神 戸

12,18〜12,19,2004

太古の先人が耕した豊穣な地
 万葉の家人が目にした島影
  源平の軍馬がひしめいた汀(みぎわ)
   筆を極めた文人が記した光
    居留地に灯した明り
     綿々とつらなる時に想いをはせる

そして、あの日

 かたちあるものは失ったけれど
  この地に培われた感性
   それを愛おしむ知性は息づいていた
     あれから十年・・・


神戸市立博物館パンフレットより

 

* 心に残った2つのこと
「震災十年 神戸からの発信」 ・・・・市役所にかかっていた横断幕の言葉だ。

 震災の記憶を風化させることなく、全国にメッセージを発信していこうという事業で、今月(2004年12月)から約1年に渡って様々なイベントが開催される。中心となるのは、40名の語り部が全国各地を訪れ震災の教訓や復興の道程を伝えていく、「市民のかけ橋」。

 震災の傷跡は、今も街のあちこちで見受けられた。今さら言うまでもないことだけど、神戸は震災によって壊滅的な被害を受け再興した、復活の街なのだ。

 「がんばれ神戸! がんばれニッポン!」 ・・・横断幕を見て、思わずそう叫びたくなった。

 長男が通う神戸大学では、32人もの学生と職員1名が、震災の犠牲となった。(教官も、時々震災のことを講義の中で触れるそうだ。) 彼らのこと、ふるさとの保護者のことを思うと、たまらない。亡くなった学生たちは、自分たちの未来が奪われたことを知っているのだろうか?それとも、気付かないまま旅立ったのだろうか?母親たち、父親たちは、自分の元を去った子どもたちを、どれほど惜しみ、悼み続けていることだろう。急速に復興を遂げた街を見て、今、何を感じているだろうか・・・。生き残った人間が、果たさなければならない務めって何なのだろう? 死について、生について、自然と人間の営みの共存共栄について・・・、地球のこと、若者の未来のこと・・・いろんなことを考えた被災地神戸の旅だった。

 もう1つ、神戸で心に残ったこと・・・それは華僑の人々の圧倒的パワーだ。

 彼らは西洋人と同じく、日本人にとっては異人であったことに違いはないのに、見晴らしのよい北野ではなく、雑居地区に住まわされた。そして、自らの手で街を興し、守り、生き抜いてきた。日本の官憲から迫害を受けた時代もあったが、空襲後も震災後も、食糧を配布するなどしていち早く立ち上がったのは南京町の人々だった。このパワーは、いったいどこから沸き上がるのだろう・・。overseas chinese、彼らはどんな人たちなんだろう?

<ちょっと おさらい その1〜大震災>

震源地は淡路島北部。震源の深さ約16kmの都市直下型で、マグニチュード7.3、最大震度7。
神戸市内では、4500名余(子どもは179人)が死亡、全345校中295校(約85%)の学校建物が被害を受けた。
市内の全壊家屋は6万棟以上(67,421棟)、半壊5万棟以上(55,145棟)。
火災発生数175件、全半焼家屋は7,388棟。焼失面積819,223m2 避難住民数237,000人。
<ちょっと おさらい その2〜華僑>

華僑の「僑」は「僑居(仮住まい)」
 中国国籍の移住第一世代
日本などで生まれた2世、3世以降は「華人」と呼ばれる。


<第1日目>

・ 新幹線を降りて、まず行ったところは、「伊勢物語」にも登場する布引の滝。新神戸駅の裏、10分くらいのところにある。
*  雄滝・雌滝・鼓ヶ滝・夫婦滝の4つの滝からなる布引の滝 
  
日本三大神滝のひとつ。
在原行平や業平、藤原有家etc・・・
多くの有名人たちの歌碑が、
あっちこっちにあった。
雄滝の滝壺の深さは66m。
飛び込みたくなるような、エメラルドグリーン
 水がえぐった横穴が
滝の途中に5つあり、 
そこに竜宮城があると
伝えられている。

気に入ったのはコレ
我が世をば けふかあすかと待つかひの なみだの滝と いづれ高けむ(行平)

・ 次に、神戸観光のメインスポット、異人館へ

* 北野異人館
 国の重要文化財「風見鶏の館」。
どの異人館の内装もゴージャスで、「こんな家に住みたい!」と長男がしきりに言っていた。
 震災時、「萌黄の館」の3本の煙突は全て落下した。その後、館は1年かけて修復されたが、西の煙突だけは落下時のまま、のこされた。
「香りの家オランダ館」の風車

