ヒロシマ 社会見学 (5年)

 遂に、社会見学の日がやって来た・・・。
 4月以来、急ピッチで平和学習を進めてきたが、やはり、わずか1ヶ月の事前学習は、結構大変ではあった・・・。
 今後のモチベーションの持たせ方に工夫を懲らし、この見学をこれまでの平和学習の総決算としてではなく、全ての始まりと捉えるようにしたいと思う。
 

10:00 平和記念公園に到着。平和記念資料館へ。
11:00 「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げた後、平和公園内を班別自由行動&お弁当。
 
<原爆の子の像>

 1958年、佐々木禎子さんの同級生らにより建立された。像の下には、像を建立した子どもたちが除幕式で読み上げた「誓いの言葉」の一部が黒御影石に刻まれている。
<元安川の対岸から原爆ドームを臨む>

 産業奨励館だったこの建物は、チェコの建設家ヤン・レツル氏の設計。原爆投下当時、館内には20〜30人の人がいたのではないかと言われるが、詳細は不明。
 戦後しばらくの間、この壁面には、瀕死の被爆者が書いた絶筆や、家族への伝言が多く刻まれていた。

<広島陸軍幼年学校 正門跡>

 陸軍幼年学校は、陸軍幹部の養成機関として明治30年に開校、昭和3年に軍縮のため一旦廃校となったが、昭和11年に再興され、昭和20年までに3,345名の将校生徒を輩出した。建物は焼失したが、門柱が残った。
<広島城>

 石垣を残して城は全て焼き尽くされた。掘りには無数の死体が浮かんだという。



<原爆供養塔>

  市内に散乱した遺骨を可能な限り集め、納めた塚。
 名前が分かっても一家全滅で引き取り手がなかったり、創氏改名で本名の知れない朝鮮人も多く含まれているそうだ。
<平和の鐘>

 鐘の表面には国境のない世界地図が描かれている。



 

<慈仙寺の墓石>

 浅野藩重役の墓。本体は浮き上がり、五輪は吹き飛ばされ、台座は地にのめり込んだ。
 公園造成のための盛り土が施される前の地面が、ここにある。
 
<韓国人原爆犠牲者慰霊碑>

  韓国の銘石を運んで建造されたもので、碑の中には、韓国人死没者の名簿が収められている。この碑は99年になってやっと本川対岸から平和公園内に移設された。


 
<平和乃観音像>
1956年建立

 すぐそばには、原爆によって壊滅した中島本町の復元地図がある。アメリカの航空写真を元に、生存者が記憶をたどって作った地図だと言う。


平和公園
   中島本町の他にも、平和公園のある場所には、元柳町、材木町、天神町などの町があった。
 戦後、廃墟となったふるさとに、やっとの思いで帰ってきてバラックを建て住んでいた人を立ち退かせ、遺骨の上に盛り土で整地して造ったのが、この公園だ。








<子どもの感想〜平和記念資料館・平和公園〜>
・私の知らないことがたくさんあって、原爆の恐ろしさがもっと分かった。
・たくさんの慰霊碑があり、1つ1つに意味があった。鶴にもたくさんの願いが込められていると思う。今、私達にできることは鶴を折ることくらいしかできないけど、鶴を作ってよかったと思う。早く治ってほしい。
・(資料館では)写真を撮るのがかわいそうだった。
・平和に、命を大切に生きていきたい。
・原爆ドームは大きかった。
・その場所1つ1つに、平和を思う気持ちがつまっていた。
・名前の通り、平和になったらいい。何万人も死んだので、平和はとても大切だと思った。
・放射線を浴びたビンがあって、「触れて下さい」と書いてあったけど、放射能が移るかもしれないと思って、すごく恐かった。
・何kmも離れていても物が壊れたことが分かって、ガラスの破片も刺さっていた。
・人形は、今にも動き出しそうだった。泣きそうで、見ていられなかった。
・禎子さんは、あんなに小さな鶴を折っていた。ぼくにはできない。
・死んだり苦しんだりした人の資料を見て、とてもかわいそうだった。もう原爆や戦争はなくなったらいい。
・ぼくはこの見学旅行で平和の大切さを学んだ。だからもっと平和を大切にして、自分でできて平和につながることをどんどんやっていきたい。今、核を持っている国は核をなくして、世界がとっても平和になったらいいと思う。日本もアメリカも世界中がなかよくなってほしい。
・千羽鶴がたくさん置いてあった。
・たくさんの人が「平和の鐘」を鳴らしていて、平和はすごく大切だと思ったので、私も鳴らした。
・世界が平和になってほしいし、大人になっても戦争が続いていたら、ぼくたちでとめたい。
・真っ黒焦げになったり、爆心地から離れていても病気になったり死んだりして、すごく泣きそうになった。
・家に帰ってずっと思った。なぜ原爆を落とす必要があったのか、なぜ多くの人を殺したのか、もう二度と誰の上にも原爆は落とさないでほしい。いろんな人に原爆の恐ろしさを知ってほしい。落とした人は、すごーーーーーーく反省してほしい。
・悲しみや苦しみに耐えてきた人はすごい。私ならできない。
・日本も悪いから、原爆を落とした人に「あなたが悪い」とは言えない。日本も戦いをしなければ、広島も長崎も原爆は落とされなかったはず。



