私達の平和を考える(第三次1/4時)〜「許そう、しかし忘れるな」〜(5年:総合的な学習)



第三次のねらい   
  アジア・太平洋戦争において、日本がアジア民衆に対して行った民族差別がどんなものであったかを知り、加害国の一員として我々ひとりひとりがどう償えるのかを考える。
  
<1/4時の授業の流れ>
1
カンチャナブリ(タイ)にある戦争記念館入り口の看板に刻まれた言葉「Forgive But Not Forget 許そう、しかし忘れるな」を知らせ、どんな意味か考えてほしいと投げかけた。

2
1932年の上海上陸からの日本軍の足跡をたどり、イアンフ(従軍慰安婦)やロームシャ(強制労働の被害者)がどのように生み出されたのか、敗戦でどうなったのか、また、それらに対する日本の政府の態度、国民の姿勢を伝えた。
 <学習内容>
・ 1938年の国家総動員法と国内の挺身隊、アジアの挺身隊
・ 1941年のマレー半島コタバル海岸への上陸、フィリピン攻撃
・ 敗戦でジャングルに置き去り、洞窟で銃殺
・ アジア国民基金の成り立ち、受け取りと受け取り拒否
・ タイ、インドネシア、シンガポール、韓国、朝鮮フィリピン他アジア諸国のイアンフ・ロームシャ(現地語となっている)、兵補等
・ バターン死の行進、鉄道敷設、土まんじゅう
・ 日本政府の態度(謝罪と補償の拒否)
・ 教科書に載らない加害の歴史

 
<子どもの反応>
・ 私たちと年も変わらない女の子達がさらわれ従軍慰安婦にされたり、男も強制労働させたりして、すごくひどいと思う。
・ まさかタイでもこんなことがあったなんて知らなかった。
・ むかついたり、憎んだりしていじめたりすると、いじめられた方もむかつくし恨む。そのことの繰り返しが差別を起こすと思う。戦争もけんかの重なりだからいっしょだと思う。
・ タイにも日本の戦争のせいで苦しんだ人がいることが分かった。
・ 差別は人を無視することだ。
・ アメリカは何カ国と戦争したんだろう。
・ 日本がもともと他の国をいきなり攻撃したのがいけない。
・ 従軍慰安婦がどんなに悲惨な目に遭わされたか分かった。私でも絶対にいや。
・ 7万人の捕虜や現地の人を80キロも歩かせて1万人以上が死んだなんて信じられない。
・ 日本はアジアでこんなひどいことをしたのかと思った。
・ 人を嫌がり、憎む心が差別だと思う。
・ 人を金で買ったり、さらったりしたのを初めて知った。
・ 差別のもとは、人をばかにしたりするいじめではないかと思う。
・ 日本人はいろんな人をだましていたことが分かった。
・ 12月8日は真珠湾攻撃だけじゃなかったのを初めて知った。
・ 他の国の人だからと言って、なぜそんなにひどいことをしたのだろう。
・ だまされた女性はとてもつらかったと思う。
・ 「許そう、しかし忘れるな」の言葉は、戦争のことは許して心の中にはいつまでもしまっておくという言葉だけど、戦争のことはいつまでも許せないと思う。でも、憎しみを増やしても仕方ないかもしれない。
・ 他の国の人をバカにするのは許せない。なぜ「許そう」と言ってもらえるのか?
・ 日本人が作った「土人」という差別の言葉を初めて知った。
・ 80キロも歩かされて死んでいった人の死体は、お墓に埋められなかったのだろうか。


3
 家でもう一度今日の学習を振り返り、自分の考えを書いてきてほしいことを伝えた。

 ここでは、私達は被害の事実だけでなく加害の事実・現実にも目を向けていく必要があることや、そこに至った我々の落ち度(差別心)も謙虚に反省するべきこと、日頃考えもなく人を差別することはなかったか等々話したが、子どもの心に届いたか不安だった。しかし、翌日日記を読んで、私の思いを感じ取ってくれた子もいたことが分かりほっとした。子どもたちの日記を読んで、私もひとりの日本人として、人間として、よりよく生きなくっちゃと思った。

