いのちの授業 2
「死」を考える

〜「さよならエルマおばあさん」より〜

--- 6年 総合 ---
■ □ □ いのちの終わり □ □ □
いのちには始まりがあり、終わりがある。

しかし、子ども達は、まるで自分とは関係ないことのように、「死」について、あまり考えようとしない。誰にでも訪れる「死」のことを、気にも留めずに暮らしている。

ちょっと学ぼう。人の死について。
■ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 
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資料「さよならエルマおばあさん」について
 血液の癌のために、お医者さんから、もう長くは生きられないと告げられたエルマおばあさんが
明るく穏やかに死の準備をし、そして弱って死んでいく姿を綴った写真絵本。


日野原重明さんの「いのちの授業」のDVDを見ることから、小学校生活最後の総合的な学習の時間は始まった。
( 第一次の授業の様子はこちら → 「いのちの授業」 )


本単元の、自分の未来を想像し夢を持つ活動を進める中で、どうしても意識せざるを得ないもの、それは「死」だ。
子ども達がこれからの人生を考える時、「死」の予想は、やはり避けては通れない。

本学級の子ども達の中には、肉親の死を経験した者もおり、
生が永遠に続くのではなく、「死」によって終わることは知っているのだが、
それでも、どこか「死」を空恐ろしいことのように考えて、
こと自分の死に関しては、敢えて考えようとしない者も多い。

「死」は誰の身にも訪れるし、
全ての人の生は、「死」によって完結することを、
今一度きちんと見つめ、自分の人生の終着点に据えさせたい。
限りあるいのちだからこそ、ひとときひとときを大切に
思いっきり輝いて生きていくべきであることを、
心の奥で掴ませたい。

そこで、本書を取り上げた。
エルマおばあさんの「死」への思いに寄り添い、
自分の充実した生と死へのイメージを育てるきっかけにできるのではないだろうか。


<子ども達の感想>
  あと1年しか生きられないと言われても、その1年間を大切に、笑顔でいられるなんてすごいと思った。そして、お世話になった人達に手紙を書くなんて、とても優しい人なんだなと感心した。
 おばあさんは、死
 いつもおばあさんのそばにいた、猫のスターキティは、とても大切な動物なんだと思った。おばあさんは、自分が死ぬ病気にかかっても、恐がったりしないことが、私はすごいなと思った。人間いつかは死ぬけれど、エルマおばあさんは、まだ85歳で死ぬなんて早いと思った。しかも、動けなくなったら、いろんな機械を付けないでそっと死なせてなんて、私はなかなか言えない。あと、日本では告知されないことが多いけど、外国の人はそれが一般的と知って、すごいなぁと思った。私はエルマおばあさんを見習いたい。
 死を覚悟しながらも、淋しい顔をせず亡くなっていったというのが素晴らしいと思った。それに「私の死ぬ日を決めた。」というのも、かっこいいなぁと思った。私もおばあさんになって、あと少しで死ぬと言われたら、エルマおばあさんみたいに死んでみたい。でも今、「あと少しで死にます。」と告知されたらどうだろう?わがままを言ってみんなを困らせるだろう。そんなことにならないように、最後は人のために時間を使って、惜しまれて死んでみたい。
 エルマおばあさんが、ちゃんと自分の死を受け入れていることがすごい。
 私は、死はなくてはならないものだと思う。こうやっている間も、世界では何人も亡くなっている。もし、「死」というものがなかったら、この世界は生き物だらけになって、食べ物もないと思う。「死」は人間だけでなく、動物や植物、生きている者全てにある。死があるからこそ地球上の生き物のバランスが保たれている。「死にたくない」と思う人もいるだろうが、死は、なくてはならない。
 エルマおばあさんは、もう少しで死んでしまうのに、スターキティや孫や子どもとおしゃべりしたり、散歩をしたりしてすごいと思った。あと、エルマおばあさんをこんなに思ってくれる親戚の人達や、スターキティにたくさん愛されて、エルマおばあさんは死んでしまったけど、とても幸せだと思った。エルマおばあさんとスターキティは、しりとりのような切っても切れない絆で結ばれているんじゃないかなぁと思った。
 自分で死ぬことを感じていたんだな。
 エルマおばあさんは、死ぬ覚悟をして、最後まで楽しく過ごそうと思った。そして、死ぬ日を決めてカードを作った。それは、死んだ日を忘れないようにするためと、魂がどこか違う世界に行くことで、あまり悲しまないようにと思ったと思う。
 自分の命がないと聞いて、エルマおばあさんは悲しまず、自分が旅立っていくための準備をして、自分が死んでも大丈夫にして、みんなのために時間を使って、とても偉いな〜と思った。
 エルマおばあさんは自分の生きられる時間があと少ししかないと分かったのに、普通の人はそこで焦るけど、エルマおばあさんは焦らずにやることをやっていた。
 死ぬことを受け入れ、覚悟して、死ぬ準備をして冷静に過ごして死ぬ日を決めたのは、とてもすごいと思った。ぼくにはそんなことできないかもしれないけど、こういう死に方に憧れた。
 私もエルマおばあさんのように死にたい。おばあさんは死が恐くないのか?と思った。自分が死ぬ日を決め、その日に死んだというのも、ちょっとゲームっぽいと思った。おばあさんは前向きだと思った。
 飼っていた猫と人生の最後までずっと一緒だったのがよかった。
 告知されても普通に受け止めて、とてもすごい。
 おばあさんは自分がもう少しで死ぬことを知っていろいろ書き始めたから、何かを残そうとしているから、自分は死ぬんだと分かって覚悟して書いたんだと思った。猫もおばあさんが死ぬと分かったから、いつも以上にそばにしてあげたと思う。足が悪くなって支えがないと歩けなくなった時も、猫はずっと心配していたと思う。猫は誰よりもおばあさんのことを心配して、いつもそばにいてあげたと思う。
 エルマあばあさんは最後まで生きる希望を捨てなかったと思う。
 エルマおばあさんは、治らない病気と言われてとてもショックだったと思う。だけど、いつも笑っていてすごいと思った。最後に、エルマおばあさんが「病院には行かない。」と言ったのでびっくりした。でも、最後くらい家族と一緒にいたいという気持ちも分かった。

私が予想した以上に、子ども達は「死」について真剣に考えたようだ。
エルマおばあさんと、家族やペットとのつながりや別れも、充実した生の証しとして受け止めることができていた。

終末では、2学期に学習した「ぼくが生きるということ」(第1時第2時←クリック)や
「忘れられないおくりもの」の内容を想起させたり、
去年100歳で大往生した私の祖父の話などをした。

この学習によって「死」が少しは身近になったと思う。

恐れや不安だけでなく、
自分の意思を持って受け止めようとする気持ちを
これからも、育てていくことができるといいなと思う。

それは、「今」そして「未来」をどう生きるかに直結するのだから。


卒業まであと35日!!!

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