12:00〜14:45 班別市内フィールドワーク
Aチーム
第五師団地下司令部壕跡

縮景園

広電本社

西応寺

<子どもの感想>
・地下司令部壕跡は、少し暗くてこわかった。狭いと思ったら広かった。
・被爆電車に乗れてうれしかった。
・みんなと協力して学べて、珍しい電車にも乗れて、すごくうれしい。
・縮景園は、みんなで協力して建て直したんだと思う。きれいだった。

Bチーム
第五師団地下司令部壕跡

逓信病院・郵政局

日赤病院

<子どもの感想>
・薬や麻酔も原爆で壊されて使えなくなったそうだ。放射能で重症を負った人々は、病院の近くの池で水を飲んで死んでいったと聞いて、ものすごくかわいそうで泣きそうになった。戦争が終わった時は、もう広島はボロボロで何もかもメチャクチャになって、人も建物も全滅で、ほんとにかわいそうだった。だからもう戦争は絶対やめてほしい。大人になっても戦争は絶対起こさないようにがんばりたい。
・手術室に入れてもらった。あまり広くなかったので、たくさんの人が怪我をしたのに、少しずつしか入れなかっただろうなと思う。
・入院していた人たちは、特に苦しんだと思う。とても悲しい。

Cチーム
本川小学校

広電本社

日赤病院

袋町小学校

<子どもの感想>
・まだ何年かしか生きていない小学生がたくさん死んでいったので、とてもかわいそうだ。ぼくもまだ10年しか生きていないので、がんばって生きたい。
・袋町小学校には、友達や家族への伝言がたくさん書かれていて、原爆が落ちても他の人を思うのは優しい心だと思った。今は、人のことなど思わず、平気で人を殺している人が何人もいるから、もっと人のことを思うようにしたい。
・電車は大勢の人を乗せて走れてすごいけど、その電車も吹き飛んでしまうので、原爆はすごい威力だ。3日で一部の電車が走るようになったので、広電の人はすごくきつかったと思う。
・予定通りいかなかったけど、いろんな人に聞いたり、自分たちだけで路面電車に乗ったりして、とてもいい経験ができた。


 社会見学に行く直前、那須正幹さんの「ねんどの神様」の読み聞かせをした。
平和を守るためには、より強い武器を持つことが大事だと信じている男が、
子ども時代に作ったねんどの神様(戦争をなくそうとする神様)を踏みつぶすシーンで終わっている絵本だ。

・・・平和って、どうやって守ったらいいのだろう・・・?
 隣人と仲よくするために、自分にできることって何だろう?
 相手より強く見せかけることが対等であるための条件なのか??
 世界唯一の被爆国として、我々にできることって何なんだろう? 
疑問は、次々に胸の中に沸き上がる。

「ねんどの神様」は、近いうちに国語科でゆっくり扱おうと思っている。

 学んだことを、各班で新聞にまとめ始めた。出来上がりが楽しみだ!





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