錦 帯 橋 界 隈


 日本三名橋に数えられる錦帯橋。見れば見るほど美しい橋だ。
それに、ただ美しいだけではなく、少々の増水には流されない強さも併せ持つ。
3代吉川広嘉が、中国の西湖に渡された絵を見て思い付いたんだって。(焼き餅が膨らむのを見て思い付いたという話もある。)

錦帯橋を渡って、名物のソフトクリーム食べて、河川敷でぶらぶらして帰るのが、私のいつもの散策パターンだったので、
今日は久し振りに徴古館などにも寄ってみた。



佐々木小次郎&菖蒲園...


・・と言っても、やっぱり最初は錦帯橋の鑑賞から。



 錦帯橋は、今から約330年前の1673年の創建。
 木造橋としては、我が国最大の文化遺産だ。
 創建の翌年、洪水のため流出したものの、以降、昭和25年のキジヤ台風まで、不落の記録を持つ。


 橋の長さは橋面に沿って210m、幅は5m、橋脚の高さは6,6m。

 何年か前、軽自動車でここに乗り込んだ若者が逮捕されたっけな。車で渡ってみたかったんだって。罰金が30万だったか300万だったか忘れたが、すごい金額だった。私が子どもの頃には、この橋の下の錦川を四駆で突っ切ろうとして流された無謀なドライバーもいたっけな。

 毎年4月29日には大名行列やよさこい・鉄砲打ちなどが行われる錦帯橋まつりがある。鵜飼いや、錦川水の祭典(8月第1土曜)も、もうすぐだ。
 さて、橋を渡って右手すぐのところに、地元のライオンズクラブの建てた佐々木小次郎の銅像がある。



 実際のところ、小次郎の出生地や生れ年については明確な資料はないみたいだが、もともと彼が岩柳と名乗り、後に巌流と称したことから岩国出身説が生まれたらしい・・・。何だか都合よすぎるような気も・・。
 銅像後ろの菖蒲園は、6月頃が見頃。一面、紫色の海になる。

 

 ↑吉香公園側の錦帯橋下には、「巌流ゆかりの柳」と名付けられた柳もある。


 
 
 錦帯橋のたもとに建つ「皇太子殿下行脚記念碑」。
 台座の石が変わった模様だったので、ちょっと撮ってみた(^^)。


 錦帯橋界隈には、岩国石人形っていう不思議な形の天然石もある。文字通り人形の形をしている小さな小さな石だ。
 人柱となった娘の生まれ変わりという伝説があり、厄よけのお守りとして大事にされてきたらしい。

 シロヘビ神社やお城には、たびたび行くので、今回はパスね。



岩国徴古館と錦雲閣、香川家長屋門...

 
 <岩国徴古館>

 吉川家より寄贈された美術・工芸・歴史資料、また錦帯橋の模型や絵、橋に使われた木などが展示されている。昭和20年完成。
 



 菖蒲園から錦雲閣を臨む。
 屋根だけちょこっと見えている。


 
 日曜日でもないのに、ストリートではいろんなパフォーマンスが繰り広げられていた。着物姿の熟女たちは、盆踊り(?)の練習中だった。

<香川家長屋門>



 岩国藩家老、香川家の表門で、県の重要文化財。
 香川正恒が1693年に建立したと伝えられている。
 他に通用門、平時門などもあり、身分や用件により門が使い分けられていた。


 羽柴秀吉の山陰侵攻から鳥取城を守るために派遣され、そこで自刃した吉川経家の碑。岩国徴古館にも経家の関連資料が豊富だった。



 <槍倒し松>
 参勤交代で大名が他藩の城下を通る時は、槍を倒して通るのが礼儀だったが、岩国が小藩であるため、諸藩がこれを守らず、槍を立てたまま通っていた。そのため横枝の張った松をわざと植え、槍を倒さなければ渡れないようにしたもの。



吉川史料館...

 吉川氏は藤原氏の流れで、駿河の吉川邑に居住し吉川姓を名乗ったことに始まる。後、安芸の大朝庄の地頭を経て、関ヶ原の戦いにより岩国入封。以来、明治廃藩まで岩国藩の藩主だった。



 ここには、吉川家伝来の歴史資料・美術工芸品・書簡など約7000点が所蔵されている。が、展示品はあまり数が多くなく、ちょっと残念。それに、吉川広家は、家康から本領安堵の約定を反故にされた上での入封だったわけだけど、毛利家断絶を救ったのも事実だし、そのへんのいきさつとか、毛利家との関係性だとかがもっと詳しく分かる資料が見たいな〜って思った。
 





 
 <史料館そばの倉>
 出来立てで、ピカピカだった。

 この後、吉川家墓所に行きたかったのだけど、七分咲きの桜があまりにもきれいで(←これは言い訳(^^ゞ)、何と、行くのを忘れてしまった!



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