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Indonesia  11  ボロブドゥール


午前6時の開門と同時にボロブドゥール遺跡公園に入場し、日の出を待った。
ボロブドゥール テンプル

 実はもうだいぶ明るくなっていたのだが、太陽はどこにも見えなかった。
この1週間、日の出は見ていないとガイドが言っていた。
ボロブドゥールの夜明け・・・かな。光は強いのだが薄雲に覆われていて、やっぱり太陽ははっきりとは見えなかった。

この寺院、山の表面を覆うように造られていて、824年に献納されたと言われている。

造るはしから崩れ始めたので、完成前にも補修が繰り返されている。せっかくのレリーフが覆われた所も多い。

頂上部分

頭のない仏像。かつての宗主国オランダから来た人々が、頭だけ取って、オランダに持って帰ってしまったのだという。
 → エントランスで日本語ガイドを頼んだ。彼は、ボロブドールが史跡公園として整備される前、ここにあった村で生まれ、生活していたのだという。15年前には、第1期の「研修生」として、日本に渡り、働きながら川口市に4年間住んでいたのだそうだ。
 我々の泊まったホテル「Rajasa」で、当時彼を世話したという日本人、Hさんにも会った。Hさんは、研修生制度は「日本のニーズのため」とはっきり言っていた。二つの文化の架け橋とか、インドネシアの発展のためとか、そういう意識や目的は、あまり持ち合わせていないようだったので、私はちょっと腑に落ちない気がした。
 「ケンシュウセイ」は、今やかつての「ロウムシャ」と同じく、現地語になってしまっている。この日チャーターしたタクシーのドライバーは、友達が研修生として日本に行ったと言い、聞き覚えた日本語の意味を尋ねて来たりもした。(「『ヤクザ』ってどういう意味?」などと言っていた。)本屋さんには日本の生け花や住まいの本などもあり、日本に関心を持つ人が多いことを窺わせた。
 ↑ ムスリムだが、自分は不良なので真面目にサウム(日中の絶食)に取り組んでいないと言っていた。そんな人もいるのね。ちょっと驚きだ。ムスリムのドライバーやベチャワーラーは、サウムをちゃんと守っていた。

 今年のラマダーンは8月2日から8月29日までらしい。その後、1週間、学校も休みになり、人々はバカンスに入るようだ。
 この暑い時期、日中、水も飲まないとは、何と忍耐強い人々なのかと思う。
 ↑ このベルひとつひとつの中に仏様が入っている。手前のベルの窓が菱形なのは、まだ迷いのあることを示し、後方(頂上のすぐ前)のベルの窓が四角く安定しているのは、迷いを超越した悟りの世界を表しているのだそうだ。ボロブドール テンプルは、頂上に近いほど悟りの世界に近付くことを表している。


ボロブドゥールと パウォン、ムンドゥの3つの建物は、かつて参道で一つに結ばれていた。
パウォンとムンドゥは、ボロブドゥールからそれぞれ1.7kmと3.3km先にある。
ボロブドゥールの6時の開門&夜明けに間に合うよう、早朝4時にオジェック(バイクタクシー)をチャーターし、
2つの寺院を巡った。
 
開門は当然まだで、管理人もいなかったけれど、ドライバーがどこからか管理人を呼んできてくれて、
普通の料金で開けてもらえた。
思いがけず僧院でメディテーションすることもでき、気持ちの良い1日のスタートだった。
チャンディ ムンドゥ
8世紀末から9世紀初め頃、ボロブドゥールと同時期の創設。

フルムーンだったが、周囲は真っ暗

内部から天井を臨む。
中には優美で華麗な仏像が3体あった。



ぐわしっ!スッピンだぜっ!

→ 観世音菩薩。美しい!

↓ 釈迦牟尼仏。慈愛を感じる。
足の位置が独特で、柔らかな丸みのある体だ。 入口から中央の釈迦牟尼仏を臨む。
外壁のレリーフ
チャンディ ムンドゥすぐ側の僧院でメディテーションした。
修行僧が親切にお堂の中に導いてくれた。
ムンドゥ ブディスト モナストリ(僧院)
物音ひとつしない、静寂の世界だった。
よく整備された、近代的な僧院だった。

→ こちらのお堂で、しばし私もメディテーション。
鼻から入る空気が生きて弾けていて、
魂が解きほぐされていく気がした。
 
 10000Rpだけお布施した。


 オジェックのドライバーは、「日本からインドネシアに来るのに、飛行機代が7000000Rpかかるというのは本当か。」と言うので、「本当よ。」と言うと、「ヒュー!」とビックリしていた。だから我々旅行者を、とんでもないお金持ちだと認識したのではないかと思う。
 このことと関係あるかどうかは分からないが、オジェックのチャーター代を、初め13000Rpと言っていたのに、支払い時には30000Rpと言ってきた。初めの13000Rpというのが、まぁ私の聞き間違いだったかもしれないし、30000Rpくらいの価値はあると思ったので払ったけど。
チャンディ パウォン
ここはシャーレーンドラ王朝第10代インドラ王の王廟だと考えられている。
チャンディ前の土産物屋さんが、私の訪問と共にオープンした。
 すぐ側に日本風の建物があった。セキュリティボックス(警備員詰所)なのだそうだ。

 ジョグジャカルタとボロブドゥールの間の道には、昨年(2010年10・11月)のメラピ山噴火の傷跡が生々しく残っていた。300人以上が亡くなり、30万人以上が非難した記憶は、地元の人々の心からそう簡単に消えることはない。ジョグジャ周辺のドライバーはことごとく当時の惨状を口にし、「ツナミ フクシマ」を気遣ってくれた。
 
 噴火当時、ボロブドゥールテンプルはシートで覆われ保護されたが、今でも当時の降灰被害からの復旧のため、遺跡上部への立入は禁止されている。(2011年11月には立入禁止は解除の見込み)
メラピ山から30km以上離れた場所へもラハール(土石流)は押し寄せた。
民家の庭には、まだ灰が降り積もっていた。

 

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