■ 回天 ■



「天を回らせ戦局を逆転させる」
という願いを込め、
人間魚雷回天は誕生した。



 徳山港から沖合に約10q、高速船で20分。瀬戸内海に大津島という小島がある。そこに、かつて人間魚雷回天の発射基地があった。



■ 徳山港  ■

大津島観光案内図
 「徳山東ライオンズクラブ」が建立した案内板  今まで、回天基地とキャンプにしか行ったことがなかったけど、意外に見所も多いのかも?

 便数は結構多い。65人乗りの高速船と、200人乗りのフェリーが出ている。  コンビナートのすぐそばに波止場がある。(徳山港)




■ 大津島 ■
 大津島は、調整工場、訓練施設、宿舎など、島全体が回天関連施設だった。

調整場から発射訓練基地まで続くトンネル



回天発射訓練基地跡

進駐軍によって破壊され、
今は建物の枠組みしか残っていない。


長いトンネル
中には記録写真が展示してあった。
日本語の他に、英語の説明も付いていた。



 トンネルの中の空気は、ひんやりしていた。

 トロッコのレール跡の分かるコンクリートの道。




      真新しい石碑
 これも「ライオンズクラブ」の建立


トンネルの途中の穴から海が見えた。
非常時にはここから指令を飛ばしたそうだ。


発射基地は、昭和12年の建設。
初めは回天専用ではなかった。
昭和19年、回天の操縦訓練が開始された。
回天の射程距離は40qもあったらしい。
(それで遠くの海まで障害物のない大津島が選ばれた。)
島の周りを回ったり、直線走行したり・・・、
そんな訓練が行われた。

柵ができていて、建物の中には入れないようになっていた。
(以前は入れてたんだけど。)



「地獄の石段」(真上から見たところ)
急勾配で訓練生泣かせだったようだ。
ここも立ち入り禁止になっていた。



■ 回天記念館 ■


烈士石碑
両脇の石に戦死者の名前が刻まれている。
みな、願いを込めて、親が付けた名前だ・・・。
 

平和祈念の鐘
大島沖で謎の沈没をした戦艦陸奥の船体の鉄で作ったのだそうだ。



実物大の模型
まっすぐ海を向いていた。
(以前は老朽化した実物が置いてあったと夫が言っていた。)


回天推進装置の一部(燃焼室、シリンダー部、推進軸)
 〜93式魚雷〜
海中投棄されていたものを漁民が釣り上げた。
93式魚雷は航跡のほとんど出ない優れものだったそうで、それが回天にも使われた。



回天隊は沿岸警備にも有効と判断され、各地に配置された。

回天考案は、黒木大尉と仁科中尉という2人の若者。
時には血書をもって嘆願し、ようやく開発が認められた。
二人は回天に乗り込み、散っていった。

黒木大尉は悪天候の中での訓練中、事故死した。
救助を待つ間、約2000字の遺書や気付きをしたためていた。

回天記念館内
 遺書・手紙・軍服・遺影・遺品が約1000点保管されている。


遺品

出身県も出身大学も
様々だった。



遺影

最年少は17歳で、最年長は28歳。妻子のいる人もいた。遺影のない人もいた。

 回天に乗り込んだのは、もともとは志願者だけだったが、戦争末期には半強制的になっていったようだ。

 回天記念館近くの無料休憩所「養浩館」にも、関連展示があった。


 今回の展示、完全に母心で見ていた。散っていった若者たちは、我が子と変わらぬ年だ。そして、世界中で今も頻発する自爆テロ・・・・・・祖国に命を捧げる若者たちのことを思った。

 平和って尊い。平和のためにできることがあったら、何でもしたい。しなければならない。


                  以上はプライベートでの訪問の記録

 
 後日、「ふるさと遠足」で、担任している6年生と一緒に訪れた。
 以下は見学後の子ども達の感想

・ 私は、回天には乗りたくない。みんなもおそらくそうだ。しかし、戦死したあの若者 達は、自ら死を決心し、乗ると言った。感動した。
・ 回天でみんなを守ろうとした人達を立派に思うけど、戦争はしてはいけないと思う。

・ ぼくは、平和学習をするたびに「ああ、戦争って本当に悲惨なんだなー。なんでこん なことするのかなー。」と思う。回天は、日本の国を守りたいという強い思いから生まれた、とても悲しい兵器だということが分かった。

・ やっぱり平和が一番。私がこの一日で学んで一番思ったことだ。歩いたかいがあった。

・ 行ってよかった。たくさんの人が国のために命を落とすなんてすごいと感じた。

・ まだ学べていない所もたくさんあるので、また今度行って勉強したいと思った。
・ 改めて戦争の恐ろしさを実感した。二度と絶対に戦争をさせないように、私達が気を付けなければならないと思った。












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