+ + かくれ念仏洞 + +





 宮崎県  
 

 島津藩や人吉藩、相良藩、高鍋藩、琉球などでは、
明治5年まで約300年に渡り、浄土真宗(一向宗)の信仰が禁じられた。

本願寺への上納制度のため藩内の金銀が流出したことや、
戦闘的組織力を危険視したことなどが原因と言われている。

信者は厳しく弾圧され、それによって亡くなった信者は 14万人にのぼる。
同時期に同じく弾圧された隠れキリシタンもそうなのだが、
彼らは、なぜ、そこまで抵抗し続けたのだろう ?
信仰とは、いったい何なのだろう?




山江村歴史民族資料館にて


隠し仏壇
見かけはタンスで、扉を開くと仏壇が隠されていた。

くり抜かれた阿弥陀如来像
まな板や傘などに本尊を隠した「まな板本尊」や「傘仏」などもあったようだ。

そして、隠れ念仏洞とは・・・・

 藩の役人に見つからないよう、雨や嵐など天候の悪い深夜、
洞穴に仏具を隠し、法座を開いて法悦の夜を過ごしたのだという。

都城市山之口町の「田島かくれ念仏洞」
燃える反骨精神!
入り口はこちら↓
 原形をとどめているのは、山之口町ではここだけらしい。
大人一人がやっと通れるくらいの広さの穴。
まるで、ただの溝だ。
ホーチミン郊外のクチトンネルを思い出す。

 

 





  
 
<キリシタン殉教地訪問記は、こちらよ。→ 「津和野 乙女峠」>



 
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