インド・・・第2日目

 ムンバイ列車爆破事件や、バンガロール・アーマダーバードでの相次ぐ爆撃テロ、英航空機爆破計画等を受け、
インド政府は8月15日の独立記念日に向け、治安レベルを近年で最高の水準に引き上げた。レッドフォートも8月
7日から観光禁止、ラージガートやチャンドニチョーク、大統領官邸付近も厳戒態勢のピリピリムード。のんびり観
光できなかったのは残念だった。

 レッド・フォートでは式典当日、首相演説や、城壁から三色旗を掲げる式典等が行われるそうだ。レッドフォートの
周囲だけで1万7000人の警備員が配置され、デリー全体だと約7万人、空からもヘリコプターが監視にあたるのだ
とか。列車の運行も一時中断される。我々が観光に訪れたこの日も早朝から、銃を携えた多くの警官や軍人が警
戒中だった。

  


デリー

外から見るだけになったラール・キラー(レッドフォート)  ここで写真を撮っていたら、警官に大声で注意された。
 車窓観光中も警察車両に追尾・クラクションを鳴らされ、
ちょっとビックリだった。
ラージパト通り。インド門側から見た大統領官邸
 高さ約42m、幅25m。
 1931年イギリスによる建築。

 第一次世界大戦や北西部国境地帯
の紛争、第三次アフガン戦争の犠牲
者約8万5000人の名前が刻まれてい
る慰霊塔。

 第一次世界大戦では、インド兵は戦
後のイギリスからの独立を信じ戦った
が、その約束をイギリスは反古にした。
ひどい話だ。
 
 しかし、そのことが偉大なる(マハ
ートマ)ガンディーの出現に繋がって
いくんだから、歴史の必然性を感じず
にはいられない・・・。

 夜はライトアップされ、とっても綺麗
だった。 

インド門

騎馬隊(音楽隊)が行進の練習をしていた。

 

 

   
 

フマユーン廟

 ムガル帝国第2代フマユーンの王妃ハージ・ベグム(ペルシャ出身)が、夫のために造った廟。
 フマユーンは、ペルシャに亡命後に帰国し、ムガル朝を再建した皇帝だが、宮廷の図書館の階段から落ち、あっけなく死んでしまった。
・・・落ちて死んだのか、死んだから落ちたのか、分からないじゃんと思った。

四方どこから見ても同じ形に見えるように造られている。
中央のドームの高さは38m。
その後のイスラム式建築のモデルになった。
 参道の中央部に溝が掘ってあり、きれいな水が流れていた。
 噴水も稼働中だった。
 庭でヨガ教室が行われていた。
 観光に来ていたインド人に、勝手に写真を撮られた。
庭園も、正方形に区切られたペルシャ式
 ← 3人の王子の墓
 この廟は、ムガル朝の滅亡を見届けた場所でもある。
 セポイの反乱時、3人の王子と共に反乱軍側についた
ムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー 2世 は、この
廟に避難して捕らえられ、ミャンマーに追放された。

    



クトゥブ・ミナール複合建築群

 奴隷王朝の創始者 アイバク(トルコ系軍人:奴隷階級出身)は、12世紀末、インド北部を征服すると、戦闘用の象によって27のヒンドゥー寺院やジャイナ寺院を破壊した。そしてイスラムの力を誇示するために、ここにインド最古のモスク、クッワト・アルイスラーム・モスクと、勝利記念塔 クトゥブ・ミナール を建造した。

(左)白いドームが、クッワト・アルイスラーム・モスク。
   その隣のクトゥブ・ミナールの基部の直径14.5m。
   高さは現在72.5m。かつては100mあったが、 
   今もインドで一番高い石塔だ。
   第4層と5層が大理石で1357年に建て増しされたもの。
   登れはしないが、内部に379段の階段があるらしい。
   
   日に 5回の礼拝を呼びかけるための塔でもある。
(右)クトゥブ・ミナールを真下から見上げた所。
   第1層だけヒンドゥー様式だが、壁面にはアラビア語
   でコーランが刻まれている。

