「田尻の磨崖仏」「本庄の石仏」(宮崎県国富町田尻)


    

 昭和8年12月5日 県指定史跡

かつての松森(しょうりん)寺裏の松森山の岩壁に刻まれた、
高さ約5.7m、肩幅約1.6mの薬師如来像


びっしりと苔むしていた。苔から発せられる生命エネルギーだと思うのだが、モワモワとした命の営みを感じた。


樹齢約800年の、しいの大樹の根株にある「日羅上人座像」
像の目玉は金でできていたが、盗難に遭ったと説明板にあった。


 日羅上人は、6世紀に百済の王に仕えた日本人。二位達率という官位の高級官僚だった。
 父は、宣化天皇の代に朝鮮半島に渡海した大伴金村に仕えた九州出身の武人。

 敏達天皇の要請により583年、日本に帰国し、朝鮮半島に対する政策について朝廷に奏上したが、
その内容が百済に不利な内容であったため、同年12月に百済人によって暗殺された。墓は熊本県八代市坂本町にある。
↑「本庄の石仏」から40mほど下った場所で、かっては日羅上人のつくった「照崎寺」があった。
今は観音堂が建っている。林の隙間のあっちこっちから光が射し込んでいた。

 


「不動明王と観音像」

 ここには石仏寺の山門として、左に観音像、右に不動明王が刻まれた岩があった。

はじめ岩間は約3 mあったが、不動明王を刻んだ岩が倒れて観音像の頭部をつぶしたそうだ。

岩間は心清き人だけが通行でき、悪事を働く者は不動明王の怒りを受けて通り抜けることができないと言い伝えられてきた。


<観音像>体から離れて地面上にあった。


<不動明王像>頭部がどこか、よく分からなかった。


<夫婦岩> こちらにも苔がびっしり


命の存在をビンビンに感じるスポットだった。

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