 学問の神様、菅原道真公をまつる北野天満神社。北野の中でも、最も高いところにあり、なかなかの眺めだった。水をかけると文字が浮かんでくる「水かけ占い」がある。


「うろこの家」は、神戸で最初に公開された異人館。塔のてっぺんにサンタさんが、はりつけみたいに(!)くくりつけられていた。

「香りの家オランダ館」の庭の1880年頃の自動販売機。
オランダ館では、オランダの衣装を着て記念撮影ができる。
   「うろこ美術館」
ユトリロやルノワールの絵が展示されていた。絵と家の雰囲気がピッタリマッチしていて素敵だった。
 震災で傾斜したままの塀。塀の向こうには、倒壊した木造の異人館があった。
  ・ シティループで、南京町に移動。
<シティループ>

主な観光地を巡るバス。1日650円で乗り放題。
とことん活用する予定だったが、1度乗ると、ものすごく混雑していて、
2度と乗る気になれなかった。土日は1回券がお得です!
* 南京町
南京町のシンボル
「長安門」
すごい人出だった。
南京町の醍醐味、
テイクアウトを楽しんだが、
もう、もみくちゃになった。

・ 人混みに疲れ、歩いてメリケンパークへ

* メリケンパーク
 神戸港開港は1867年(慶応3年)。外国人居留地などと一緒に、長さ200mのメリケン波止場(メリケン=アメリカ) が造られた。
 その後、1987年にメリケン波止場と中突堤を埋め立てて、メリケンパークが誕生した。
<神戸港震災メモリアルパーク>
 震災被害の様子を後世に伝えるために、この、メモリアルパークが遺された。
傾いた街灯や岸壁が、震災の激しさを物語っている。
<神戸ポートタワー>
 地上108m。
 真っ赤な鼓型の個性的なフォルム。
 1963年、神戸開港90周年を記念して建設された。
ポートタワーからの眺め。
隣の海洋博物館は休館中だった。
ざ〜んねん!


* ミニクルーズ
 中突堤から、神戸港めぐりのミニクルーズに出かけた。所要時間は約45分。
 ものすごーく寒かったけれど、神戸港を遊覧し、付近の産業や見所を分かりやすく説明してもらえて面白かった。
 予約すれば、ランチクルーズやディナークルーズもOK。

三菱重工業や川崎重工業の大型クレーンが
ひしめいていた。
船の中から見た
モザイクガーデンの観覧車

← 神戸中心部と、人工島のポートアイラ
ンドを結ぶ神戸大橋。
1970年の完成で、日本で初めてのダブル
デッキ(2階建て道路)の橋。
上が北行き、下が南行きの道路になってい
る。

ここをくぐって、船はUターンした。

・ ホテルで一休みした後、いよいよルミナリエへ。
・ 歩いても歩いても歩いても、なかなかたどり着かなかったが、長〜い行列の末に遂にその姿が見えた時、周囲でも大きなどよめきが起こった。
・ ネロがルーベンスの絵を見た時、きっとこんな感じだったに違いないと、その時思った。
・ 教会音楽とピッタリマッチしていて、荘厳で、幻想的で、畏れさえ(!)感じた一瞬だった。


* 神戸ルミナリエ
「見ると聞くでは大違い」って、このことをいうのだろう。写真と実物では、全然違ってた。
厳かで豪華で、もの悲しくて大胆で、「見てよかった〜。」と心から思った。 「ルミナリエ」の語源は、イタリア語のIlluminazione Per Feste(祝祭のためのイルミネーション)だそうだ。
震災犠牲者の鎮魂と都市の復興を願い、震災の年(1995年)の12月に初めて開催された。
資金難で年々、開催が難しくなっているという。 作者は、イタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と、神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏。

ガラスケースの中で鎮魂の灯火が、静かに灯されていた。
元町駅からルミナリエ会場まで、約1時間半かかった。すごい人混みだったので、ゆっくり人間観察することができた。人混みには、すごい人もいるもんだ。
両手をグーにして「前へならえ」し、少しの隙間にぐんぐん(ぐりぐり)割り込んでいく人とか、後ろの人を牽制してるわけでもないだろうけど、リュックに杖を入れて、時々揺らす人とか・・・。後ろの人たちの話し声もバンバン聞こえたし、あまり退屈はしなかった。
シャッターを切ってあげた人が、「お返しに撮りましょうか」と言ってくれたので、まあ、親子だからツーショットはいいかと思って、「親子ですから結構ですよ。」と言ったら、「え〜〜〜っ?恋人同士かと思った〜。」って言ったのですよ。んっもうっ嬉しいっ。その上長男が、「かーさん、若いもんね。」って言ってくれたので、更に上機嫌になってしまった。=^-^=♪ 暗くてよく見えなかったせいだとは思うけどね。
ルミナリエの写真はこちらにも載せてます。見てね。