チャンドラ・ヴァルマンの鉄柱
(アショカ・ピラーとも呼ばれる。)

西暦415年 築
鉄の純度が高いために錆びたことがないそうだ。
(実際は・・・錆びていた・・・・。)
リン酸化合物がコーティングされていたのも錆びなかった原因らしい。
グプタ朝のチャンドラグプタによる建造。高さ約7m。地下部分2m。

この鉄塔を後ろ向きで抱えて、指と指が触れば幸せになれるとか、
またここに来られるなどの言い伝えがあるそうだが、今は柵に囲まれていた。

そう言えば、2年前に行ったダウラタバードにも「錆びない鉄」と言われていたもの
があったな。見張台の上のキャノン砲。
現地ガイドは、どうやって運びあげたのか謎なんだとも言っていた。
 12世紀終わりから14世紀にかけての造られ、その後崩壊したモスクが、少しずつ再建され始めていた。
 これらは皆モスクだが、建設当時、既にこの地にあったヒンドゥー寺院の石材を使ったので、動物の模様とか、およそモスクにふさわしくないものが見え面白い。

鉄柱は、広場の中央にある。
ジオメトリックな模様が美しい。   同じ敷地内にクトゥブミナールの2倍の高さの塔(アラーイー
の塔)の建設も始まっていたが、計画した皇帝の死亡により、
途中で放棄された。
← 水の巡らせ方も、よく考えられていた。



ジャンタル・マンタル

 天文学者でもあったラージ・プート族のマハラジャ、サワイ・ジャイ・シン2世が1725年に建てた天文台。
 ここに、日時計・子午線儀・星座儀・天球経緯儀など6つの観測施設が点在している。

 ジャンタルは道具、マンタルは計測機という意味らしい。
 インドにはこの他4ヶ所(ジャイプル、ウッジャイン、バラナシ、マトゥーラ)に、彼の天文台がある。
 マトゥーラ以外現存。
ここにも水を貯める施設があった。

 

ラクシュミー・ナラヤン寺院(別名ビルラー寺院)

 セメント事業で成功したビルラ氏が寄進した寺院。
 ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)と、妃ラクシュミーを中心とするヒンドゥーの神々や、他の宗教の神々までもが祀られている。
 女性の地位向上にも尽力した寺院なのだそうだ。

 私の場合、よくあることなのだが・・・帰国してから、オールドデリーには、「未婚の母のホーム」と、マザーテレサの「子ども達の家」が
あることを知った。孤児の90%は、女の子なのだという。インドに存在するダブルスタンダードが、どれだけ女性や子どもを苦しめている
のか、この目で確かめる好機だったのに、事前研究不足でとても残念だ。
 
 <おまけ>
 この日のドライバーは、ラフルという名のヒンドゥー教徒で、ガソリンは初めから4分の1以下しか入れてきてないし、ACは付けないし、自
分の忘れ物を取りにホテルや勤め先に寄るし、「〜が近いみたいだから寄って。」と言うと、「そこは一方通行なんだ。」とかって拒否する
し・・・。(結構ミエミエ!) サービス業が何たるか、あんまり分かってないような人だった。我々は車から降りなかったが、シルクやジュエ
リーショップに勝手に寄ったりもした。「me」も「it」も「them」も全部「you」って言っていたし、「before 2hours」と「before 2o'clock」の違い
が、どう言っても分かってもらえなかったりもした。英語はきっと独学なんだと思う。インド門の欺瞞(イギリスは約束に背いて独立させず、
慰霊塔を建設することでお茶を濁した)をどう思うか聞いてみたが、残念ながら歴史認識とか意見とか持ち合わせていなかった。
 最後にチップをあげたら「もう1人分くれ。」なんて言ってもきた・・・。これもインドの思い出・・・。
 

<追記>
2008年9月13日(帰国のちょうど1ヶ月後)、ニューデリーのコンノートプレイスのマーケット等で爆弾テロ・・・・。
信仰の名の下に、暴力で意思を通そうとする人達に、どんなふうに話せば悲しむ人々の気持ちが伝わるのだろうか?

<追記2>
2008年9月27日、再び凶行が繰り返された。


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