺めると・・・。
 この燈籠には、「享保十五庚戌」の文字が!(1730年) 私の数少ない近所の石造物データの中では最も古く、感動した。
ヽ(T∀T )
 鳥居のそばの、この燈籠には、「寛政二年庚戌」(1790年)の文字。境内近くの享保の燈籠よりメリハリバディーでおしゃれな感じ。同じ庚戌の寄進だ。庚戌は、特別なならわしだったのかも?(想像は膨らむ!) そう言えば、この神社には「寅開帳」と言って、寅の年だけにするお祭りがある・・・。
 
 で、肝心の鳥居なのだが、すっかり風化して文字が読めない。いったいいつの建立なのだろう?明らかに、享保十五年の燈籠よりも、石は古い!
 石造物には造られた年号が記されているので、その頃の人を想像してみたりできる。刻一刻と風化は続いているわけだから、読めるうちにちゃんと見ておきたい。

・・・・と言うわけで、私の「狛犬及び石造物観察」はこれからも続きそうな予感・・・。

 今後のめあては、近所でもっと古い狛犬または石造物を見つけること。
 (奈良とか京都ならあるのかもしれないが、こんな片田舎にあるんかいな?)・・・とは思わないことにしよう!
 鳥居に寄り添うように建っているこの石は「安政四年丁巳春」(1857年)  御旅所。読めないけど、なんとか「應」と書いてあるような・・・。「吉日」ではなく「八月十八日」と日付が入っていた。
 お祭りの時、神輿をおろし休憩したところで、近所にいくつか残されている。
  





1.Oct.2011

 



これが、今回の発見、「太華山が正面に見える」光景。
今まで全然気付かなかったのだが、神社からは
太華山(高さ365M)が真正面に見えることが分かった。







24.Oct.2011
今日地図を見ていて気付いたこと。
松尾八幡宮は、風水上、末武城の北の守りだったということ。(たぶん)
山口市の「風水散策マップ」によると、風水でいう理想の土地とは、
 山を背にして南に開けた地で、前面に池や河川を臨む「背山臨水」
 山丘が襟のように、川が帯のように囲んでいる「山川襟帯」
 風をためて水を得ることができる「蔵風得水」
 四神獣(玄武・青龍・朱雀・白虎)によって四方を守られた「四神相応」

この4つなのだそうだが、末武城のあったこの地も、
まさにそれに適合していることに気付いたのだ。

すなわち、

東・・・末武川・降松神社(青龍)
南・・・海・太華山(朱雀)
西・・・平田川・花岡八幡宮(白虎)
北・・・松尾八幡宮(玄武)
 
・・・と、こう見ると、バッチリだ。降松神社と花岡八幡宮のちょうど中間が末武城なんだもん。
しかも太華山と松尾八幡宮の中間点。
「南に山があってもいいのかな?気を塞ぐのでは?」と、
最初は思ったが、太華山は裏鬼門なのかもしれない。
こんな片田舎だが、末武の里もまた陰陽道に則って、
風水上きちんと計算されて創られた町だったに違いない。・・・たぶん

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