飫肥(宮崎県日南市)・霧島(鹿児島県霧島市)


伊東氏14代280年余の栄華が息づく、九州の小京都 飫肥(おび)に行った。
ここでは戦国時代、飫肥城の覇権をめぐり、伊東家と島津家が激しい戦闘を繰り広げたという歴史もある。



豫章館

   豫章館の庭
明治2年に建てられた伊東家の住まい。
 庭の中心に井戸があった。飛び石付き。
井戸って言うと、つい生活水を思い浮かべるが、
きれいな庭の中心に構えられていて、ちょっと珍しいと思った。
庭の石造物 飫肥城では、ちょうどお祭りをしていた。

飫肥城 松尾の丸

飫肥杉を使って復元された。
茶室や蒸し風呂もあった。

小村寿太郎記念館

ポーツマス条約の資料など、見応え十分だった。

飫肥駅前
 歴史資料館
甲冑や刀剣、武具、着物など、飫肥藩
ゆかりの資料が展示されている。


霧島神宮
 被災 (噴火による炎上)の度に移転を繰り返し、現在の場所になった。西の日光と呼ばれている。
 殿内は漆塗り。絵画、龍柱、鴬帳りの床などがある。


古宮址
かつて霧島神宮があった所
 540年、高千穂峯の山頂近く、脊門丘に社殿が建立されたが、たびたび噴火炎上し、この場所に降りてきた。
 が、ここも鎌倉時代の噴火で焼失した。鳥居や石段のみ残されている。

 しかしまぁ、ここも絶景だった。「神社建てたくなるよね〜。」「絶対ここだよね〜。」などと家族で言い合った。正面と背後に高千穂峯、
中岳等の霧島連山を臨む。紅葉がざぞかし綺麗だろう。空気がシャンとしていた。







    

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