ふるさとに帰れない 第五次 〜宿泊拒否から見えてきたもの〜  (5年:道徳)
Last up date  2004/3/28
<学習の概要>
1 <経過を振り返ろう>
・ 前時に視聴した「ETVスペシャル 宿泊拒否〜ハンセン病回復者の人権〜」<NHK・3月13日(土)22:45〜23:30放送>の内容想起
・ 宿泊拒否した人の気持ち
・ 謝罪拒否した人の気持ち
・ 中傷した人々の気持ち
(・ 熊本県の立場、行動)
2 <自分の心を見つめよう>
・ 太田国男さんの言葉から
・ 徳田弁護士の言葉から
・ 竹田中学校の生徒の発言から
・ アイスターの声明文から

<子どもの反応>
 <アイレディース宮殿黒川温泉ホテル および アイスターについて>
<総支配人の気持ちを想像してみよう>
・ 自分は悪くないと思っている。差別なんてしていないと思っている。
・ 周りの人が差別しているので、自分が悪いなんて思わないのだろう。
・ 頭でも心でも、何も理解していない。
・ 上司の命令に従っただけかもしれない。
・ 本社が指示したのだとしても、それがよくないことだと分かっていたら従わなかったのではないか。宿泊拒否は、自分の意志でもあったと思う。
・ 心を広くして受け入れてあげればよかったのに、今もそんなふうには思っていないと思う。
・ 正当化してるだけだということに気付いていないと思う。
・ ホテルに泊まっている人に迷惑がかかると本気で思っている。
・ 化粧品とか、女性相手の商売だから、おしゃれな雰囲気を守りたかったんじゃないか。
・ 調べればすぐ分かることなのに、子どもや赤ちゃんにうつりやすいと本気で思っている。
・ 他のお客が困ると言っているけど、自分がいやだっただけだと思う。

<なぜ総支配人は「自分の一存だった。」と言ったのだろう?>

 もし本当のことを言ったら会社がつぶれるから、仕方なく、だまそうとしたのかもしれない。
・ 本社から、そう言えと指示されたのだろうか?
・ 本社を守るために嘘をついたのだと思う。
・ 本社が出てくるとややこしいことになるから。
・ 本社の指示に従った自分が悪いと思ったのかもしれない。
・ 会社の儲けが減っては困るから。
・ 本社の責任ではなく一人の責任にした方が、大ごとにならないと思ったのではないか。
・ クビになるかもしれないから。
・ 最初は回復者と自分だけの問題だと思っていたけど、ニュースを見て、大変なことになりそうだと思ったから、自分だけが犠牲になろうと思ったのだと思う。


<菊池恵楓園のみなさんが、謝罪を受け入れたらどうなっていただろう?>
・ 菊池恵楓園の人が 「心が狭い」と責められることはなかっただろうが、誤解は解けないままだった。
・ 本社も調子に乗っていた。
・ 差別を何回もやると思う。
・ 反省しないだろう。
・ 嘘のままだったら絶対解決はしない。
・ 嫌なことは無視すればいい。向こうが悪いんだから、堂々としていていい。謝罪は受け入れなくてよかった。
・ 子どものケンカだったら、いつの間にか仲直りをするけど、子どもと会社は違う。いじめはずっと続く。

・ 心のこもっていない謝り方で、絶対許せない。

<宿泊拒否された人の気持ちを考えよう>
・ 風邪だった人や大病だった人の宿泊を拒否するのと同じ事なので、納得いかない。大人がそんなことをするなんて、変だ。
・ 前までは病気だったかもしれないけど、もう回復しているのに拒否されて、許せない。
・ 謝り方がおかしい。知識がなかっただけならしょうがないと思うけど、今でも理解できないことが不思議だ。(ホテル側は)なぜ素直に受け止めないのだろう。
・ こんな嫌がらせをされたら、ものすごく悲しい。回復者の人権が完全に否定されたわけだから、絶対許してはいけないと思う。
・ ぼくだって、昔生まれていたらハンセン病にかかっていたかもしれない。相手の立場を自分に置き換えて考えてみてほしい。今はうつることもなく、治っているんだから普通の人だ。

