Indonesia

我が家の本棚にある「地球の歩き方〜インドネシア〜」は2004年版(出版は2003年)なので、
もうかれこれ7〜8年間もインドネシアへの思いを温めていたことになる。

2011年夏、遂に、ずっとずっと行きたかったインドネシアに行くことができた。
私を送り出してくれた家族や、一緒に行って下さった先輩F枝さん、
そしてF枝さんの配偶者様、現地のみなさん、諸々に感謝したい。

旅に出る前は、「インドネシア準備編」(★)にも記したスケジュールを予定していたのだが、
現実にはどんどん変わり、最終的には、こんな↓旅となった。


行 程
10日 福岡空港 〜 シンガポール乗継ぎ 〜 ングラライ空港(デンパサール) 〜 ウブド泊
11日 ウブド市内観光 〜 ペジェンの寺院観光 〜 タンパクシリンの棚田見学・遺跡観光 〜 ウブド泊
12日 ウブド 〜 タバナンの棚田見学 〜 アムラプラの王宮見学 〜 クタ・レギャン泊
13日 クタ・レギャン 〜 ングラライ空港 〜 アディスチプト空港(ジョグジャカルタ) 〜 プランバナン遺跡群観光 〜 ジョグジャカルタ市内観光 〜 ボロブドゥール泊
14日 ボロブドゥール 〜 ディエン高原の遺跡・地熱帯・湖・パワースポット観光 〜 ジョグジャカルタ泊
15日 ジョグジャカルタ市内観光 〜 アディスチプト空港 〜 ジュアンダ空港(スラバヤ) 〜 スラバヤ泊
16日 スラバヤ市内観光 〜 マドゥーラ島観光 〜 スラバヤ空港 〜 機内泊
17日 帰国
写真はこちら→「Travel

私の印象
 インドネシアのみなさんは、のんびりゆったりした明るい人ばかりだった。しかも勤勉だった。誰かが困っていたら、労を惜しまず、我が事のように協力する。ベチャワーラーや、信号待ちの車に声を掛ける物売りのお兄さんまでもが、車が混み合う場所では進んで交通整理を始めるのには驚いた。また、どのタクシードライバーも、行った先で、誰かれかまわず親しげに声を掛け、笑顔をふりまいていた。


 
     やおら交通整理を始めた物売りのお兄さん
     みなさんも指示にちゃんと従っていた。



 信仰心も厚く、毎日が信仰に基づいた楚々とした暮らしぶりだった。しかもそれぞれの宗教をリスペクトし合っていた。ホテルのオーナー夫妻など、夫婦で信仰が違うことなんて、何の障害でもないようだった。家族全員が別々の宗教、なんて家もあるのだそうだ。


 その一方で、街角には、独立に関わる勇ましい銅像がたくさんあった。ちょっとミスマッチな気さえした。彼らの優しさは、故郷を愛する強い心に支えられてこその優しさと言えるのかもしれない。

 




 そして、彼らにとってメラピ山の大噴火やスマトラ沖地震による大きな被害は、未だ過去のことではなく、今後も長く続く大きな悲しみであることを知った。


 ・・・ひとつ、私の中でどうも整理がつかないでいるのは、インドネシアとティモールとの関係だ。スラバヤの街に掲げられていた、この大きな広告は、どう解釈したらいいのだろう?遂にインドネシアの抑圧から解放され独立した東ティモールのことを、人々はどう思っているのだろう?6月のスラバヤ空港爆弾テロ未遂の背景は何だったのだろう?(←私の情報収集不足です・・)インドネシアのことに詳しい人を見つけて、聞いてみたいと思う。






 インドネシアでは、銃の保持はイリーガルではないらしい。
猟銃らしいが、こんな格好でバイクにまたがっているなんて、
恐いよ・・・。



 
  街はどこもかしこも活気があった。田園の真ん中でさ
 え、たくさんの人々が働いていて活気があった。道路工
 事も早朝から始まっていた。学校も市場も、朝早くから
 開いており、夜明け前でも誰かが必ず道を歩いていた。
言 葉
 インドネシア語もバリ語も全然覚えられなかった・・・。英語が十分通じたので、覚える気にならなかったというのがホントの所だ。これは真摯に反省したい。「こんにちは」のひとつも言えれば、もっといろんな笑顔が見られたに違いない。
人々
 バリの人、ジャワの人、ティモールの人、ボルネオの人、いろんな人と話をした。みんなとても優しかった。明るかった。これからも、いろいろな国の人と話したいと思う。

 ボルネオから来たという2人↑ インドネシア人だけど、ホテルのスリッパで歩いていたので、旅行者だとすぐ分かった。

草をはむ牛の背後には、荒れ果てたチャンディがあった。

きれいな田園風景の広がるテガラランの小川には
ゴミが溢れていた。ゴミはここだけではなく、
あっちこっちで結構見かけた。



    

Copyright © 2011- Yoshiko. all right reserved.

inserted by FC2 system