 <子どもの日記より>
・ 元従軍慰安婦が、この後どういうふうに生きていくのか知りたい。
・ 同じ日本人同士なのに、挺身隊とか国家総動員法とかあって、議員も国民のことを考えて法律を作ってほしい。ハンセン病でも、らい予防法はハンセン病の人のことを考えてなかったと思う。
・ 今日の勉強で日本人がタイの人や中国の人たちをどのくらい差別してきたか分かった。差別している人は、差別を誰かにされて、それで他の人に差別することも分かった。それで、自分も他の人を差別してるのではないかと思った。平和学習やハンセン病回復者への差別とか勉強してきたので差別しないように気を付けているが、他の人から見ると差別しているように見えることもあるかもしれないし、平和学習や回復者への差別のこととかを勉強していなかった幼稚園の時とか1年から4年までに何回か差別をしてきたかもしれない。だからそのことを反省しないといけないと思った。初めて知ったこともあるし、差別は絶対してはいけないと心から思った。
・ 兵士に命令を聞かせるために、女性をだましたりさらったりして連れていくのが、とても許せない。毎日何十人もやったら、絶対に心は死ぬと思う。タイの人が「許そう、しかし忘れるな」と言って許しているのに、日本は謝っていないので、謝ったらとてもタイと仲よくなれると思う。日本は北朝鮮に謝りもしないで、人をかえせと言ってもだめだと思う。謝るのが先だと思う。私は、時々誰かに悪口を言われてないかと思う時があったけど、今はそんなの思っていない。私はみんなを信じているから。
・ 他の国に対する差別やバカにする言葉はいけないと思う。いじめ、差別、憎しみから戦争が起こると思う。私は、戦争のことも、差別のことも、いじめのことも、よく勉強していろいろな事を学んで、大人になって先生のようにいろいろなところに行って、戦争のこと、差別のことをもっと知って、他の人に伝えたい。
・ 戦争だからと言って、相手の国を差別して傷つけるのを初めて知って、ぼくはそれが許せない。でも、戦争があること自体おかしいと思う。アメリカは核を持っているけど、アメリカと日本が共同になって差別をやめて核兵器をつくるのをやめて全部の国に平和を作ったらいいと思った。
・ 戦争がばかばかしくなってきた。
・ 人をばかにする心が世界中から消えてほしい。
・ 幸せな世界にしたい。
・ 責任者が無理やり司令しているのがいけない。戦争を始める時にみんなが反対できなかったのは、強い人が司令したからだと思う。
・ 女性が戦地で利用されたなんて信じられない。女の人は徹底的に差別されていたのだと思う。ものすごいセクシャルハラスメントだと思うし、私は絶対にいやだから、誰だっていやだと思う。
・7万人もの人を歩かせて、ほんとにほんとに想像したら、ほんとうにつらそうな顔が浮かび上がってきて、かわいそうだった。



 翌日、日記に書かれていたことを私から簡単に紹介した。そして、もう一度、アジアに大変な損害を与えた責任は我々自身の差別する心にあったことや、謝罪や補償についても、私たち、ひとりひとりが考え、負っていかなければならないのではないかと問いかけた。
 

 <終わりに>
 本時の終末か翌日の時点で、「許そう、しかし忘れるな」の意味をもう少し考えてみる時間が確保できればよかったのだが不十分だった。ショートの学活などで補足したい。他にも、本時では説明的な支援が多くなってしまい、子どもの疑問や義憤に応える展開とならなかったことを反省している。また、子どもの心を揺さぶる資料が私の怠慢から十分に準備できなかったことも反省している。改善したい。
 次時(2/4時)では、民衆への残虐行為を語る資料をもとに、事象や事実に対する子どもの考えを引き出して、意見交換の時間を十分保障したい。

 私はこの頃、ハンセン病回復者に対する差別問題を考える中で、自分の「加害認識の甘さ」に戸惑いを感じていた。我々自身が持つ差別意識の正体なんて、考えてもすぐに解明できるようなものでもないのだが、考えることを抜きにしては、人権教育は語れないのだと、今回の授業でも改めて感じた。
 
11月15日

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