勝山城跡(山口県下関市)

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 文久3年(1863)、久坂玄瑞らは関門海峡を通る外国船を二度に渡って砲撃。
 翌月、烈強の反撃に遭い、さらに翌元治元年(1864)には、英・蘭・仏・米の四国連合17隻の軍艦により大規模な攻撃を受けた。(馬関戦争)

 その頃、外国船からの攻撃を意識して急ピッチで築かれたのがこの城。

 馬関戦争後の交渉役として長州藩に呼び戻された晋作は、連合側からの賠償金請求と彦島譲渡の申し出を一蹴。
 彦島分割を免れた。人には持って生まれた仕事があるのだなとつくづく思う。






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