- 多摩全生園(東京都東村山市) -

明治42年9月28日創立
昭和16年7月1日、旧厚生省に移管、国立療養所多磨全生園となる。


正  門
 
 かつて、患者の居住区域の周りには、深い空堀と、そこから掘り出した土を盛った高い土手があった。土手の上には逃走防止用の有刺鉄線。

 特効薬もなかった戦前は、ほとんどの患者は、ひとたび入所すれば、この正門から再び出ることはなかった。











 
 入所者が書き記した作品などの文化遺産を遺すため、
35年前に入所者自治会の60周年記念事業のひとつとして設立された。

 ここで、主任の山下道輔さんと、入所者のTさんにお会いした。



<少年少女舎>
 もともと、少年舎と少女舎は別の建物だったが、
子どもの数が少なくなってからは、真ん中を仕切り、
1つの建物を使っていたそうだ。
中には、たくさんの布団が積み上げられ、放置されていた。
これだけ多くの子ども達が、ここで生活したということなのか。
文学作品も山積みされていた。



<宗教地区>
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信者さんの、祈りの声が聞こえていた。
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      <山吹舎>
 1928年、大工・左官工事等も全て入所者の園内作業で建築。
 1977年まで独身男子軽症者寮として使用した。
 1部屋に8名入居していたこともあった。

 冬はすきま風がひどく、ほこりが舞い上がるのが見えたそうだ。
暖房は、火鉢がたったの1個だけ。
暗い部屋だったという。

 暖を取るため室内で薪を燃やし、お湯を沸かしていたことも。 

 全部の寮が、このような形態の家だったのだそうだ。

 2003年10月、入所者と地元民との募金により再建。


<全生分教室>


<築 山>別名 望郷台
手前はきれいに整備されたゲートボール場  周囲が平地なので、ここに上ると各方面がよく見えたそうだ。
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紅  葉



<ハンセン病図書館の展示物>
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光明皇后(聖武天皇の后)が患者の世話をしているところを描いた浮世絵
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手作りの松葉杖
生活の様子が写真に残されていた。

 ここには義足も展示してあった。

 以前は竹の義足を手作りし、使用していたこともあっ
たが、竹が割れて足に刺さったりして痛かったそうだ。

 その後、義足はブリキ製 → そして現在のものへ。
<秩父舎跡地>
北条民雄は「いのちの初夜」を、この秩父舎で執筆した。
病室の枕元に置かれた棚「けんどん」
生活用品を入れた。



 ご飯の入れ物。これいっぱいで8〜12人分。
 瀬戸物部で作った瀬戸物の茶碗を使っていたことも
あったが、割れないので鉄製だった時代もあったそうだ。
 抹消神経の麻痺がある人に鉄製の茶碗である。

 
 寮父であり、自治会長も務めた 松本 馨氏
 たくさんの教え子たちが、自由のために闘う人となった。
 志士を育てた吉田松陰みたいだ。

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昭和初め頃の警備日誌
 昭和30年代頃までは、何かと言えばすぐに始末書を書
かされていた。畑の芋を掘ったとか、配線を引いて電気
スタンドをつけたとか、そんなことでも書かされたそうだ。
 そして、再犯者には監房送りが待っていた。

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 Tさんは、敷地内のプレハブ小屋の中で、昭和38・9年頃、
アルコール漬けの切断された手足を見たそうだ。
 
 戦後は印をもらうようになったが、戦前は、患者は、亡く
なれば親族にも無許可で全員が献体された。

 Tさんも、ある日、突然医者に呼び出され、手の傷を切り
取られたことがあったそうだ。



山下さんの半生を描いた「ヒイラギの檻」、購入するつもりだったが、何と山下さんが譲って下さった。
帰りの新幹線で読みながら、涙涙だった。

帰ってから、早速2冊注文し、
長男(今回一緒に訪問したが、本は私が独占したので)と
次男(前回一緒に星塚敬愛園を訪問した)にも送った。
感想を話し合う日が楽しみだ。

「いのちの初夜」もネットで注文した。

瓜谷修治著 三五館
「ヒイラキの檻〜20世紀を狂奔した国家と市民の墓標」
<帯より>
大きな敵を見逃すな

関心は自分のことだけ”中流意識”という砂の穴から顔だけ出して、あたりをうかがう海底のアナゴの群れ―。これが、わたしたちの社会だ。ヒイラギの檻など別世界のことだ、と見向きもされない現実は、こんな状況の中から生み出された。弱い者を踏みつけにする理不尽な政策に対して、国民主権の実質化であるイエス、ノーの意思表示をせず、いつの間にか政策推進に手を貸す結果になっていた。言うまでもないが、わたしも例外ではない。―著者
<目次抜粋>
・二度と出られぬ病院
・畳針みたいな注射
・”結婚”は断種が条件
・強制された患者作業
・監房ー園内の監獄
・社会復帰阻む予防法
・どう生きるのかの迷い
・手書きの機関誌
・生きた証
・繁栄の陰で
・歴史の証言者
・資料は告発する

「ヒイラギの檻」を読んで
 ここのところ、ずっと悶々としていた。3週間前の星塚敬愛園の訪問以降は特に悩んだ。せっかくのこの出会いを、日々の教育活動の中でどのように生かせばいいのか、この膨大な事実・途方もなく悲しい現実の中から、何を抽出し、子どもたちに伝えていかなければならないのか、ひとりの大人として、私に何ができ、何ができないのか。

 この本のお陰で、やっと見えてきた。

 「差別を見抜く人間を育てる。」これに尽きる。(今更分かったのかって言わないでね〜。頭じゃ分かってたけど、心で納得したってことなんだから。)

 差別的事象の伝承だけでなく、その根に何があるのか、人の心の奥で何が起こったのか、そこのところを見極める人間を、ひとりでも多く育てることが、こうやって機会を与えられた私のミッションだと思うし、それが人権教育なんだと心で感じた。無関心こそ、良心の、人間らしさの敵だ。罪なき何千人・何万人もの人々の、血と汗と涙を無駄にしてはならない。

 平和学習も一緒だ。「こんなにひどい目に遭った、だから戦争はいけない」ってだけじゃあ、学びにならない。それを支えたひとりひとりの人間の心の愚かさ、加害者性に迫らなければ(そこは子どもに考えさせるところだが。)ほんとの教育じゃないのだろうと思った。


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