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CAIRO

カイロの南西約14km、ギザの砂漠台地にそびえる三大ピラミッド。
第4王朝の三人のファラオが巨大なピラミッドを建設した。
三基ともクフの甥ヘムオンの設計。
クフ王のピラミッド(第一ピラミッド)
  建設当時の高さは146,6m(現在137m)。およそ40階建てのビルに相当する。
底辺230m。底面の4つの辺は、ぴたりと東西南北を向いている。      

花崗岩や石灰岩のブロックの数は、200万個とも、ほんとはもうちょっと少ないのではないかとも言われている。
1つの重さは約2,5トンから、一部は50〜80トンにも達する。
 ↑写真左側のピラミッド下部に少しだけ白い外装石が残っている。またその上部に、後の時代の地震によって偶然現れた入口が見えている。・・・にしても、よくもまぁ崩れずに立っている。えらくシャープで、高さを極めようとしているようにも見える。スタイル的には、ダフシュールの赤のピラミッドの方が好きだなと思った。 
 内部構造は複雑で、最初から計算して造らない限り成り立たないと言われている。高さ8.74mもある大回廊や、ぽつりと一つ、蓋のない石棺があるだけの「王の間」などが造られている。そこにはミイラはもとより、碑文も装飾もない。

 東側にはクフの母と2人の王妃の小型ピラミッドが三基設営されていた。他にも、王族や貴族の墓、ピラミッド建設に関わった労働者の墓(ワークマンズ・ヴィレッジ)などがあった。
 南側には長方形の溝があり、レバノン杉でできた木造船が二隻分解されて埋められていた。(1954年発見) 「太陽の船」と呼ばれるこの船は、遺体や副葬品を運んだか、あるいはファラオが現世と来世(空や地底)を巡るために造られたと考えられている。一隻は14年の歳月をかけ復元されており、船の長さは43,6m。

カフラー王のピラミッド(第二ピラミッド)
 建設当時の高さは143,5m、底辺215m。元々は第一ピラミッドより少し小ぶりだが、てっぺん付近の化粧石も残っているし、台地も高いので、今では第一ピラミッドよりも随分大きい。内部に玄室等は発見されていない。
 右手の空気がボワ〜ンと黒いのは、カイロ市街の排気ガスだ。・・・・ゲホゲホ。白く美しい化粧石は、何百年もかけてはぎとられ、モスクの建設等に使われた。かけらは周囲に小さくなって散乱していた。

気が遠くなりそうな高さだ。

登ることは禁じられているが、登ろうとしている西洋人がいて、警官が大声で制止していた。
強風にあおられて転落し、死亡した人もいるそうだ。
↑周囲には神殿があった。 ↑スフィンクス神殿側より第二ピラミッドを臨む。足元には参道の敷石が遺されている。
参道は結構傾斜していた。だからスフィンクスは砂に埋もれちゃったのね。
今回の旅でラクダの鳴き声を初めて聞いた。「オギュエゲゲゲ〜」というような、低い声だった。
メンカウラー王のピラミッド(第三ピラミッド)
高さ65.5m。底面は102,2m×104,6m。第一ピラミッドの十分の一の大きさだ。
↑北側には、12世紀にマムルーク朝によって
つけられた大きな爆破痕が。
こんな遺産を爆破するとは!!

こちら、崩れそうだ。(直下から見上げたところ)→

 1837年に玄室から遺体の一部が発見され
たという話もある。が、本当なのかな?


「Hりん連れ去られ事件」が発生したのはこの付近。
連れて行かれちゃったのよ〜ぉ!
詳しくは、「エジプトの思い出1」の
「バクシーシ」の項を見てね。

大スフィンクス
 胴体がライオン(ライオンは太陽神の象徴)で、頭は頭巾を被った王の姿なのだそうだ。真東=春分の日に獅子座が現れる方向を向いている。
 「ピラミッドテキスト」には、亡き王の魂は階段を昇って昇天し、太陽光線を使って太陽神の元に行き、太陽神と旅を共にすると書かれている。
全長57m、高さ20m。アゴの付け髭は、イギリス人に持って行かれてしまったが、現在返還交渉中なのだとか。



スフィンクスのヒップ側
  大スフィンクスは、かつてはクフ王かカフラー王の治世に造られたと考えられていた。顔は、カフラー王の顔だという説もある。しかし第二ピラミッドへの参道は、確かに斜めに大きくズレており、スフィンクスが先に建てられた証拠のひとつだと言われている。ピラミッドからつながる河岸神殿と、それに隣接するスフィンクス神殿とは、石材も組み方も床面の高さも大きく異なっている。


 

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