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Indonesia  7  ジョグジャカルタ



インドネシア第4日目、格安航空会社ライオンエアー6:10発でデンパサールからジョグジャカルタへ。
バリ島とジャワ島の時差は1時間。機上できれいな夜明けを見た。
眼下の洋上には島々が多数浮いていた。

 ジョグジャカルタに着いたら、まずは翌々日の国内線の予約 & その日の宿探し。
 スラバヤまでの移動は、飛行機にしようか列車にしようか迷ったが、航空運賃がたったの4000円ちょっとだったので、
少しでも早く着く飛行機に乗ることにした。
 ホテルはボロブドゥールのマノハラホテルを狙っていたが、あいにく満室だったため、隣のRajasaホテルを予約。
 そして車をチャーターし、プランバナン寺院群とジョグジャカルタ市内の観光に出かけた。

 ★ プランバナン寺院群の観光の様子はこちらを見てね。→「Indonesia9

 観光後はRajasaホテルで宿泊。  ★ ホテルの写真はこちらよ。 →「Indonesia5

 翌日は朝食前にボロブドゥール史跡公園等観光し、その後、ディエン高原のアルジュナ寺院群等を観光した。  

 ★ ボロブドゥール史跡公園等の様子は →「Indonesia11
 ★ ディエン高原のアルジュナ寺院群等の様子は →「Indonesia14」「Indonesia15

 夕方、再びジョグジャカルタ入りし、宿探し。夜はマッサージをしてナイトマーケットで買い物。

 翌インドネシア5日目は、お決まりの早朝市内観光から。
 前々日に見そびれたところを中心にベチャと徒歩で観光し、帰って朝食 & 空港へ移動、スラバヤに飛んだ。


クラトン王宮
 ハメンク・ブオノ1世により1756年に建てられた伝統的なジャワ宮廷様式の建造物。チンカラバラとバラウパタと名付けられた2体の像が入口を護っている。現在の王はハメンク・ブオノ10世。
 床は大理石張り

 ここにも、あっちこっちに鳥かごがあった。ジャワの男性にとって、家、クリス(剣)、女性(妻)、馬、鳥は価値あるものと見なされ、成功とステイタスのシンボルだった。鳴き声のよい鳥の値段は、オートバイ1台分にも相当する。
ジョグジャの小径 〜 従来からの庶民の住宅街(カンポン) 〜
王宮から、地元の人の生活道を歩いてタマン・サリ(水の宮殿)へ。  曲がり角が多く、何度も曲がるともう、どっちに進んでいるのか分からなくなって行った。で、会う人ごとに、道を尋ねた。

道端で会った子

きれいなバティック
を着たマダム →
生活の様子がよく見える小径だった。 雑貨店 ↓
洗濯場 ↓
随所にアートも。
所々にゴミ箱が設置されていた。
黙々と仕事をしていた。
 ここで我々はほとんど迷子状態になった。歩いても歩いても、迷路から抜け出せずドライバーの待つ王宮の駐車場に辿り着けない。道を聞いた相手が悪かったのだが・・・「こっちに行けばすぐなんだ。」とか何とか言う人に付いていくと・・・・自分の父親の工房に連れて行かれた。がくっ。
この人ですっ!「早く帰りたい。」って言うのを無視して連れて行った。↓

 そして、小径を散々歩いてやっとのことで王宮に帰ったが、王宮が広くて、おまけに閉園時間が来ていてゲートが閉まった(金曜日は12時、金曜以外は13時に閉館してしまう)ので、入った場所から出られず、駐車場の在処が分からない。英語の分かる親切な若者に、ドライバーが所属しているはずの空港のエイジェンシーに電話をかけてもらうなどしたが、結局ドライバーには連絡がつかず・・・、まぁ、大変だった。

 が、若者達は、私が歩き回ろうとすると、日焼けするから日陰にいるようにと言ったり(←この発言・発想には驚いた。彼は確かにジャワ人だったのに。)、自分のバイクで我々がチャーターした車を探しに行ってくれる人までいて、親切だった。ありがたかった。

 最後は、(親切心からの)制止を振り切り自分で歩き、駐車場を見つけたのよ。すぐのところだった。むっは〜。ドライバーからは、「買い物してたの?」と言われた。
 ここ、「展望台」だったのかなぁ? 地震とツナミで壊れてしまったけれど、元々はきれいなコロニアル建築だったらしい。
タマン・サリ
 これはナイショなのだが・・・、全く悪気もなく、もちろん故意でもないが、地元の人に付いていったら、入場料を払わないままに中に入ってしまっていた。
 この塀の向こう(右側)の、王子の住居は工事中だった。
 3階の小窓からスルタンが水浴びする美女(側室達)を見て、その夜の相手を選び、寝室に呼んだんだって。合図は、花をお相手にぽとんと落としたらしい。
300年前までは、ここもタマン・サリの水の中だったそうだ。  スルタンのベッドルーム。選ばれた人は奥にある、もう1つの水浴び場を通ってここに来たそうだ。
地下トンネル。かつては水の下だった。  今は物置みたいになっているが、スルタンがメディテーションした部屋だったそうだ。
迎賓館
フレデブリク要塞博物館
1949年の独立戦争勝利のモニュメント。4年5ヶ月のオランダとの戦争で80万人が犠牲になった。
大モスク(マスジット・アグン)
大音量でアザーンが流れていた。
ジャラン マリオボロのコロニアル建築

郵便局

ワヤン・クリッ上演スケジュール

 

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