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LUXOR

ルクソールは、首都カイロの南約670kmの町。旧名テーベ。
古代エジプトの都であり、オリエント世界の中心地だった。
ルクソール東岸
到着した日の早朝。空には月と金星がまたたいていた。
町はひっそりと静まりかえっていた。
 夜が明けてきた。観光客を乗せた気球が西岸にたくさん上がり始めた。料金は、「地球の歩き方」には”50US$〜200US$”、「Lonely Planet」には”150ユーロ(約16100円)まで”、ホテルのパンフには400ポンド(約5600円)と記されていた。 西岸に渡るフェリーは往復で1人2ポンド(約28円)だった。

ナイル川にはたくさんのファルーカが浮かんでいた。

ルクソール神殿に朝日が昇ってきた。
ルクソール西岸
ナイルを挟み、太陽の沈む西は死者の安息地とされ、ネクロポリス(死者の都)と呼ばれている。
 ローカルフェリーのためか、朝早過ぎたためか、我々以外、観光客の姿はなかった。 西岸から東岸を臨む。
 西岸のフェリーポートには、ロバがたくさん待機していた。ここでタクシーをチャーターした。 気球の発着場所はここ
ハトシェプスト女王葬祭殿・・・エジプトで一番美しい建築物と言われている。
ハトシェプストは、夫の死後、側室の子を退けて自ら王位についた女性。
各地に肖像が遺されているが、どれも付け髭の男装だ。次王トトメス3世など、後の世の人々によって破壊されたものも多い。
 オベリスク運搬、プント(エチオピア辺りかと言われている)への派遣団、ハトシェプスト誕生(王家出身の自分こそ正当な王であることを強調している)の場面などの絵やレリーフが遺されていた。
葬祭殿よりナイル川方面を臨む。
色が少し残っていた。
紀元前15世紀の建築
王家の谷
 現在60以上の墓が発見されており、墓の内部には、来世への再生・復活を願ったテキストと挿絵が描かれている。

 デジカメをタクシーに置いていくように、入口のガードマンにしつこく言われた。タクシーのドライバーが嬉しそうにするので、余計嫌だったが、置いて行かないと入場できそうもない気配だったので置いて行った。。
「王家の谷」遠景。 どこもかしこも砂まみれだった。  駐車場には団体客が次々に現れた。

 心配していた通り、ドライバーは約束の時間に現れなかったが、デジカメが人質に取られているので辛抱強く待った。
そのうちに、同じ模様のタクシーがお客を乗せてきたので、「あなたの会社の△△のナンバーの車を呼んで。」と頼み、
連絡してもらった。そして数分後、ドライバーは、私のデジカメのストラップを腕に提げ、デジカメをユラユラさせながら、
しかもニヤニヤしながらやっと現れた。「も〜。そんなふうに持つんじゃな〜いっ。」と思った。(言わなかったけど。)


 王家の谷までの一本道を、レンタサイクルで移動している(高低差あり)旅行者を見た。冬とは言え自分でこげば暑いし、遠いし、ちょっと無理なんじゃないかなと思った。
王妃の谷
 「王家の谷」の南西約1,5kmの場所に、100基以上の墓が築かれている。

「もう絶対デジカメは離さないからね。」とキッパリ言い、エントランスのガードマンにも見つからないようにバッグの奥にしまって入場した。
 「王家の谷」の墓同様に、壁画がミッチリと描かれており、古代人の死生観が偲ばれた。西日本に多く残る装飾古墳との共通性を感じた。生後6ヶ月の嬰児のミイラも展示されていた。
貴族の墓 他
 政府高官の墓は、「王家の谷」の東側約2kmのクルナ村を中心としたエリアに点在。
 墓の数は約500で、そのうち約20基が公開されている。
 「貴族の墓」の前に、町が築かれていた。人の住んでいる墓もあるそうだ。 <ラメセウム(ラメセス2世葬祭殿)>
現在残っている葬祭殿は、これを含めて4つだけだ。

 ←<メムノンの巨像>
 高さ18m。ここは新王国時代の絶頂期に建てられたアメンホテプ3世葬祭殿への入り口だった。この葬祭殿は、当時の王都マルカタの北1.5kmの地点にあり、カルナック神殿の神域より広かったと言われている。(葬祭殿は、完全に破壊され消滅した。)

 右の像は朝方に音が発生し、それが泣き声に似ていることから、トロイ戦争でアキレウスに討たれたエチオピアの英雄メムノンの声ではないかと言われるようになった。紀元2世紀頃の破損部の修理により音は消滅。

 ここは低位砂漠の境にあり、アスワンハイダムが建設されるまでナイルはこの像の足元まで氾濫していた。

これは現代の建物らしいが気に入ったので掲載

 西岸の観光後は、フェリーで再びナイル川を渡り、東岸を観光した。


カルナック神殿
 国家神アメン・ラーを祀った神殿。日乾レンガの周壁を持つ。今から約3500年前頃からの歴代の王達が、戦勝・繁栄を祈願し、建造物や宝物を次々に寄進し、巨大化。今や世界最大の神殿建造物と言われている。
第一塔門。紀元前380年頃(第30王朝)のもの。手前は羊頭のスフィンクス参道。
 この神殿には、塔門、中庭、大列柱、至聖所、聖池、オベリスク、スフィンクス、小神殿等々、神殿建築の基本的要素が全て遺されていると言われている。
 牡羊はアメン神の聖獣であり、前脚の間には第19王朝ラメセス2世の像が彫られている。スフィンクス(古代エジプト語でシェセプウ)は、古代エジプト語の「シェセプ」に由来し、「生ける似姿」を意味している。スフィンクスは、神殿や墓の守護神として参道に置かれたり、王の代理として神殿内に奉納されたりした。
第2塔門前の神官ピネジェムの巨像(第21王朝)  第4塔門と第5塔門の間に立つ、高さ30mのハトシェプスト女王のオベリスク(第18王朝)

明かり採りの窓

 セティ1世、ラメセス2世父子によって造られた列柱室。豪快、驚愕の建築だ。
→トトメス3世の上下エジプト統一の記念柱。
第6塔門東側。第18王朝

↑開花式パピルス柱12本、高さ15mの未開花式パピルス柱が122本、所狭しと並んでいた。 ↑トトメス3世が遠征したシリアの国々と都市名が刻まれている。
第6塔門。第18王朝。
第一塔門裏。建築当時の瓦礫が残っていた。 パレスティナ、シリア遠征のレリーフ。第19王朝。セティ1世

トトメス3世祝祭殿

ハトシェプスト女王の第8塔門。第18王朝。

トトメス3世の第7塔門。第18王朝。

聖池の北西に放置されたハトシェプスト女王のオベリスク。レリーフは、アメン・ラー神から何かを授かっている女王。
 
ルクソール神殿
ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿として建てられた。
第18王朝アメンヘテプ3世の列柱

第1塔門前のオベリスクは、今は1本だけ。

第1塔門のラメセス2世像。第19王朝。

アメンヘテプ3世の大列柱廊。高さ17mの開花式パピルス柱が2列14本。ここにもラメセス2世像。
↑ツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃
アンパンマンの犬、チーズに似てない?
貢ぎ物の絵だろうか? ビヨ〜ンと伸びた、こういうのもいっぱいあった・・・・
 かつてはカルナック神殿まで続いていたというスフィンクス参道。参道の端っこは発掘中だった。↑↓

 

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