 <謝罪拒否に反対・中傷する人々について>
・ 中傷の文を書いた人の方が、心が狭く醜い。
・ 回復者を差別しているからこそ中傷を書いている。
・ 完全に理解していないから、謝罪拒否に反対するのだと思う。
・ 自分が宿泊拒否された気持ち、中傷された気持ちを考えてほしい。
・ 全てを分かっているわけではないのに、一面で判断するのはよくない。
・ 理解していなくて、気分で送ってきたと思う。
・ 何も分かっていない人が手紙を書くのはおかしい。
・ 回復者を責めたかった。回復者をいやな感じがすると思っていたのだと思う。それが自分の差別心だとは気付いていない。
 
* 当然のことではあるが、子どもの意見の中にも、気になる発言がいくつもあった。ひとつひとつの言葉に潜む、偽善や無理解、和解から遠ざけるマイナスの感情など、時間が許せば取り上げ、考え合いたかったなと思う。そこがちょっと心残りだ。

 <自分の差別心について>
・ 勉強して、本当によかったと思う。勉強したからこそ、私は絶対差別しない。
・ 自分も友達を差別して平気でいるのはいけないと思った。
・ 勉強していなかったら、ぼくもきっと差別していた。知ることは大事だ。
・ 私は差別を100回以上したことがある。でも自分が差別されるといやだ。心の中で、「これは差別だな。」とか考えて、差別しない努力をしたい。
・ 相手のことを考えない態度が差別を生むと思う。自分のことだけでなく、他の人のことも考えて生活したい。


* 自分自身の心の中にある差別心については、子どもなりによく考えていたように思うが、具体的な事例の中から更に考えを深める必要があると思ったので、最近気になっていた事例をひとつ紹介した。その出来事は、まさしく、「宿泊拒否」のビデオの中で藤野豊さん(富山国際大学助教授)が語っていた、「差別される側が自分の立場を主張し始めた途端に感じる違和感」そのものだと私は感じている。これまで世の中で起こっていた入店拒否や乗車拒否も今回の宿泊拒否も、そして我々のクラスで起こった出来事も全て根はひとつ、マイノリティを一極に押し込めることで自分のマジョリティ性を確認し安心する、わがままな利己心の現れに他ならない。換言すれば、我々の利己心が、差別を平然と生み出し許容し、その責任を分散・転嫁し、マイノリティの人々を苦しめている。それに気付かなければ(気付いたとしてもだが)、差別は形を変えては現れ続けるのだろう。
 私の指摘にびっくりした表情の子どもが数名いた。(決して責めたんではないのよ。←念のため) 自分たちの取った言動が、差別心の表れであることに初めて気付いたようだった。他の多くの子どもたちは納得顔で、静かに話を聞いていた。言いたくても言い出せなかった・・そんな一般大衆の心理だったのだろう。
 ここで、11月の来校の際、太田国男さんが話して下さった「差別は誰の心にもある。でも努力して乗り越えていこう。」という言葉をもう一度確認し合い、仕方ないように見えていることでも、乗り越える力も必要もあるはずなのではないか、等話した。

* 終末には、擬似らいと呼ばれた人たちのことや、未感染児童と呼ばれた子どもたちのことを想起させ、なぜ、こんな言い方があったのか、この言い方が何を表しているのか、善良な一般大衆のはずの人々が、罪なき人を不条理に追いつめ、抹殺に加担していたのではないのか等々話した。更に、2004,3,12付のアイスターの声明文を紹介し、声明文からうかがい知ることのできる気持ちについて、自分の心と重ね合わせながら考えてみようと投げかけ、授業を終えた。アイスターと自分は全く違う・・ほとんどの子どもたちがそんなふうに思っているが、実は重なり合う部分も少なくない。そして、それに気付いた時初めて、「なぜ回復者は今でもふるさとにかえれないのだろう?」という問いの答えが見えてくるのではないだろうか。回復者たちを追いつめているのは、まぎれもなく我々自身なのだから。

* ビデオの中にあった「弱い人を弱い立場に押し込めていないか?」「善意の理解者になっていないか?」という言葉が今強く心に残っている。これからもこの言葉を謙虚に受け止め、自分自身に問いかけ、反省しながら生きる自分でありたいと思う。

* 実はこの授業が平成15年度5年生と学ぶ、最後の授業となった。これでよかったのかなぁとか、押しつけと受け止めた子もいたかなぁとか、今後どんなふうに生活していってくれるんだろう・・そんなにすぐには変わらないよねぇとか、いろいろ気になるところだが、泣いても笑ってもこれで最後。ちょっと淋しい・・。
 読者のみなさんも、最後まで読んで下さってありがとうございました。次年度の実践をお楽しみにね〜(⌒o⌒)


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