インド 〜アジャンタ石窟寺院群〜

 

2年前(2006年)と比べ、今回インドでびっくりしたこと・・・予定の時刻に飛ぶ飛行機が、格段に増えていたこと。
大幅な遅れも全く目にしなかった。

我々の乗った飛行機も、オンタイムでデリーからムンバイへ、そしてアウランガバードへ。
予定通りにコトが運ぶ安心感を味わった。
そして、アジャンタをゆっくり見学することができた。

もう1つ安心したことは、文化財に対する保護の構えだ。
壁画のある石窟にはきちんとインド人の監視員が立ち、
フラッシュ撮影禁止の規則を守らない人に大声で注意していた。

また、駐車場は石窟群と遠く離れていて、車で遺跡付近までは乗り入れられない。
観光客は、シャトルバスを利用する。(AC車12ルピー、NonAC車7ルピー)
または徒歩。
こんなジャングルの中だけど、それはとてもよいことだと思った。

ここの博物館や道路は、日本の援助でできたそうだ。
「お役に立ててよかった〜。」 日本人の一人として嬉しかった。


ワーグラ河沿いの断崖にあるインド最古の仏教石窟寺院群がアジャンタ石窟寺院群だ。
ムンバイから東に約400km(飛行機で1時間+車で2時間弱)の所にある。

紀元前200年頃から数世紀に渡って断続的に建造され、ヴァーカータカ帝国の崩壊と共に放置された。
1819年、虎狩りをしていたイギリス人ジョン・スミス士官が発見。
1893年、世界遺産に登録。
 
 長さ 550メートルの半円を描く高さ 76メートルの断崖に、30余りの石窟が造られている。
 約4時間、昼食を摂るのも忘れて見学した。

 猿や犬、リスなどがあっちこっちにいた。昔は虎もいたらしい。

 第1窟の周りでは、「ここに靴を置くと悪いインド人が盗むから、見ててあげる」などと言って、
ガイドをしたがる人がたくさん声をかけてきた。

 写真を撮らせてほしいと言ってくる観光客もいた。理由を尋ねてもno reasonだと言っていた。
 香港からデリーまで同じ便だったという韓国人のカメラマンや、添乗員をしているというインド人にも出会った。
 東洋人のオバさん二人連れは相当目立つらしい。


<壁画>        

 第1窟の「持蓮華菩薩」(6世紀頃) 

第17窟の天井画。 
 上手に撮れなかったので悪しからず。
 フラッシュ禁止なので明るさが足りず、
こんなにボンヤリだけど、目視だとその
美しさはハッキリクッキリ確認できた。
 法隆寺金堂壁画の原型となったと言われる絵だ。
いったいどんな人が、どうやって日本に伝えたのだろう。
1000年以上、誰にも発見されず、風化から守られた。
 
 この他にも、ブッダの前世の物語「ジャータカ」のシーン等、たくさんの壁画が鮮やかに描かれていた。
染料は、赤や黄が砂土、緑は植物、黒は炭、青はペルシャから渡って来た染料で後年着色されたと言われている。
保存状態がよく、「デカン高原の奇跡」と呼ばれている。

未完のヴィハーラ(僧院) 第15窟
  この動き!ここは仏教遺跡だが、限りなくヒンドゥー教の香りがする。
第16窟のエレファントゲート
内部には、ラーメンの丼のような唐草模様の壁画があった。
第20窟 ここも未完
↑ 第2窟の入り口

  


チャイティア(礼拝堂)内のストゥーパ(仏塔)

 

第19窟 第26窟 第10窟 
 中央の像は、クベーラ。 ストゥーパの高さは3m

 クベーラは財宝を司る神で、ヤクシャの王。
 北方の守護神ともされる。

 ここはアダム・スミスが最初に発見した石
窟で、右側13番目の柱上部に彼の小さい
サイン(と言うか、落書き)が書き残されて
いた。発見時、この部屋の半分以上が砂に
埋もれていたそうだ。



 

   
 

チャイティア(礼拝堂)

 


↑ 第9窟


第26窟↓

インド最大、7.3mの涅槃像(第26窟)


第26窟入り口の仏像 ↓
偶像崇拝のない原始仏教時代(ヘニアナ)の建造(紀元前2〜1世紀)ゆえ、仏像や壁画のない窟が5つあった。

    



 紀元前に開かれた第10窟に、
5世紀頃描き加えられたものだそうだ。
 
                ↑ 柱の壁画

← 柱の彫刻 マンダラ
 



ファサード

第7窟 ヴィハーラ(僧院) 5世紀の建造 街中では見かけなかったが、ここには洋装のインド人女性がいた。
 
 

ここでも入場はインディアン料金とツーリスト料金が設定されており、連れのYさんは憤慨していた。



帰りのシャトルバスで乗り合わせたインド少年2人(14歳と15歳)。
将来、エンジニアとホテルマンになりたいと言っていた。
無許可で写真をバシバシ撮ってきた。


 この日のドライバー タクイとは、インドの歴史や未来のこと、日印の文化の違いなど、いろいろ話した。
 彼の冷静で的確な歴史観や宗教観、人間観や宇宙観には感心した。
 インドを愛し、家族を愛し、誇りを持って生きていた。
 先進国の人々から、もっともっと学びたいんだと言っていた。
 写真、一緒に撮ればよかった・・・。


<インドで おビョーキになるの巻>

 衛生状態のよくないレストランで食事した。ハエは飛び回り、食事している我々の足元を野良犬が走っていた。
 食べきれないのでTake outのお願いをすると、ウエイター(マスターかも?)はビニル袋にフッと息を吹きかけて袋を開き、
手づかみでチャパティを入れた・・・。にこやかだった・・・。いい人そうだった・・・・・。

 深夜1時、腹痛で目が覚めた。身体を伸ばせないほどの激痛。こんな腹痛、人生初。
 トイレに行くと、水状のウ△△が! 大ショックだった。「がっび〜ん!旅先でおビョーキになってしまったわっ。」

 幸いにも抗生物質と消炎剤を持って行っていたので、すぐさま、がっつり飲んだ。
 朝になるまでの間に、何度も何度も下痢をした。(=TェT=)
 10分おきとか、15分おきくらい・・・。30分くらい便座から立ち上がれない時もあった。
 
 翌朝、食事は摂れなかった(食べる気がしなかった)が、薬だけは飲んだ。
 それで腹痛も治まり何とか快復(身体を伸ばして歩けるようになったという意味よ)。
 何度か下痢はしたが観光を続けることができた。

 強烈なバイ菌・・・・、幼年時に初感染した場合、インド人は自力で戦うのだろうか・・・?
 その戦いを勝ち抜いた人だけに「免疫」という戦利品が与えられるのよね、やっぱり。
 薬の力で快復した私には、戦利品は・・・当然ない・・・よね。。。。。。。(;>_<;)
 もう二度と感染したくはないのだけれど・・・・。



 

 
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