王塚古墳/沖出古墳/屋形古墳群/浅田古墳群/若宮古墳群
堀川用水および朝倉の揚水車
 

    

<王塚古墳> 一般公開日
 年にたった2回の一般公開日。古墳内部はいつもは閉鎖されているのだが、今日はガラス越しに前室と玄室が見学できた。しかも、発見から数年後、まだ保存設備が整う前に、実際に中まで入って壁画を間近で見たことのある地元の方(町郷土史会)のガイド付き。
 
 まずは受付で入場券をもらい、入口で番号チェック。そしてスリッパに履き替え、重厚な1枚目の扉を抜け、広い羨道を通り、2枚目の扉も抜け、中に入った。

 真っ暗闇だった。次第に目が慣れて、ガラス窓の向こうに浮かび上がる淡色の文様が見え始めた。かなりの褪色だ。ここまでとは思わなかった。先週見た竹原古墳は、粘土質の地下水が壁画をコーティングする役割を果たしたそうで、描かれているものが今でもはっきり分かったが、こちらは説明なしには分かりにくい。消えてなくなった文様もあるのかもしれない。ここで食い止めることができて本当によかった。今は完全な湿度・温度コントロールをして、更なる褪色を防いでいる。ガイドの話では、半世紀前まではもっともっと鮮明だったのだと言う。1500年永らえたものが、この50年で崩壊しようとしているのだ。文化財保護の大切さがつくづく分かる体験だった。
 壁画のレプリカはこちら→「古墳11」 レプリカを見た時点から、私もいろんな文献を読んできたので、古墳についてはちょっとは詳しくなった。他の装飾古墳も同じだが、今、この壁画に土着の日本人の湧き上がる情念を感じずにはいられない。
 

    

    

<沖出古墳(福岡県指定史跡)>嘉麻市
 全長約68mの前方後円墳。丘陵を利用し南側から高く大きく見えるように造られている。墳丘は前方部2段、後円部3段
 4世紀の終わり頃の築造。大和政権と強い結びつきがあった人物の墓と考えられている。この階段は、盗掘路を利用して、見学用に設置したものなのだそうだ。
 竪穴式石室の中に、砂岩で造られた割竹形石棺(レプリカ)が置かれていた。発見時、既に盗掘され、石棺も割られていた。石棺は、長さ2.8m、幅73cm

石室内の石。こちらは本物。

築造当時の葺石。大きさはだいたい同じだが、形はバラバラだった。
 この古墳からは、九州で唯一、三種類の腕飾形石製品が出土している。
 

    

    

国指定史跡 屋形古墳群
<珍敷塚古墳>
 ↑ メンテナンスのため5月まで見ることができないそうだ。残念。周辺には現在でも60基以上の古墳が残されている。

<鳥船塚古墳>
 墳丘は大破し既にないが、もとは円墳と推定されている。6世紀後半の造築。全長7mと言われる横穴式石室も、奥壁の石2個しか残されていない。ここも鍵がかかっていて見学できなかった。ぐすん。

 そばの説明板には、奥壁に、盾、同心円文、船と鳥、太刀、矢筒が描かれていると書かれていた。
 

    


浅田古墳群
 「塚花塚古墳」の標示の先にあったので、これが塚花塚古墳かと思ったが、違ったみたい。もっとゆっくり歩けばよかった。
 この古墳は、放置されていた。装飾古墳だった可能性は高いだろうに、もったいない・・・。
 この絶妙なバランス!
 

    

若宮古墳群
<日岡古墳>国指定史跡
 今から約1500年前、若宮古墳群の中でも最後に造られた。全長78mの前方公円墳。周濠と横穴式石室を持つ。壁画発見は明治21年(1888年)。奥壁全面に、赤・白・緑の三色で同心円文・蕨手文・三角文が描かれている。
 ここも施錠されており、入れなかった。

 大変”気”のいい場所(パワースポット)だった。空気が澄み渡っていた。大型の鳥もたくさん集まって来ていた。

<月岡古墳>出土品は国重要文化財
 若宮古墳群で最初に造られた。5世紀中頃の築造。全長約80m。前方部の外側に三重の濠が巡らされていたそうだ。
 竪穴式石室からは江戸時代後期(1805年)に多くの副葬品が発見されている。金銅で飾った兜や鞍等からは朝鮮半島との強い繋がりが、また長持形石棺からは大和政権との繋がりが指摘されている。
 

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<堀川用水および朝倉の揚水車>国指定史跡

「菱野の三連水車」



 1663年、150haの新田開発のために堀川が造られた。
その60年後、岩盤を切って取入口変更の工事が行われたが、
高度が高い田が水を受けることができなかったので、
1789年頃、水車が設置されたのだそうだ。人智の結晶なのだと
思った。
 「三島の二連水車」 「久重の二連水車」「菱野の三連水車」
の三基で、今でも35haの田を潤している。
二連水車

マンホールも水車



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