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英雲荘(山口県防府市)



 萩往還の終点の地に、「三田尻御茶屋」として、萩藩二代藩主 毛利綱広が建設した。
七代重就の時、隠居所として改築され、三田尻御殿と呼ばれるようになった。
現在は3000坪だが、その頃は倍の6000坪あったそうだ。

幕末は七卿落ちの宿泊所ともなり、七卿はここに2ヶ月滞在。

明治以降、大正5年に毛利本邸ができるまで、
毛利家の人々の住まいでもあった。 

明治44年には、天皇も宿泊。 
毛利家の結束の強さを示す畳のふち。柄がピタリと合うようにできている。↓
白砂青松の三田尻港のすぐ近く。
三田尻港からは、吉田松陰が京に上ったり、
高杉晋作が下関に向かったりしたらしい。






 

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