・ 近くで食事後、ホテルに帰って、長男と翌日の計画を話し合ったり、感動を思い起こし合ったりした。

・ 泊まったのは、神戸一の高層ホテル、新神戸オリエンタルホテルの33F、ツインルームよん。

・ サービスが行き届いていて、眺めもよく、静かで、きれいで、のんびりできた。
(日本のサービス、世界一だと思う!!)


部屋からの眺め





<第2日目>

・ 35Fのレストランで朝食を摂った後、チェックアウトし、早速行動開始。

* 新神戸ロープウェイで、神戸市立布引ハーブ園へ
神戸夢風船という名のロープウェイで、約10分間の空の散歩。
前日に行った、布引の滝も眼下によく見えた。
後ろのニョッキリした建物が、前夜泊まった新神戸オリエンタルホテル。
「香りの庭園」や「香りの温室」では、200種75000株のハーブが栽培されていて、どこもかしこもとってもいい香りだった。
中世ヨーロッパの古城を真似たという展望レストランで、ハーブティーをゆっくり味わった。

・ 地上に降りると、今度は、無料解放されている市役所の24階で眺めを楽しんだ。そして、旧居留地へ。
・ しばらく町歩きした後、2つの博物館で、神戸の歴史の勉強をした。
* 旧居留地
神戸市立博物館 御影石で外装した重厚な建物で、「ベルギー王立美術館みたいだね〜。」って話しながら入った。(半年前、2人で行ったの。)そこで、特別展の「神戸ゆかりの芸術家たち」と「よみがえる兵庫津 ー港湾都市の命脈をたどるー」、それに常設展を鑑賞した。山口県との共通点だとか、ゆかりだとか、私にとっては新しい発見がいっぱいだった。伊藤博文(山口県田布施町出身)って初代の兵庫県知事だったのね〜。あと、とっても見慣れたフランシスコ・サビエルの姿も。
港湾都市としての神戸の歴史もよく分かった。
神戸華僑歴史博物館 華僑の生き方に関心があったので、是非行きたいと思っていた。博物館は、小さなビルの2階にあった。ここは華僑自身が運営し、華僑社会を紹介する日本唯一の博物館なのだそうだ。

入り口に大きく掲げられていた「落地生根」の文字。「落地生根(らくちせいこん)」とは、故郷を遠く離れた異国の地で、その国の人と睦み合い、習慣に馴染み、家業をおこし、家庭を築き、やがてはその土地の土に帰するさまを言うそうだ。華僑の生き方はまさに落地生根だと、神戸華僑歴史博物館館長の王柏林さんは述べている。

華僑の人々は、この閉鎖的な日本社会の中で、また両国間の歴史の中で、すさまじい差別や迫害に遭い、大変な苦労をし、それでも日本に大きな貢献をしてきた。私達日本人は、彼らの母国を侵略したり、南京大虐殺だとか、関東大震災時の虐殺だとか、神戸福建同胞弾圧事件・・・etc、華僑や中国人たちに、甚大な被害と迷惑、不幸をもたらしてきた。博物館ではその一端も紹介されていた。(深いため息・・・) それなのに、屈託なく笑い、話し、勉強会にも誘ってくれた受付の女性に会い、私は何だかほっとした。恐らくは彼女も「落地生根」の精神で、歴史を伝え、友達を増やし、日本を好きでいてくれるに違いない・・・。
異国で民族のアイデンティティを守る意義だとか、ナショナリティを越えた人と人との結びつきだとかについても、短い時間ではあったが、考えさせられた。

・ この後、南京町で食事し、長男と別れた。

・ 長男は気付いてないと思うけど、あっさりバイバイした後で、こっそり後ろ姿を見守ってたんだよね・・・。

・ たくましくなったよね、YY(長男の名前ね)。冬休みは早く帰って来てね。一緒にまたいろんなとこ行こうね〜。

・ 以上、たった2日間だけだけど、私なりに充実した、神戸の旅の記録でした。

・ 読んで下さってありがとうございました。


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