...日田豆田町...

 日田は江戸時代、天領地として日田代官所が置かれた城下町。御用達商人が集中していたのが豆田町で、今でも県内最古の商家や蔵屋敷が建ち並んでいる。

 ほんとに日田は見応えのある素敵な町だった。維持管理が大変というオーナーの話もあちこちで聞いたが、観光客をたくさん集めて、いつまでも守り抜いてほしいと思った。
 
天領ひな御殿
 現代のものから250年前のものなど約3500体の雛人形が所狭しと展示されていた。圧巻だった。きれいでかわいくて、いつまでも見ていたいほどだった。小さな口の中にも、舌やお歯黒まで丁寧に作られていた。着物の柄や縫い目など、ほんとに緻密で感心した。

私が一番好きだったのはこれ。藤匠のお人形↑
60歳になったら、有り金はたいて自分の
ために買おうかな・・・と密かに思った。







私が「中華風だね」って言ったら、
夫が「韓国風なんじゃない?」と言った。

立派な駕籠もあったが、窮屈で疲れそうだなと思った。
歩く方が疲れないかも・・・。


お茶目なお人形もあった。↑









岩尾薬舗日本丸館
(国登録有形文化財)
 安政2年創業の薬舗 兼 資料館。
江戸時代から増改築され続け、現在の形になったのだという。
2階の大広間も庭園も展望楼も、杉の1本造りの廊下も素敵だった。
薬に関する展示は数多く、短時間では見切れないほどだった。





昭和30年まで使われていたという台所↑

 昔の薬なので薬草が原料かと勝手に思っていたのだが、
牛黄(ごおう)・熊胆(くまのい)など、
動物由来のいろんな成分が含まれているらしかった。

今でも日本は熊胆消費大国で、動物への
残酷な虐待に加担している。
そこをもっと知らなくっちゃね、と思った。




薫長酒蔵博物館
 5棟の蔵がすべて建築当時の姿で残っている全国的にも大変珍しい酒蔵群。現在も、江戸時代から大正時代にかけて建築された蔵で清酒や焼酎の製造を行っている。 一番古いのは、元禄15年(1702年)に建てられた蔵。





資料館には、昔ながらの酒造りの道具がたくさん展示されていた。

それぞれの用途にあった道具ばかりで、完成度は極めて高いと感じた。

日本の木製品の緻密さ・優秀さは、他の国にはないんじゃないかといつも思う。

100年くらい時が止まったんじゃないかと思える空間だった。
「薫長」というお酒は初めて飲んだが、おいしゅうございました!




長福寺(国指定重要文化財)

真宗寺院建築の様式が顕著で、全国的に貴重な建物のようだ。


文化2(1805)年に廣瀬淡窓が開塾。咸宜園の前身となった。




廣瀬資料館(国指定史跡)
 廣瀬淡窓は両替商の大富豪のお坊ちゃまだった。ここは淡窓が生まれた家だが、敷地も広く、建物や家具調度品も高級そうで、彼の恵まれた環境が伝わってきた。
塾生は全国から集まり、長州藩の大村益次郎も門下生。


上棟の年月日が記された梁






蔵の中もとても広かった。






天領日田はきもの資料館
日田市は下駄の三大産地なのだそうだ。資料館は、忍者が使った小道具や、全国から集めた珍しい下駄、それから和紙を使ったお人形など、見ていて飽きないものばかりだった。



花魁道中で履かれた下駄や、スケートの刃の付いたものなど、
おもしろいものもたくさんあった。「日本一の杉下駄」は、高さ4m、重さ約1トンで、ほんとに巨大だった。




咸宜園を開塾した廣瀬淡窓の生い立ちが表現されていた。





歩道にも下駄があった。




天領日田資料館

わずか2万石から始まって、大変な繁栄をした様子がよく分かった。
廣瀬淡窓に関する史料も多かった。
淡窓の「いろは歌」のひとつ、 「鋭きも鈍きも 共に捨て難し 錐と槌とに使い分けなば」は心掛けたいと思った。


珈琲談義所 嶋屋
とても雰囲気の良い喫茶店だった。元は豆腐屋さん、その後35年間空き家になったり、咸宜園使用人の家になったりしたのだそうだ。










咸宜園
明治30年の閉塾まで約4800人が入門した。ここでは、身分や年齢、学歴に関係なく(三奪法)、月旦評(成績表)で評価された。
 



駅前のブロンズ像
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